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やっと二章終わった…
最後に、蓬の葉のサンプルを。
その後はあっという間だった。
まず、気を失っていたえゐの身柄を拘束することが最優先だ。そう判断した私は、一度道化屋に戻っていった冬瑠の代わりに様子を見に来た市三郎に大広間の監視を任せ、向かいの山崎陣屋から権左衛門を呼んでえゐと他の女三人を逮捕して貰った。
しかし、えゐが厄介にも権左衛門が広間に入ってきた途端に目を覚まし、すぐに闇之閃がここに現れたと騒ぎ始めたものだから私は冷や汗をかいた。自分よりも先に逮捕するべき人間がいるということを主張して罪から逃れようとでもしたかったのだろうか。
しかし、罪人になるとああも人権が剥奪されてしまうものなのだろうか、その場にいた誰一人としてえゐの主張を受け入れた者はいなかったのである。全員が全員、えゐが罪を他人に擦り付けようとして戯言をほざいているのだろうと言い、結局えゐは闇之閃がと叫びながら山崎陣屋に引き摺られていった。
それを見ていた私は複雑な心境になってしまったが、自業自得だろう。
その後、えゐの処遇について部下に指示を出し終わった権左衛門が、えゐの身柄を拘束した謝礼金として一両近くの金を私に譲ってくれた。
それだけあれば一カ月は旅が持つだろう大金だ。
たった一人の人間を取り押さえただけなのにこんな大層な謝礼金を貰っても大丈夫なのかと不安になったが、権左衛門曰く、
『うちの藩には抹茶という秘密兵器がありますからな』
ということらしい。
私は権左衛門に再三礼を言ってから、市三郎と共に道化屋に戻った。
しかし、私達が帰った道化屋でも事件は発生していた。
なんと國助と勘一郎の前で、冬瑠が紅い髪を晒していたのである。
慌てて冬瑠に状況を聞いてみた所、何でも國助と勘一郎に自分の正体を説明していたのだという。
私はすぐにそれを止めさせようとしたが、ふとそこで思い留まった。
たった三日ではあるが、二人は大変世話になった相手である。そんな二人に自分の本当の姿を打ち明けておくのが、今まで良くしてくれたことへのせめてもの礼儀だと冬瑠は考えたのかもしれない。
冬瑠が「これは自分の話だから夜が説明をする」と言ったこともあり、結局私は冬瑠に話を中断させずに黙って聞くことにした。
当然、二人は冬瑠のもう一つの姿を知ってこれ以上は出来ないというぐらいに目を丸くした。
今まで美しい女性という認識をしていた人間が、実はかつて日本で最も有名で強い殺し屋であったと聞いたら、それで驚かない方がおかしい。
しかし、私達と共に旅をして善行を積むことで殺し屋という職業から足を洗いたいという意志を冬瑠が伝えると、すぐに二人の表情が柔らかいものに変化した。
驚かないのかと冬瑠が訊くと、國助は、
『過去なんかどうでもいい。今、そして未来にどんな自分がいるか。それで人間の価値って決まるんじゃないですかね』
と言った。
その心温まる言葉に冬瑠は心から感謝していた。かくいう私も、國助の言葉に強く胸を打たれた。
そして、そんな夜があって……
――――別れの朝が来た。
「本当に三日間有り難う御座いました」
「いえいえ、それはこっちの台詞ですよ。重陰さん」
天気は、雲一つ無い快晴。
その青空の下で、五人が道化屋の前の道に集まっていた。
三人は、旅支度を終えて。二人は、三人を見送る為に。
「お陰様で、盗人もひっ捕らえることが出来ましたし」
そう言うと、國助はがっはっはと豪快に笑った。この特徴的な笑い声も聞けなくなるかと思うと、寂しいという気持ちがぐっと込み上がってくる。
