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木田優夫 - (2012/12/10 (月) 01:13:33) の1つ前との変更点
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**プロフィール
-選手名 -木田 優夫(きだ まさお)
-背番号 - 巨人時代 ''47''(88年~92年)→''19''(93年~97年) オリックス時代 ''20''(98年)→''11''(00年~01年)~
ヤクルト時代 ''41''(06年)→''42''(07年~09年) 北海道日本ハム時代 ''42''(10年~)
-出身地 - 東京都国分寺市
-身長/体重 - 188㎝/95㎏
-投打 - 右投右打
-球歴 - 日大明誠高-巨人(87年ドラフト1位)-オリックス-(デトロイト)タイガース-オリックス-ドジャース-マリナーズ-東京ヤクルト-北海道日本ハム
-顔文字 - ┗|´・..・`|┛
-実況板でのあだ名 - [[画伯]]
-関連用語 -
~
**ヤクルト移籍前の木田
-日大明誠高を経て巨人にドラフト1位で入団。速球派の先発で活躍し、90年には12勝をマークして最多奪三振のタイトルも獲得した。
-巨人時代はいわゆるノーコン速球派であり、チームメイトだった槙原には「木田の帽子を被るとコントロールが悪くなる」とからかわれるくらいだった。
-97年に右肘を手術し、98年にはトレードでオリックスに移籍。ストッパーとして16セーブをマークする。
-99年にFA権を行使してデトロイト・タイガースに移籍。しかし00年6月にオリックスに再移籍する。
-01年に自由契約となり、02年は腰痛の為どこのチームにも属さず治療に専念。03年にロサンゼルス・ドジャースに入団する。
-ところがシーズン開幕を前に交通事故にあい全治6週間の大怪我。04年にはシアトル・マリナーズに移籍したがメジャーでは1試合しか登板出来なかった。
-05年オフに[[古田新監督>古田敦也]]の希望で東京ヤクルトに入団。監督からは「毎日投げてもらいたい」と言われる。
~
**右のリリーフエースへ
-06年シーズン当初は[[ロケットボーイズ]]や[[高津>高津臣吾]]に繋ぐ貴重な右のリリーフとして活躍。接戦リリーフ、大量リード時のリリーフも安定してこなし重宝されていた。
-ところが[[五十嵐>五十嵐亮太]]や高津、[[吉川>吉川昌宏]]等の右のリリーフの調子が今一歩であった為、防御率1点台で安定している木田が自然と後ろに回り、~
抑えの[[石井弘>石井弘寿]]に繋ぐセットアッパーとなった。
-五十嵐が不調、石井弘が故障で2軍に降格後はストッパーに回り苦しい投手陣を助ける。~
前半戦の酷使がたたってか夏場から失点するケースが多くなったが、貴重なリリーフとして活躍。
-巨人時代は速球派のノーコンであったが、メジャーで生き残る為に「動く球」を習得し変身を遂げている。
-07年も50試合に登板し、この年崩壊気味だったリリーフ陣を助けた。
-08年は[[MOL]]の活躍で登板機会が減ったものの、3年連続で防御率3点台前半をマーク。
-09年はチーム事情から先発登板もあったが、結果を残すことはできなかった。
7月以降は中継ぎでも失点が目立ち、9月13日の中日戦を最後に一軍登板がなかった。~
10月2日に戦力外通告を受け退団。現役続行を希望し、北海道日本ハムに移籍した。
~
**急にボールが来たので
-前述のメジャー時代の交通事故を含め、衝突による怪我が多い。
-オリックス時代、キャンプでアリアスのピッチャーライナーを顔面に受ける。
-06年7月25日、試合前の練習でランニング中、キャッチボールで逸れたボールが左側頭部に当たり、~
まゆの切れ目付近から出血。病院に運ばれてその日の試合は欠場した。
~
//**実は女性?
