アケナイアケガタ
星一つ無い、漆黒の夜空だ。
――うん、なかなかに、いい夜だと思う。
満月とか、満天の星空とか、そういうのとはまた違った趣がある。
――と、ふと、何か黄色い物が目に映った気がした。
なんだろうか。流れ星とも違うし、なんというか、人のようにも見えたけど。
まあ、そんな訳がない。人が空を飛んでるなんて。何かの御伽話じゃあるいし。
――背後で、すと、という物音がした気がした。
「あなたは、人間?」
背後から声。実に可愛らしい、幼い少女のような声だ。
まあそれはともかく、人間かどうか、ときた。僕が人間でなければ何だというのだ。
「ああ、人間だけども、それがどうかしたかい?」
とりあえずそう答えておいて、相手の姿を確認する為に振り返る。
「――そう、じゃあ」
そこにいたのは、想像通りの幼げな少女。
で。
「あなたは、食べてもいい人間?」
――若干危ない娘らしい。
「――えっと、だ。聞き間違いじゃなければ、僕が食べていい人間か、って聞かれたと思うんだけど」
これでも、耳の良さには自信がある方なのだが、それでも自分の耳を疑う他無かった。
「うん、そうだけど」
少女は、さもそれが当然、といった調子だ。
――うん、若干ではなく、かなり危ない娘らしい。
「えっと、ね。僕に限らず、人間は食べちゃダメだって」
「えー」
えー、じゃない。
「だって、人間は妖怪に食べられるものだって、言ってた」
誰だ、そんな事をこの娘に言った奴は――って、待て。
「えっと、妖怪?君が?」
「うん、わたし、妖怪」
びし、と胸を張って、さも、子どもが大した意味もなく自慢する時のような格好をしている。
――かなりを通り越して、取り返しが付かないほど危ないかもしれないぞ、この娘は。
「えっと、だ。妖怪、か。うん、妖怪」
「うん、そーなの。わたしはあなたを食べる妖怪」
そう言う表情は若干誇らしげである。なんというか、かわいい。
それはともかく、どうやら少女は自分がとんでも無いことを言っているという自覚は全く無いらしい。
――さて、どうしたものか。こういう時の対処方法なんて知らないぞ、僕は。
「で、貴方は、食べてもいいの?」
まだ言うか。
「あー、うーんと、うん、じゃあそんなに言うなら食べてみてよ」
「いいの?じゃあいただきまーす」
そう言うと少女は、僕の左腕をとって口を大きく開ける。
どうせ冗談だろうし、仮に本気で食べようとしてもこんな子供の力じゃ噛み切れるわけが――
――がぶ。
――ぶち。
ん、おかしいな。なんだか左手から異音がしてどうにも違和感が――
「って痛っ!超痛い!」
左腕に噛み付いてきた少女を懇親の力で振り払う。ひどい激痛に襲われたが、なんとか振り払うことに成功した。
「あー。なんで抵抗するかなーもう」
「いや、誰でも抵抗するから」
左腕からは血が滲んでいるが、幸い歯形が残った以外は特に以上は無さそうだ。
「だってさ、あなたが食べてもいいって言うから」
「いや、まあ……」
言ったけど。まさか本気で食べようとするとは、本気で食べられそうになるとは思わないわけで。
「やっぱり、駄目。食べちゃ駄目」
「えー」
だからえーって言われましても。
「まあいいや。別に本気で食べようとしたわけでもないし」
「あれ本気じゃないんだ!?」
仮に本気だったらどうなっていたのだろうか。
やはり美味しく頂かれていたのだろうか。食物的な意味で。
「それにしても、本当に珍しい人間だねー。妖怪を見ても逃げずに、ましてや食べてもいいなんて言うなんて」
「いや、その、妖怪って、本当に?」
「もちろん。人間を食べようとする人間なんていないでしょ?」
いや、いないわけでもないけど。好んで人間を食べるような人間も居る、もとい居たけど。
まあ確かに正常な人間は人間を食べたりはしない。が、それがこの娘が妖怪であることを決定付ける決定的
な根拠にはならない。
というか、妖怪とは言っても何の妖怪だというのだろう。少なくともゲゲゲのナントカに出てくるようなス
テレオタイプなわかり易い妖怪ではないだろうが。わからないし。
「……あー。もしかしてあなた、外の世界の人間?」
「へ?外の世界?」
外の世界、とはどういう事だろうか。
というか、その言い方だと此処がまるで異世界だと言っているかのようだ……ああ、言っているのか。
「まあ、幻想郷の住人なのに妖怪を知らないわけも、ましてやこんな時間にこんな場所に居るわけもないか
」
少女は一人納得したように腕を組んでうんうんと頷いている。
「……いや、一人納得されても、僕には全く状況が分からないんだけど」
「あー、うん。詳しく説明できるほど詳しいわけじゃあないけどね、簡単に言うと、此処は貴方の居た場所
とは別の世界なのよ」
「へえ、別の世界」
そうか、やっぱり異世界なのか。通りで妖怪なんて居るわけだ。
成程、納得。
「……って、一寸待ってよ、今の説明だけで納得出来たの?」
「うん、まあ。これでも物分りは良い方なんだ」
「いや、うん……まあ、変に疑われるよりは楽なんだけど」
まあ、単純に物分りが良いってだけじゃない別の理由もあるんだけど。
別に、今それを説明する必要もない。
「それで、私みたいな妖怪とか、魔法とか、そう言った失われた物が萃まる場所、それがここ、幻想郷なの
よ」
「成程、興味深いね」
「……疑われないのは良いんだけど、それはそれで違和感があるなあ」
うん、まあその気持ちは分からなくもないんだけど。
確かに常人ならばこんなにすぐに納得はしないだろう。
要するに僕は異常な人間な訳だ。いや、それこそ妖怪かもしれない。
「……まあ、それで、貴方は元の世界に帰りたい?」
「いや、別に」
「そうよね、まあ、当然よね。外の生活を知ってて尚此処に留まりたいだなんて……えっ?」
「えっ?」
僕は何かおかしい事を言っただろうか。
「えっと……帰らなくていいの?」
「うん、帰る場所も未練も無いし」
そう。
帰ったところで、僕には行き場も生き場も、逝き場すらも無い。
それなら、何処に居ようが同じ事だ。
説明役も出来るルーミア
最終更新:2012年01月15日 23:55