2/13 AM11:12 「で…出来たぁ」 三度の爆発と四度の炎上、そして他の萌えもんセンター調理室利用の同志からの痛い視線を乗り越えてそれは完成した。 茶色を基礎とした黒光りが魅力的なのは、きっとこれに魔力があるからだだとリザードンは納得する。 予め用意しておいた箱にそれ即ちチョコレートを詰めて、ラッピングを丁寧に施す。 チョコレートを作る習慣なんてない萌えもんが、八度の失敗と引き換えに成功を手にしたのは、むしろ上出来といえる。 ついほのお萌えもんの感覚で調整してしまう加熱や冷却がないからか、ラッピングは一発で成功した。 メッセージカードも考えたが、文面を考えてる内に明日が終わってしまいそうだと却下する。 明日とは言わずもがな、リザードン流に述べるなら、 ただでさえ魔力を持つチョコレートが交友を深めるだけにその力を発揮する、聖バレンタインである。 「ミニリュウもストライクもバレンタイン自体知らなかったし、わたしだけが」 あのマスターにこの努力と魔力の塊を渡せる、と確認するよう呟く。 手渡す瞬間をシミュレーションする度に、練習しなくていいかなと不安になってしまう。 本当にミニリュウを相手にしてみたかったが、彼女はおろか他のみんなはとっくに毛布にくるまっている。 かくいうリザードンも、久々にボール内での休養を体に要求されていた。 頭では緊張と興奮がデュエットを奏でててとろんともしないけど、横になるぐらいはしたかった。 片付けと騒がしくした事のお詫びを手早く済ませ、彼女のマスターが熟睡している宿泊施設へと向かう。 宿泊施設と言っても同じセンターの待合室である。移動には五分とかからなかった。 誰かが偶然起きててチョコを見られた、チョコそのものを忘れた、そういえばレシピを間違えたのを思い出した。 そんなベタな失敗もなく、待合室のソファで無意識に毛布をとりあってる自分の仲間を簡単に見つけられた。 今日はわたしは加わらないからね、とこっそり囁きかけて、第二の家である紫色のボールに戻る。 暗闇に包まれて音も無い世界は、気分が落ち着けば眠るだけというリザードンを簡単にまどろませる。 大丈夫だよねわたし。後はもう渡すだけなんだから。 落ち着いた頭はそれでもまどろみが睡眠へと推移する瞬間にも、最後の確認を忘れない。 それはあくまで確認であって、新しい出来事への認識は行わない。 例えば机の上の書き置きとかは、もう全く意識にも入らないのだ。 2/14 AM10:07 「…ザードン。リザードン」 「ん、んんぅ」 誰かに起こされる、という経験がリザードンにはあまりない。 研究所にいた頃は好きな時間に起きれたし、今ではマスターと同じ時計のアラームで同時に目を覚ます。 しかもその声の主が、仲間ですらないセンター職員補佐のラッキーとくれば、珍事を過ぎた恥かもしれない。 目を開けると、いつの間にかボールから出ている事に気づいた。 続いて今日が何の日か電流の速度で思い出せたのは、偏に彼女の意気込みを表している。 「チョコレート!」 確か持ったままボールに入った筈だ。 弾かれるように上体を起こすと、淡いピンクが足元に転がった。 この色には覚えがある。チョコレートのラッピングだ。 「ああ、良かった」 「あらチョコレート? ご主人様にあげるの?」 「は、はい、そうです」 頭ではもう何度も反芻したのに、他人に改めて言われるとまた恥ずかしさがこみ上げてきた。 ラッキーは軽く微笑んで、リザードンにぺこりとお辞儀をする。 「おはようございます。よく眠れたかしら」 「え、ええ、はい」 「とりあえず顔を洗ってきたらどう? 目がはっきり覚めたら、貴女のご主人様から頼まれている朝食を持ってきてあげるからね」 今のでもう覚めたのだが、昨日の夜更かしでクマが出来ているかもしれない。 これまたいつの間にかかけられた毛布からのそのそと這い出て洗面所を探していると、違和感に気づいた。 自分のマスターがいない。 ラッキーが起こしてくれた珍事は、そのままマスターがリザードンを起こさなかった異常を意味する。 順番でいえば萌えもんよりそのおやが先だ。そして一人起きれば彼女が起こす必要はなくなる。 