容量なくなっちゃったんで、間にクッション。




「何っ!」
 すぐに倉庫を元通りに戻し、倉庫にしっかり施錠してから、私は今までぐっすりと寝ていた冬瑠を起こした。
 冬瑠は最初こそ寝起きの不機嫌そうな顔を見せて来たが、私が倉庫で確認した一部始終を話すと、そう小さく叫んで目を丸くさせた。
「ああ。間違いなかった。確実に古い袋から若干粉が消えていた」
 そして、驚いた表情はすぐに悔しそうな物に変わる。
「それは、昨夜の間に盗まれたという事か……?」
「いや、それはない。何の為に私達が外に立っていたと思っている」
「ぐっ……」
 きつく噛み締められた唇は、白くなっている。
 余程盗人に盗みを許した事が歯痒いのだろう。
「何が、いけなかったんだ……」
「盗まれた物はとやかく言っても仕方が無い」
 私は直ぐに、今回の盗みについての考察を頭の中で展開する。
 夜の間ずっと私は倉庫の周りを警戒していたのだから、超能力でも使わない限りその時に盗人は盗みを働いていないと断言できる。万が一犯人が冬瑠だと仮定してみても、それは冬瑠がずっと寝ていたという事実に矛盾するのだから、冬瑠は潔白である事も決定する。
 とすると、犯行時刻は、夕方國助がここを確認してから私達がここの警備に立つまでの、本当にごく僅かの空白時間。
 夕方は私達の担当時間であった事を含め、この結果は不甲斐ない。
「兎に角、國助殿にこの事を報告するんだ」
「ああ」
 互いに緊迫した空気を漂わせながら、私達は道化屋に足早に向かう事にした。
 のだが……
(む……?)
「いてっ」
 砂利道を早歩きで進んでいた私は、ふと足を止めた。
 すぐ後ろを歩いていた冬瑠は突然止まった私に反応出来る訳もなく、どんと背中にぶつかってくる。
「いたた……どうしたんだ、重陰」
 鼻を押さえながら不満そうに冬瑠が聞いて来たが、私はそれに即座に答える事が出来なかった。
 足下の違和感が、無視できる物ではなかったからだ。
「これは……」
 しゃがみこみ、つま先辺りにあった砂利の一つを取ってみる。
 その石は、ほんのごく僅かではあるが若干緑色に染められていた。
(苔か?)
 最初に思ったのはそれ。苔は、生息し始めた初期ではこのように薄い緑色の膜を形成する。
 しかし、指で表面を拭ってみると、その緑色はとても簡単に取る事が出来た。
 苔ではない。
 不審に思ってそれが付いている指を鼻の下に持っていくと、微かに高尚な香りがした。
 この香りには、心当たりがあった――――いや、この数日で毎日のように触れているのだから、確信さえ出来た。
「抹茶だと?」
 僅かだが冬瑠が驚いたような顔をして、間もなくさらに身に纏う緊張感を高めた。
 本当に僅かしか香らないが、間違いない。この緑色の膜の正体は道化屋の使う、日本最高級の抹茶だ。
 道の一角に多量にあるのではなく、敷かれた砂利全体に薄くかかっているのを見ると、作業中にうっかりこぼしてしまったという事ではないらしい。
 まるで、搬送中に過失で少しずつ漏れてしまったかのような抹茶の粉の散布具合だ。
 だが、倉庫に置いてある抹茶の粉は木綿の袋に入れられているのだから漏れる心配はないし、國助が粉を運ぶ時は木の箱を使用するからこれも漏れる可能性はない。
 すると、國助が倉庫にある一つ一つの袋の内容量を確認してから私達が倉庫に就くまでの間で、犯人が何か漏れやすい運搬道具を使って盗みをした、という推理が浮かぶ。
「そんな馬鹿な……」
 自分の推理を鼻で笑って片付けようとした時、閃いてしまった。
 その条件に当てはまる人間が、一人居た。




 國助は、驚くでも怒るでもなく、厳しい表情で一つ頷いただけだった。この事件が解決するまでは、盗まれていく粉を諦める決意をしているのかもしれない。
 そんな國助の渋い表情を見ると、私も早急に事件を解決しないとならない、と焦ってしまう。
 しかし、取り敢えずは暫定の犯人の尻尾を掴んだ。後は、それを放さないようにして捕らえるだけ。
 そうする為にも、兎に角今は自分の推理が確信出来る為の要素を模索しなければならないだろう。
 そう思った私は、國助に一言伝えてから町に聞き込みに向かう事にした。冬瑠や市三郎も私に同行したいと言ったが、市三郎は午前に、冬瑠は午後にそれぞれ倉庫を警備する仕事があるので、結局私一人で行く事にした。