//[[公式のニュース>http://moiki.hp.infoseek.co.jp/m/o/i/moiki/cgi-bin/wiki/index.cgi?cmd=attach&pcmd=open&file=kida%2eJPG&mypage=FrontPage&refer=%b2%e8%c7%ec]]に貼られた木田顔写真~
//#ref(gahaku.JPG)
~
**その他
-毎年クリスマスの夜に放送される「明石屋サンタ」には毎回トナカイの着ぐるみを着て登場。番組内では基本的に何も話さない。
-チーム内では画伯、キダバックス、木田図書館と呼ばれている。~
キダバックスの由来は球場入りの際いつもスターバックスで物を買ってるから。木田図書館の由来は凄い数の雑誌を買ってくるから。~
雑誌は自分で読むというより他の人が読む為に買っているらしい。
-現在もホテル住まいを継続中。理由は1人で家に帰っても寂しく、ホテルならフロントの人がおかえりなさいと言ってくれるから。
-ヤクルト移籍当初、簡単なゴロをあまりにも必死に処理した為に[[城石>城石憲之]]等に馬鹿にされていた。
-06年オフに背番号を41から42に変更したが、これはメジャー時代に42番が付けられなかった為。~
(メジャーでは黒人初のメジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソンに敬意を表して彼が付けていた42番は全球団欠番にしている)~
「メジャーではできないことをしたかった」と本人の希望で実現した。
~
**年度別成績
, 年度 , チーム , 試合 , 勝利 , 敗北 , セーブ , 投球回 , 三振 , 四死球 , 自責点 , 防御率
, 1987 , 巨人 , -, -, -, -, -, -, -, -, -
, 1988 , 巨人 , -, -, -, -, -, -, -, -, -
, 1989 , 巨人 , 8, 2, 1, 0, 37.0, 26, 15, 19, 4.62
, 1990 , 巨人 , 32, 12, 8, 7, 182.2, 182, 55, 56, 2.71
, 1991 , 巨人 , 19, 4, 7, 1, 50.1, 44, 33, 36, 6.44
, 1992 , 巨人 , 29, 3, 6, 0, 93.1, 87, 36, 47, 4.53
, 1993 , 巨人 , 35, 7, 7, 2, 131.2, 97, 41, 49, 3.35
, 1994 , 巨人 , 28, 6, 8, 1, 87.2, 61, 39, 48, 4.93
, 1995 , 巨人 , 40, 7, 9, 0, 121.2, 97, 39, 46, 3.40
, 1996 , 巨人 , 33, 7, 9, 2, 123.2, 99, 39, 52, 3.78
, 1997 , 巨人 , 39, 2, 2, 7, 49.2, 53, 24, 13, 1.99
, 1998 , オリックス , 36, 4, 7, 16, 97.1, 74, 40, 50, 4.62
, 1999 , タイガース , 49, 1, 0, 0, 64.2, 50, 34, 45, 6.26
, 2000 , タイガース , 2, 0, 0, 0, 2.2, 0, 0, 3, 10.12
, 2000 , オリックス , 24, 3, 3, 3, 41.1, 31, 19, 26, 5.66
, 2001 , オリックス , 13, 2, 1, 1, 19.1, 18, 9, 8, 3.72
, 2003 , ドジャース , 3, 0, 1, 0, 12.0, 8, 3, 4, 3.00
, 2004 , ドジャース , 3, 0, 0, 0, 4.2, 5, 2, 0, 0.00
, 2004 , マリナーズ , 7, 0, 0, 0, 9.2, 5, 6, 9, 8.38
, 2005 , マリナーズ , 1, 0, 0, 0, 2.0, 0, 0, 1, 4.50
, 2006 , 東京ヤクルト , 56, 3, 5, 8, 58.1, 47, 21, 20, 3.09
, 2007 , 東京ヤクルト , 50, 1, 3, 2, 48.2, 44, 25, 17, 3.14
, 2008 , 東京ヤクルト , 19, 2, 0, 0, 20.2, 12, 11, 7, 3.05
