100人分の悲しみを下さい
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F-FIRE幻想郷伝説という小説はしまっちゃいました。
いつから、ここがF-FIRE幻想郷伝説だと錯覚していた…?
幸せを運ぶ魔女、の噂がここ最近はやっている。
いわく、永遠には続かないものの、魔女が訪れた町からは悲しみが消え去り、人々が笑って暮らすようになるらしい。いかにも、魔女のような空想上の存在に憧れを抱く小学生か、あるいはゴシップ好きの女子学生が飛びつきそうな、ロマンチックな内容である。
こういう類の噂は、得てして息が短い。大抵はつまらない日常を少しだけ盛り上げてくれる、エンターテイメントとしての役割を期待されているだけであり、幾度も口にされて摩耗した噂は人々から見限られ、次の流行が取って代わる。乗り捨てられた噂はガラクタとなり、そのまま誰からも思い出されることなく死を迎える。
その点、幸せを運ぶ魔女の噂は別格だった。なぜなら、その噂を耳にするようになって半年が過ぎたが、流行は下火になるどころか更に盛り上がっていくからだ。おそらくどこか小さい集団で生みだされたこの話は、今では日本中で話題にのぼる一大トピックにまで成長している。
理由は単純明快。
噂が単なる作り話ではなく、本当に悲しみが消え去っている町があるからだ。
それも、1回きりではなく10件ほど。
すると、実際に魔女が訪れた町を起点に、まるで竜巻のように噂が拡散していく。そうやって瞬く間に日本の興味関心を奪っていた魔女の件は、今ではちょっとした社会現象としてメディアでも大々的に取り上げられるまでになった。例えばテレビでは、毎日必ずどこかのチャンネルで魔女についての特集が組まれ、噂の流布に一役買っている。最近では、政治や経済を主に取り扱う硬派な新聞でも、一面で魔女についてのニュースを取り上げる例が散見されるようになった。
僕自身はゴシップとか都市伝説とかそういう類のものはあまり信じない人間だから、たかが噂ごときで少々騒ぎ過ぎではないかと考えている。だが、ここのところめっきり未来の日本社会に光を与えるようなニュースが減ってしまった以上、少なくとも悪い内容ではないニュースに日本中が少し浮足立っているのは、仕方がないとも思う。
魔女の噂は、都心から遠く離れた山奥の小さい町にある、僕の学校にも律儀に足を運んできた。2ヶ月ほど前から、都心と違って遊び場所が何もない田舎の退屈な学校生活に嫌気がさした女子を中心に一気に広まり、一時期は毎日魔女の話題を小耳にはさむようになっていた。
とはいえ、所詮は遠い地で起きた現実味のない話である。実感がわかないまま、又聞きした内容を半信半疑で友達で教える習慣が、そう長続きする理由もなかった。結局、魔女の話が他の話題を押しのけるほど熱狂的に口にされていたのはほんの一瞬で、今では今朝に家の畑で採れた野菜の話だの、家の敷地に鹿が出ただの、田舎臭い話題がまた教室を支配していた。
しかし、今日は違った。
多くのクラスメートが、興奮冷めやらぬ様子で魔女のことを話しているのである。
僕の学年だけかと思って教室を出てみたが、別の階でも聞こえてくる単語は魔女、魔女、魔女。しかも、今回ばかりは生徒だけでなく先生までもが、職員室の中で頬を紅潮させながら魔女のゴシップについて力説している。
何故収まりかけていた魔女の話題が今日になって突然再沸騰したのか、噂を信用していない僕でもさすがに気になった。そこで、教室の中心で黄色い歓声を上げながらお喋りに興じる女子グループの話を、自分の席から盗み聞ぎしたところ、合点がいった。
隣町に魔女が現れたらしい。
それで、とうとうこの町にも魔女が来るのでは、とみんな期待しているようだった。
僕は教室を見渡してみた。盗み聞きをした女子集団でだけでなく、クラスメートのほぼ全員が魔女の話に花を咲かせている。
その誰もが、一様に楽しそうにしているのが見て取れた。期待に満ちた顔で喜びをあらわにする人、魔女の存在を否定しつつ頬が緩むのを我慢しているのがあからさまな人、魔女の外見についてあれやこれや議論している人。グループごとに話す内容は違えども、教室に充満する空気は「楽しみ」一色だ。
その「楽しみ」の色を、僕は客席から舞台を観賞するかのように外から見つめていた。
今話題の魔女がこの町に訪れる。そして、この町から悲しみが消える。
それはとても「嬉しい」こと、そして「楽しい」ことで――――
「やっぱり、分からないな」
僕は誰にも聞かれないよう、小さく呟いた。
それからも頬杖を突いたままクラスメートの浮かれた様子を見ていると、偶然その一人と目が合った。
すると、楽しそうな笑顔を浮かべていた彼の顔から「楽しみ」の色が落ちていく。代わりに表れた表情は、「怒り」のもの。
不機嫌そうな表情に変わった彼は、すぐに僕から目を逸らしぼそっと何かを吐き捨てた。
声は聞き取れなかったものの、唇の動きでその内容が分かった。
――――むかつく
僕も彼の方から目線をそらし、窓の外を見た。
外は雲一つない快晴だ。秋晴れという言葉がしっくりくるような、10月の空。
鳩が一匹空を横切ったので目で追っていくと、窓に反射して映る僕と目が合った。
絵にかいたような無表情。
僕はため息をつくこともなく、目線を再び雲に向けた。
もし叶うなら。
幸せを運ぶ魔女に、「幸せ」というものを教えてほしい。
ふっと、そんなことが頭をよぎった。
最終更新:2018年07月20日 18:16