 訪れたのは、町の中心部。つまり、山崎陣屋である。
 藩の行政の中心部というのは、常に情報で溢れている。それは、行政というのは数多の情報によって築かれた土台の上に成立しているからだ。
 そんな場所ならば、蓬組の事を始めとする私の知らない情報を、大量に所持している筈だ。
「おい、お前」
 しかし、山崎陣屋の門前まで行くと、当然のように門番に槍を突きつけられる。
 私は敵意が無い事を示す為に両手を挙げた。
「何者だ」
「突然の非礼をお詫びします。三河国刈屋藩の武士、稲垣重影と申す者です」
 刺激しないよう、極めてへりくだって名乗った。
 稲垣という姓と刈屋藩という名を聞いて、門番は睨み付けるように細くしていた目を丸くする。確かにその反応は当然であるのだが、特別扱いされる事を嫌って来た私にとって、それは多少不快な物だった。
 勿論、そのような雰囲気はおくびにも出さないが。
「では、刈屋藩藩主の……」
「ええ」
「ふむ……少し待っていろ」
 慌てたように門番が陣屋の建物に入っていき、暫く待っていると門番と共に老いた男性が姿を現した。
「これはこれは、ようこそ。行政情報担当の岡山権左衛門と申します」
 男性は、ゆっくりとした口調でそう言うと、これまたゆっくりと頭を下げる。
 腰も曲がり、背も私の胸程までしかない老人だったが、男性――――権左衛門からは、何か名状し難い貫禄を感じた。
 恐らく、二〇年程前は馬に跨って薙刀を振り回していた、剛勇な武士だったに違いない。
「丁寧な挨拶、私めには勿体ないです。三河国刈屋藩の武士、稲垣重影と申します」
 世辞ではなく、本心から尊敬の意を込めて私は挨拶をした。
 その後、権左衛門は立ち話も何ですのでと言って、私を陣屋の中へ入れてくれた。
 山崎藩の中心部に足を踏み入れるという事で私は少し緊張していたが、内装は外見以上に質素な造りだったので、必要以上に硬くなってしまう恐れは無かった。
「して、刈屋藩からわざわざお越し頂いて、私めに何の御用ですかな?」
 畳敷きの客間に通されてお互い適当な場所に座ると、間髪入れずに権左衛門は本題に切り出す。
 私も、早速その本題を持ち出す事にした。
「私は今とある事件の調査をしておりまして、少し情報が頂きたいのです」
「情報、ですか」
 情報という単語に反応したのか、権左衛門が訝しげな表情を浮かべる。
「ええ。少なくとも私よりは岡山殿の方が知っていらっしゃるのではないかと」
 それでも、権左衛門は私の要求を頷く事で了承してくれた。
 一度、私は軽く頭を下げる。
「それで、どんな情報をお求めで?」
「近年その行動が活発になって来ているという、蓬組です」
 少しだけ、権左衛門の眉間に皺が寄った。
 山崎藩の執政部でも、蓬組は悩みの種であるらしい。
「何でも、最近は蓬組は内部分裂しているのだとか。差し支えない部分だけで良いので、どうかお教え願いたい」
 今回の一連の事件に蓬組が関与しているという推測は、もはや確信しても良い域まで達した。
 そうなった時、えゐの正体が謎のままというのも気味が悪い。彼女が何かしらの鍵を握っている筈なのだが、下手に詮索をすると私達が不審者に疑われ兼ねない。
「そうですな……」
 立派に蓄えた白髭を撫でながら権左衛門は天井を見て呻き、一つ咳払いをしてからゆっくりと語りだした。
「重影さんの仰る通り、七日程前に蓬組は二つの派閥に分裂しました。山崎藩では、それぞれ積極派と消極派と呼ぶのが一般的となっております」
「それは、どのような相違点があるのですか?」
「積極派というのはいわゆる強盗犯です。自ら現場に赴き、そして制圧する。つまり、自分で犯罪を起こす派閥ですな」
「では、消極派というのは?」
「これが曲者なんですがね。ある人間を仲介して、間接的に盗みを働くのですよ。つまり、他人の弱みを握って代わりに盗みを行わせ、自分は犯罪に直接は手を染めずに物を手に入れるんです」
 ふむ、と私は考える。
 積極派と呼ばれる人間ならまだしも、確かに消極派の人間が犯人なら厄介だ。