「こちらも、道化屋で本当に楽しい思い出が作れました。感謝してもし切れません」
「あっしも、この三日間は絶対に忘れないでしょうなぁ」
國助の笑い声につられて、私もはははと笑い声をあげた。
「冬瑠、挨拶をしろ」
國助と一頻り笑い終えると、後ろに控えていた冬瑠に目配せをする。
今回、彼女は私達の中で一番道化屋に世話になった。
昨夜も冬瑠は國助らといろいろ話をしていたが、まだまだ言いたいことが彼女の中に残っている筈だろう。
「ああ」
冬瑠は、私にそう言うと一歩前に出た。
國助は冬瑠を温かい笑みで見つめている。
冬瑠は一つ大きく息を吸うと、腰から深く頭を下げた。
「國助殿、貴殿には本当に世話になった。心から礼を言おう」
「いえ、そんな。あっしの方が色々世話になりましたよ。それに、冬瑠さんに礼が言いたいのは、あっしよりもこいつの方だと思いますから」
國助はずっと組んでいた腕をほどき、彼の隣に立っていた勘一郎の背中を押した。
「冬瑠さん……」
勘一郎の表情はとても暗かった。
今回の事件で最も辛い思いをしたのは、過去の自分である闇之閃と戦った冬瑠と初恋の相手に裏切られた勘一郎の二人だと私は思っている。
特に勘一郎は、自分が恋心を寄せていた相手に裏切られて相当悲しんでいる筈なのに、それだけでなく冬瑠が苦しんでいるのは自分のせいだとすら思っているのである。
そのどちらも、本当は必要ないものなのに。
「いい、言うな」
謝罪の言葉を続けようとしていた勘一郎の口に、冬瑠は人差し指をそっと当てた。
「いいか、勘。昨日の夜、國助殿が夜に言っていたことを忘れないで欲しい。人間は過去ではなく今、そして未来で価値が決まる」
冬瑠は、初めて勘一郎と会ったときと同じように、その場にしゃがみ込んで勘一郎と目線を合わせた。
勘一郎の瞳と冬瑠の瞳が、正面から向き合う。
「夜だって人には言えない凄惨な過去を持っているが、今は希望に向かって前向きな気持ちを持てている。勘も過去に腐ることなく、ひたむきに茶の道を歩んでいって欲しい」
ああ成程、と私は思った。
普通ならただの励ましに聞こえないこの言葉も、本当に酷い過去を持っている冬瑠が言うとその台詞に重みがあった。
だから、その言葉に暖かみがある。
実際、勘一郎は冬瑠の言葉を聞いてようやく破顔した。
その表情は、いつもの賢さを匂わせるものではなく年相応の純粋な笑顔。
私は、勘一郎がまだそんな顔が出来ることに安堵した。
冬瑠は、そんな勘一郎を優しい笑みで見つめながら立ち上がり、私に目配せをする。
夜はもう充分だ、という言葉が聞こえるようだった。
「市」
冬瑠に一つ頷いて見せ、今度は冬瑠と反対側に立っている市三郎の名前を呼ぶ。
「はい」という返事をして市三郎が冬瑠に代わって前に出、國助と勘一郎に簡単な挨拶を述べる。
二人の挨拶も終わって、いよいよ別れの時がやってきた。
私は、もう一度國助に深く頭を下げた。
「では、また機会がありましたら寄らせて頂きます」
「抹茶団子をたくさん用意して、お待ちしておりますよ」
國助も、今回だけは私の礼を止めようとせず、頭を下げ返す。
私は、頭を上げると今度は勘一郎を見た。
「勘。今回の事件で人間不信に陥ってはならない。己の心は常に純粋でいろ」
「はいっ!」
私がそう言うと、勘一郎はとても元気な返事をしてくれた。
勘一郎は近い内に、今回の事件で受けた衝撃から立ち直ってくれるだろう。
うむと私は大きく頷いて、私は國助達に背を向けた。
「では、お邪魔しました」
「ええ。またの来店を」
こんな時に見送りの定番の挨拶を使ってくるのは、洒落すぎていて正直卑怯だと思った。
しかし名残惜しさとは、いつか断たなければならないもの。