更に見回すとミニリュウもストライクも見当たらない。買出しにでもいったのか。 この不自然をラッキーに話すと、ラッキーは不思議そうに首を傾げてから 「ああそうそう。その書き置きを読ませるようにと、貴女のご主人様が」 と、ソファと一対になっているテーブルを指差した。 その真ん中に、見慣れた筆跡が真白い紙の上に乗っている。 手にとろうとして、その前に固まった。神経が一瞬にして岩にでもなったかのように。 そして久々に歯がみする。なんで自分はこう。 『リザードンへ。 明日、つまりは14日にミニリュウとストライクの健康診断にサファリにいってきます。 サファリパークで捕まえた萌えもんは、一年に一回はサファリで検査してもらわなくてはならないのです。 連れて行こうとも考えましたが、暇を玩ばせると悪いので、置いていこうと思います。 なので、明日一日は一人で自由に羽を伸ばしてください。遊べるようにお金も少し置いていきます。 二人のレベルがレベルなので、診断には時間がかかるそうです。 帰りは15日の朝になると思いますが、何かあったら連絡するので心配しないでください。 PS:何を頑張ってるかは訊かないけど、程々にな』 あの人と噛み合えないのか。 岩と化した神経が、これまた一瞬にして本来の機能を取り戻す。 それどころかリザードンのショックに応じるかのように、光の速度で四肢にある指示を送る。 考えるより先に、とは正にこの事。 ラッキーが心配の言葉をかけるその寸前に、リザードンは走り出す。 出口に向かって。サファリに向かって。 今日渡さなくては意味が無い、魔力の詰まった結晶を片手に。 2/14 PM12:49 「ダメダメ。外の萌えもんはサファリパークに入ったら危ないんだ」 「そこをなんとかお願いします。マスターに、マスターにどうして会わないと」 「どっちにしろ健康診断中のトレジャーハウスは部外者立ち入り禁止だよ」 「ならせめて言伝を」 「しつこいね君は。全く、あのトレーナーにしてこの萌えもんありだな」 「?」 「こんな女々しいリザードンを連れてるなんて、流石はあの問題児を二人もおおおおおおおおおっぢぃっ!?」 「マスターをひどく言わないでー! あと気にしてることですそれー!」 2/14 PM03:32 自分は何をやっているんだろう、と頭の片隅が呆れ返った。 無論、それで止まるぐらいならサファリの職員に引き止められた際に諦めていただろう。 ちなみにその職員は今頃、どうこのチリチリヘアーのこげた匂いと付き合おうかと真剣に悩んでいるに違いない。 悪気はなかったんだと、頭のもう一方の片隅で弁解する。 残った大部分は、目の前の哀れにすぎるパラセクトに向いていた。 「えーと。あのですね」 焦る気持ちを必死に抑えて、ミニリュウに足し算を教えてあげる時の笑顔で話し掛ける。 「ひぃ!」 だがこのパラセクトには般若かなまはげにでも見えたらしい。 相性的な意味では最悪な組み合わせの二人だが、だからといって弱肉強食の間柄ではない。 だがパラセクトは、弱肉強食の弱肉側に立ってしまったかのように体を縮め震わせている。 ならばかろうじて搾り出す声は、さながら命乞いか断末魔か。 「た、食べないで、くださいっ。せめて、燃やさないで」 「そんな事しませんってば。わたしはただ人探しをですね」 「じゃ、じゃあ、後ろの、みんな、みんな」 言葉に詰まったのはリザードンだ。 視線だけ――だってはっきりとは見たくないから――背後を振り返る。 ケンタロス。カイロス。サイホーン。それとニドリーノの群れ。 冷静になってから見ると誰が誰だかはっきりと分かる。 特に萌えもんの丸焦げは普段のバトルで見慣れているから、すっぴんより分かりやすいぐらいだ。 片隅だけを占領していた呆れている自分が増大する。 いきなり襲われたとはいえ、もう少し手加減出来なかったものだろうか。 「だ、大丈夫です。オーバーヒートしちゃってガス欠ですから。もうひのこも出ません」 安心させようと言ってみたが、今のパラセクトは最早ヒステリーを通り越していたらしい。 むし萌えもんも、当然血の気は引く。 「オーバーヒート……ひのこ……いやあああああああああああああああ!」 