 消極派が取る行為にはかなりの危険を伴っている。盗みを使役した相手が裏切る可能性が、いろいろな段階や状況において有り得るからだ。
 それにも関わらず敢えてその方法を取っているという事は、恐らく何らかの方法で、使役している他人に口封じを施しているだろう。そうなった時、警吏は心を読む事が出来る神ではないから、調査に詰まる事になる。
 実に巧妙だ。
 最大の問題はどうやって自分の身代わりとなる人間を騙し自らの手先にするかだと思うが、消極派の事件が絶えないという事は、言い換えてみれば彼らはその問題を難なく解決している事になる。
「積極派は数が多い代わりに証拠が沢山あるので、解決に容易いです。しかし、消極派の場合、数は少ないのですが決定的な証拠が見つからない。後者の方がかなり厄介ですなあ」
「ええ……」
 とは言え、分裂した派閥の詳細が分かったのは大きい。
 後は、そのそれぞれの拠点が何処にあるか。
「うーむ……」
 しかし、それを聞いた途端に権左衛門はあからさまに表情を陰らせた。
 もしかしたら、それは極秘事項なのかもしれない。
「失言でしたか。これは失礼致しました」
 慌てて私の質問を取り消して貰おうとしたが、権左衛門は静かに首を横に振った。
「それがですね、実は分からないのですよ」
 純粋に、それは答えられない質問であるらしい。
「二つの派閥の両方がこの藩に拠点を置いている事は調査上明らかです。しかし、藩の中で頻繁に拠点の住所を変えるので、中々位置を特定出来ないのですよ」
 特殊な方法で盗みを働いているのに、挙げ句拠点までころころと変えるというのならば、それは本当に難敵。
 額に手を添え、溜め息をつくしかなかった。




 その後も色々な場所に訪れて、尋ねては返って来た答えを分析していたが、遂に山崎陣屋で入手出来た情報の他に有益な物を得る事が出来ずに、空が茜色になってしまった。
 これ以上情報を集めようとしても、正直意味が無い。
 それに、全ての手掛かりに矛盾しない推理が、私の頭の中で一つだけ立てられていた。
 今日は、それを確認するぐらいしかする事がないだろう。
「お、重影さん。お帰りなさい」
 道化屋に戻ると、丁度國助が最後の客の精算を終わらせた所で、店内にはこれから店閉まいといった雰囲気が漂っていた。
「今日は茶屋の御仕事の手伝いが出来ず、失礼致しました」
「いえいえ。今日はそこまで忙しくなかったので、心配する事は無いです。それに、仮に忙しかったとしても、元々この人手で切り盛りしていたのですから」
 ははは、と暢気な声で國助が笑うと、まるでその声に誘われたように冬瑠が店から出てきた。
 もう午後の倉庫の番から帰って来ていたようだった。
「ただいま」
 冬瑠に笑顔を向けながら、そう声をかけた。
 だが、彼女が発した返事は、私の帰還を労う類の物でも、おかえりという言葉でもなかった。
「見てくれ、重影! こんな物を客から貰ったぞ!」
 冬瑠は、私の姿を見るや否や、目をきらきらと輝かせながら、親指と人差し指の間にその「ある物」とやらを挟んで私に見せて来た。
 今度は何をやらかしたのかと溜め息混じりに問い正そうとしたのだが、彼女の指に挟まれている物を見て説教する事を思い止まった。
 冬琉の言う「ある物」の正体は小さい玉だった。綺麗な透明をした玉の中に、蒼色の美しい波模様が埋め込まれている。
「……成程、硝子玉か」
 本来、硝子玉というのは子供の遊技に使用する物であり、その為物価はとても低い。
 他人から冬瑠が高い物を騙し取った、という構図に見られていた心配がなくなった事に、ひとまず安心した。
「今日、昼少し前程に来店した客が、要らないと言って私にくれたのだ。とても綺麗な蒼色をしていて、夜はとても気に入ったぞ」
「そうか。それは良かったな」
「ああ、本当に綺麗で不可思議だ……」
 どうやら冬瑠は硝子玉の詳しい相場を把握していないらしく、ひたすら蒼色のそれをうっとりと眺めていた。
 大して価値がある訳でもない物なので凄く複雑な気持ちになってしまうが、本人が満足をしているのだからそれでも良いかと思ってしまうから、私は他人に甘いと良く言われるのだろうか。
「あ、重影さん」
「殿! お帰りです! 首尾はいかがでしたか?」
 そして、暫く冬瑠の話に付き合っていると、残りの二人も店から姿を現した。