私はまだここにいたいという気持ちを振り切って歩き出した。
市三郎と冬瑠も私に続く。
ちらっと冬瑠の顔を盗み見ると、今まで見たことのない晴れ晴れとした表情をしていた。
もう既にこの別れを彼女なりに割り切ったのだろう。
冬瑠の代わりにと自分に言い訳をしてから一回だけ後ろを振り向くと、勘一郎が大きく手を振ってくれた。
「ところで……」
もう振り向いても道化屋が見えなくなった頃、私は冬瑠にずっと疑問に思っていたことを訊いてみた。
「ん? なんだ?」
「あれだけ気に入っていた硝子玉、お前何処にやったんだ?」
思い返してみれば、道化屋の倉庫の時以来あの蒼い硝子玉を冬瑠が持っている所を一度も見ていない。
一度気に入ったものは絶対に手離さない性格だと思っていただけに、無性に気になっていた。
「ああ、それなら……」
すると、冬瑠は懐に隠し持っている刀の柄を、私と市三郎だけに見えるような角度に持ってきてくれる。
私もそれが見易い所に移動して、そして納得した。
「成程……」
へぇ、と隣で市三郎が感嘆の声を上げる。
柄に彫り込まれた彫刻の中に、まるで元々その場所にあったかのような自然さで蒼く光り輝く硝子玉が填め込まれていた。
「手でそのまま持っていたら絶対に無くすだろうと思ってな。貴殿が昨日倉庫から走って出て行った後、國助殿に頼んで硝子玉をここに填めて貰ったのだ」
「その時の礼は言ったの……だろうな。分かった分かった」
一応確認を取ろうと思っただけなのだが、冬瑠にぎろりと睨まれてつい途中で質問を誤魔化してしまう。
黙っていても、「そんなつまらないことを言うな、言ったに決まっているではないか」と冬瑠の冷たい瞳が語っていた。
「しかし、随分と綺麗じゃないか」
あまりにも冬瑠の目線が痛いので私が無理矢理話題を変えると、まるでそれを誇らしげに思っているかのように硝子玉が一際蒼く光った。
こうして見ると、硝子玉が高価なもののように見えてくるから不思議である。
「まあ、及第点だな」
冬瑠も、今の私の誉め言葉で先程の発言を許してくれたようだ。
目線を私から硝子玉に落とし、言葉を続ける。
「実は、この蒼い硝子玉を見ていると何故だか心が落ち着いて来てな。昨日の夜、闇之閃の性格から変わることが出来たのは、刀を振りかぶった時にこれが見えたから、というのが大きい気がするのだ」
「へぇ……」
それは意外な事件の裏話だ。
私も試してみようかと考えていると、市三郎がぼそりとこう呟いた。
「成程……紅い女武士と蒼い硝子玉、ですか……」
「ほう、随分洒落た事を言うではないか」
すかさず私がそう茶々を入れると、市三郎があからさまに照れた。
そこを見逃しはしまいと、冬瑠が市三郎をからかい始める。
二人で手を組んで拙者を陥れるのは卑怯じゃないですか、という市三郎の抗議が面白い。
道化屋に別れを告げた直後の感傷的な空気はもう既に無く、旅の雰囲気はもう普段のものに変わっていた。
(だが……)
私は、もう一度その言葉を反芻してみる。
紅い女武士と蒼い硝子玉。
悪くない響きだな、と思ってしまった。
これから、冬瑠は何度も闇之閃との戦いを強いられるだろう。
決して楽ではない道のりの筈。
だが、その道を歩むのは一人じゃない。その為に、冬瑠は私と市三郎の旅に新たに参加したのだ。
これからずっと、冬瑠が紅い殺し屋と蒼い硝子玉にならないよう、私は心の中で願うと共に、その横で冬瑠を助ける自分もしっかりしなければ、と己に渇を入れた。
ただ、一瞬だけ、同じ蒼なら硝子玉ではなくて私の方が良かったかなと自分の着物を見下ろして思ったのは、私だけの秘密である。
最終更新:2012年07月01日 22:34