血の気を引いた分だけ張りあがる声量。 腰が抜けているのか逃げ出しはしないが、それが余計状況を悪化させる。 箱庭に似たこういう世界において、仲間内の結束は様々な垣根を越えて固く結ばれる傾向にある。 絶叫一つ聞こえて知らぬフリをする者など、この世界では生き残れない。 「どうしたパラセクト……誰だアンタ!」 「うわ、兄弟がやられてるぞ!」 「あたしのニドリーノがこんがり美味しそうにぃ!」 「リザードン? 新顔にしちゃ人間の匂いが強いな」 「まさかミサイル会だかレーザー組だかの刺客?」 草むらの向こうから続々と終結する、おそらくは種族の差を超えたパラセクトの仲間。 背後に転がっている数の倍と見積もったところで、リザードンは懐を見やった。 ラッピングがわずかに滲んでいる。 そういえばチョコレートは溶ける物だったと、自分を敵と認識した集団を前に、リザードンは思い至った。 2/14 PM08:22 「草の根分けても探し出せぇ!」 「第二班、第二班の消息はどうなっている!」 「賊はリザードンですが炎を使いません! しかしソーラービームに気をつけなさい!」 そのソーラービームはとうに弾切れだ。 仮に残っていても、陽が落ちた今では充電の作業にどれだけかかるか想像も出来ない。 喉が千切れるような大声は響きからまだ遠方だと分かるが、見つかるのは時間の問題だろう。 尤も、リザードンにはもう関係ない話なのだが。 草と枯れ木を繋ぎ合わせた即興のダンボールを投げ捨てる。 昔彼女のマスターが「やっぱ潜入にはダンボールだよな」と嘯いていたが、本当に役立つとは予想外だ。 数時間ぶりに背を伸ばして立ち上がる自然さを満喫しながら、目前の建物を眺める。 長い間旅をしているから、あらかたの文字が簡単に読めるのはリザードンのちょっとした自慢だ。 建物の表札には、トレジャーハウスと書いてあった。 「あの受付さんが言ってたところ、だよね」 関係者以外立ち入り禁止だと聞いたが、そんな張り紙も看板も見当たらない。 試しに二度三度木製のドアをノックしてみる。反応は無い。だが遠くから響くサファリの萌えもんの怒号が静寂を許さない。 悩んでいる余裕はない。何をどうするにもまずはマスターに会わなくては。 意を決してドアを開ける。意を決して、とは云っても、本当に診断中だと悪いと思いそっとなのだが。 「マスター…? あの、リザードンですよぉ」 かける声も弱弱しいが、中から返ってくる声はもっと弱弱しくて、リザードンには聞き取れない。 当たり前の話だ。弱弱しいも何も、返ってきてないのだから。 「ミニリュウ? ストライク?」 友達の名前も呼んでみたが、やはり反応はない。 ドアを完全に開くと、中は何もかもが真っ暗で、自分の呼びかけは吸い込まれてしまったと思うぐらいだ。 入るのは怖かったので、入り口からしっぽをかざしてみる。 すぐに外にはなかった看板を見つけた。しっぽを近づける。 「えーと……。 健康診断にご協力ありがとうございます。今年の健康診断は」 しゅうりょう、と発生しようとしたら肩を叩かれた。 一秒経つまでは反射ともしかしたらの期待に振り向いて、 一秒後に自分のマスターは羽を持っていたっけと疑った。 それは、モルフォンはにっこりと笑った。 「見ぃつけた」 無駄骨に落ち込む時間すら与えられない。 成り行きとはいえ、無闇に人を傷つけてはいけないと、当たり前の道徳を噛み締めながらリザードンは飛び退く。 彼女は見ていないが。 ラッピングの淡いピンクは、もう見る影も残っていない。 2/15AM01:54 絶対安静の萌えもんもいることだろう。 それでも、勢いに任せて開けずにはいられなかった。 「ラッキー!」 「ああ、お帰りなさい」 ちょうど真正面にラッキーの笑顔が飛び込んできたが、それどころではない。 「ど、どうで、す、? あいつは、あいつは」 リザードンは戻っていますかと、一番訊きたいことだけ呂律が廻らない。 真冬に何十分と全力疾走を続けると、人間の肺は言語を発することを放棄するらしい。 「ゲッホ、ゴッ、リザ、エッホ!」 自分の間抜けをここまで呪ったのは久しぶりだ。 