「ああ、山崎陣屋にて、良い情報を一つ頂いた」
「そうですか、それは良かった」
 市三郎は右腕に畳まれた赤布を掛けながら、勘一郎は手に抹茶粉が入った木箱を持ちながら。
 勘一郎の顔を見て、ふっと思い出した。
「えゐさんは?」
「今日は、いらしてないですね……」
 市三郎には聞こえないように國助の耳元で聞いてみると、國助はその理由を思案するように手を顎に当てた。
 どうしたものだろうかと一度疑問に思ったが、常識的に考えて、別にえゐは道化屋に毎日来ているという訳ではない、という事に気付いた。
 大方、何か他に用事が出来たのだろう。
 ただ、時期が時期なので、その用事を疑わざるを得ない。
「では、僕はこれで」
 話がふっと途切れた所を見計らったように――――実際見計らったのだろうが――――、勘一郎が一礼して倉庫へ向かった。
 私は、その時勘一郎の腰に、昨日同様麻袋が提げられているのを確認する。
「さて、あっし達も片付けを始めますかね」
 勘一郎が集団から抜けた後、あー今日も疲れた、と國助が体を反らしながら唸り、道化屋の店内に戻ろうとする。
 私はそれには構わず、木箱を持って歩いていく勘一郎をじっと注目していた。
「どうかしました、殿?」
 市三郎が側に寄って来て私の顔を覗き見てきたが、それを私は手で制す。
 市三郎は、私の真剣な様子に気が付いてくれたのか、続く言葉を飲み込んだ。
 やがて、勘一郎が家と家との間の路地に向かい、その姿が陰に隠れた時。
 私は背中を向けていた國助の方に向き直り、有無を言わせないような気丈な口調で言った。
「急な話で済みませんが、全員倉庫に向かって下さい。いえ、向かいましょう」
「ん?」
 突然の申し立てに、國助は道化屋に向かう足を止めて私の方へ振り返る。それに、國助だけで無く、側に居た市三郎や道化屋に入ろうとしていた冬瑠までも、私の事を目を丸くして見た。その様子を見て、少し唐突すぎただろうかと心配になる。
 しかし、私の立てた推理に従うなら、兎に角今でなければいけない。
「良いですね。行きますよ」
 その時ばかりは、私は誰からの返事も待たずに倉庫に向かって足早に歩き出す。
「ちょっと、重陰さん!?」
 きょとんとしていた國助らは、その私の言葉で焦り出してすぐに私の背を追いかけて来た。
 倉庫に急いで向かう途中、冬瑠は私に何度も質問、というより尋問をして来た。ここまで強引な私を見るのは恐らく初めてだろうから、色々聞きたい事があったのだろう。
 しかし、私はその悉くを無視し、一言も喋らないまま倉庫に辿り着く。
「急にどうしたのだ……重影は」
 倉庫に着いても尚、冬瑠は指先で硝子玉を弄びながら、そんな私を不思議そうに眺めていた。國助も、いきなりの私の行動に首を傾げている。
 しかし、私はやはり無言で。しかし、今度は音を立てないように、そっと。
 既に鍵が開いている扉に手をかけてから、私は三人の方へ顔だけ振り返り、一言だけ市三郎に忠告した。
「万が一の事があったら、國助殿と冬瑠を支えてあげてくれ」
 何の事だか分からないと言ったような顔をする市三郎に背を向け、私はその重い扉を開けた。
 そして……
「やはり、当たっていたか……」
 高尚な芳香の中に紛れて、犯人はそこにいた。
 倉庫の奥、最も古い抹茶後の木綿袋の口を開けて、中の抹茶を腰の袋に詰めている人影を見てから、私は自分の推理が当たってしまった事に改めて落胆した。
 そして、落胆を越えて絶望した者が一人。
 ――――ゴトリ
「嘘だ……」
 冬瑠は、それまで指先で弄んでいた硝子玉を落として、そのまま完璧に固まってしまった。
 落とした硝子玉は、ころころと床を転がって、床板と床板の間に引っ掛かる。
「お前……」
 國助の場合は、卒倒しなかったのが奇跡だ。
「さて、話を詳しく聞こうか」
 だが、私はこの結果を推理していた人間だ。故に、怯えない。
 私は、盗みがばれて呆然としている犯人の側まで歩み寄り、その名を静かに言った。



「勘一朗よ」








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最終更新:2012年07月01日 22:31