「Hey jude don't make it bad~♪」
そう歌いながら、隣のエンリカは楽しそうにベースギターの手入れをしている。
ここは、ドイツ・ハンブルグの裏町にある小さな楽器店。ただし、多少治安悪し。
看板には、カラースプレーのアートで「Boogie studio」と書かれている。
通称ブギ。ドイツという国には似つかわしくない、ロック専門店。
いや、ドイツにだってロックはそれなりに普及している。ただ、少なくとも僕の周辺の友人でロックをやっている人はこのエンリカくらいだ。
「So let it out and let it in,hey jude,begin♪」
訳すなら、すべてをぶちまけて、受け入れな。ジュード。で合っているな。
「だったら言わせてもらおうか。エンリカ」
「~And don't you know that its just you,hey jude,you'll do♪(自分でも分かっているだろ?ジュード、君次第なのさ)」
……まぁ分かってはいるけどさ。
「そろそろ歌うのやめてくれよ。なんだか僕に言われてるみたいですごく恥しいんだよ」
「~Hey jude don't make it bad~♪(だからさ、ジュード。悪く考えるのはやめようぜ)」
「うっ…」
世界的なロックバンド、ビートルズの名曲『HEY JUDE』の歌詞までもが、僕にメッセージを送ってるみたいだ。
「はぁ…」
「なぁ、ジュード?」
エンリカが歌うのを止めて話しかけてきた。さっきまでの軽快な声ではなく、少しだけ不安そうな声で。
「ドイツって、やっぱり私みたいな女子は浮くのかな?」
なかなか複雑な質問だった。エンリカはドイツの女子には珍しいロックンローラー。でもそれは性格だけであって、制服を着て黙っていれば普通の女子とそこまで変わりはない。ただ、口が少しだけ悪いような気がするけど。
「うーん……僕が初めて会った時はそこまで変な人だとは思わなかったけど」
「そうか?」
「うん」
「ハードロックについて語り合えるような友達できるかな?」
ごめん。それは無理。少なくとも、男子の僕ですらそこまでハードロックは知らなかったんだから、女子が知っているとは思えない。もちろん、僕の狭い交友範囲内の情報だからなんとも言えないけれど。
「少なくとも、ビートルズくらいなら知ってるんじゃないかな?」
「当たり前だろ!」
今度は殴られた。さすがにビートルズくらいは知っているか。
このハンブルグの土地は、ビートルズがまだ売れていない下積み時代を過ごした土地だということを聞いたことがある。今となってはドイツ有数の美しい都市だけれど、昔は少しだけ荒々しい男たちが集う港町だったみたいだ。まぁいまでもそんなに変わりはないと思うけど。
「それにしても、エンリカはドイツに来たばかりなのに流暢なドイツ語を話すよね」
「ん?まぁな」
そっけなくそう言うと、エンリカは再び鼻歌を刻みながら楽器の手入れを始めた。
少しだけ回想してみる。
実を言うならば、僕もエンリカもハンブルグに来たのはごく最近のことだ。
ブレーメンから、ハンブルグにある学校に編入するためにこの地にやってきたのはいいものの、さんざん迷った挙句、この治安の悪い裏町に迷い込んでしまった。
そして不良っぽい人たちに絡まれて、荷物を取られそうになった時に助けてくれたのがブギの店長だった。
いろいろと話しているうちに、店長の姪であるエンリカが同じ時期に編入するということもあり、エンリカを紹介されたっけ。店長は英語しか話せないくせに、エンリカはちゃんとドイツ語を話せたから驚いたな。
エンリカから聞いた話だけれど、昔エンリカは事故で両親を失ってから、店長と一緒にアメリカで旅をしながら生活していたそうだ。ハンブルグに引っ越ししてくるまでは、ボストンに滞在していたらしい。
過去に誘拐事件にもあったらしく、その誘拐犯が今ではブギの店員だというから驚きだ。今はまだ会ったことが無いけれど、その人がドイツに来るまでの期間、僕がアルバイトっていう形でこのお店で働いている。といっても、明日までだろうけど。
明日から、僕とエンリカは、ハンブルグにある進学校。グランデシュコール学園に編入することになっている。
このエンリカという少女は、アメリカ仕込みのロックンロール少女。男ばかりの環境で育ってきたらしく、男の僕より男らしいボーイッシュな女の子。小さな体に似合わず、生粋のベーシストだっていうから驚きだ。僕が編入するために必死になって勉強してきたのに、中等教育もまともに受けていないのにグランデシュコール学園にあっさり編入するあたり、意外に天才肌なのかもしれない。
このときの僕とエンリカは、グランデシュコール学園での出会いや、その後に起こる事件に巻き込まれていくことなど、全然予測もしていなかったんだと思う。
最終更新:2009年06月13日 04:41