ラッキーからリザードンがパニックを起こして抜け出した連絡を受けて、オレは大急ぎでセンターに戻った。 話によると、どうやらサファリパークに向かった事だけは知れたので、予定通り診断を受けて彼女を待った。 だが予定通りに話は進んでくれなかった。 当初は泊り込みの予定が、急に園内の萌えもんが騒ぎ出したのを理由に、早々に診断は打ち切られた。 その騒ぎにもあいつが絡んでいるらしい。 つまり、近くにいたのだ。 運命の糸が存在するなら、オレと彼女のはひどく絡まっていて、引こうとするとこんがらがって逆に離れるのだ。 いや、絡まらせたのは他でもないオレか。 堰きこみながらもなんとか「リザードン」と発音しようとするオレの頬を、ラッキーが両手で包み込んだ。 手の平のほんのりとした温かさが、皮膚を通して肺にまで伝わっていく。 温かさだけではない。もっと違うもの、多分萌えもんにしか分からない癒しの力も流れ込んでくる。 触れていたわずか数秒で、息はすっかり整ってしまった。 「リフレッシュって技です。どうですか? 他人にやるのはまだ慣れてないんですけど」 そう言ってラッキーは、真正面から身を横にずらした。 さっきまではラッキーが影になっていた、センターの風景が見えてくる。 その隅、昨日オレ達が寝床としたソファに、赤色を見つける。 赤色は体中包帯だらけで、本当に赤だと言えるのは、シンボルたるしっぽの炎だけだった。 リザードンは眠っていた。 「心配しなくていいですよ。怪我はどれもかすり傷ですから。 強いて問題をあげるなら、慣れない夜更かしはお勧めしない、って事ぐらいですかね」 ソファに歩み寄る。リザードンをはっきり見下ろせる位置まで。 確かに傷はそこまで深くない。どれもこの前のジム戦で出来たモノと比べればなんてことはない。 傷の様子を調べていると、懐の辺りで、泥を直方体にしたような箱が手に当たった。 泥はラッピングの色だった。やけにベタベタするそれを剥がすと、中には小さい、小指の爪程度の塊があった。 「それはですね」 ラッキーがいつの間にか後ろに立っていた。 「夜更かしの原因ですよ。昨日が何の日か、覚えていますか?」 昨日、もう一時を回っているから、実質今日か。 少しだけ考えて、あ。 「ここに帰ってきた時、それを大事そうに抱えていたんです。 もう涙と鼻水でひどい顔だった。どうしたんですかって訊いたら、なんて答えたと思います?」 ―――チョコレートが溶けちゃった。14日も終わっちゃった。 ―――ごめんなさい。ごめんなさいマスター。 「萌えもんにバレンタインの風習は本来ありませんから、よっぽど頑張ったんでしょうね。 朝にご主人様にあげるの? って訊いたら、真っ赤な顔して、そうです、って。 ……貴方は幸せ者ですよ。 愛を注ぐトレーナーはまだ分かりますけど、萌えもんにここまで想われてるトレーナーは、そうそういません」 背中越しにラッキーが微笑んでいる気がする。 オレはリザードンの寝顔をまじまじと見つめる。 涙の跡が線になっている。片方だけ指でなぞると簡単に消えた。 指をそのまま、片手で持っている箱まで持っていく。 なんとか形を保っている塊を摘んで、口に運んだ。 味なんて分からない。ここまで小さくなってはチョコかどうかの判別も難しい。 だから、受け取れるのは気持ちだけだ。 返せる感想も、気持ち以外にはありえない。 「ありがとうなリザードン」 明日サファリパークに謝りに行ったら、二人で遊ぼうか。 心で呟いて、頭を撫でる。傷を労わるように、子犬を愛でるように。 消し損ねた涙の跡がくしゃりと歪む。 「へへへ。マスター、美味しかった、ですかぁ?」 「だから分かんねぇんだよ。ちっちゃいから」 あと寝言ならもうちょっと現実離れした台詞を言え。 背後から足音が遠のく。彼女にも感謝しなくちゃいけないな。 腰のボールを見る。寝入る寸前までリザードンを案じた、二人の萌えもんが入っている。 そして目の前には、最悪の2月14日を過ごしてしまった少女の寝顔がある。 そんな空間で、オレは睡魔が強制的に意識を落とすまで、リザードンの頭を撫でていた。 これから幸せになれますようにと。ある種の魔力を祈りながら。