, 2009 , 東京ヤクルト , 30, 3, 4, 0, 48.2, 31, 22, 30, 5.55
, , 日本通算 , 491, 68, 80, 50, 1212, 1003, 468, 521, 3.87
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**プロフィール
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-選手名 -木田 優夫(きだ まさお)
-背番号 - 巨人時代 ''47''(88年~92年)→''19''(93年~97年) オリックス時代 ''20''(98年)→''11''(00年~01年)~
ヤクルト時代 ''41''(06年)→''42''(07年~09年) 北海道日本ハム時代 ''42''(10年~12年)
-出身地 - 東京都国分寺市
-身長/体重 - 188㎝/95㎏
-投打 - 右投右打
-球歴 - 日大明誠高-巨人(87年ドラフト1位)-オリックス-(デトロイト)タイガース-オリックス-ドジャース-マリナーズ-東京ヤクルト-北海道日本ハム
-顔文字 - ┗|´・..・`|┛
-実況板でのあだ名 - [[画伯]]
-関連用語 -
**ヤクルト移籍前の木田
----
-日大明誠高を経て巨人にドラフト1位で入団。速球派の先発で活躍し、90年には12勝をマークして最多奪三振のタイトルも獲得した。
-巨人時代はいわゆるノーコン速球派であり、チームメイトだった槙原には「木田の帽子を被るとコントロールが悪くなる」とからかわれるくらいだった。
-97年に右肘を手術し、98年にはトレードでオリックスに移籍。ストッパーとして16セーブをマークする。
-99年にFA権を行使してデトロイト・タイガースに移籍。しかし00年6月にオリックスに再移籍する。
-01年に自由契約となり、02年は腰痛の為どこのチームにも属さず治療に専念。03年にロサンゼルス・ドジャースに入団する。
-ところがシーズン開幕を前に交通事故にあい全治6週間の大怪我。04年にはシアトル・マリナーズに移籍したがメジャーでは1試合しか登板出来なかった。
-05年オフに[[古田新監督>古田敦也]]の希望で東京ヤクルトに入団。監督からは「毎日投げてもらいたい」と言われる。
**右のリリーフエースへ
----
-06年シーズン当初は[[ロケットボーイズ]]や[[高津>高津臣吾]]に繋ぐ貴重な右のリリーフとして活躍。接戦リリーフ、大量リード時のリリーフも安定してこなし重宝されていた。
-ところが[[五十嵐>五十嵐亮太]]や高津、[[吉川>吉川昌宏]]等の右のリリーフの調子が今一歩であった為、防御率1点台で安定している木田が自然と後ろに回り、~
抑えの[[石井弘>石井弘寿]]に繋ぐセットアッパーとなった。
-五十嵐が不調、石井弘が故障で2軍に降格後はストッパーに回り苦しい投手陣を助ける。~
前半戦の酷使がたたってか夏場から失点するケースが多くなったが、貴重なリリーフとして活躍。
-巨人時代は速球派のノーコンであったが、メジャーで生き残る為に「動く球」を習得し変身を遂げている。
-07年も50試合に登板し、この年崩壊気味だったリリーフ陣を助けた。
-08年は[[MOL]]の活躍で登板機会が減ったものの、3年連続で防御率3点台前半をマーク。
-09年はチーム事情から先発登板もあったが、結果を残すことはできなかった。~
7月以降は中継ぎでも失点が目立ち、9月13日の中日戦を最後に一軍登板がなかった。~
10月2日に戦力外通告を受け退団。現役続行を希望し、北海道日本ハムに移籍した。
**ヤクルト退団後
----
-北海道日本ハムでは10年から12年までの3年間プレー。~
10年は21試合に登板し5勝を挙げたが、11年は3試合、12年は1試合のみの登板となった。
**急にボールが来たので
----
-前述のメジャー時代の交通事故を含め、衝突による怪我が多い。
-オリックス時代、キャンプでアリアスのピッチャーライナーを顔面に受ける。
-06年7月25日、試合前の練習でランニング中、キャッチボールで逸れたボールが左側頭部に当たり、~
まゆの切れ目付近から出血。病院に運ばれてその日の試合は欠場した。
//**実は女性?
//[[公式のニュース>http://moiki.hp.infoseek.co.jp/m/o/i/moiki/cgi-bin/wiki/index.cgi?cmd=attach&pcmd=open&file=kida%2eJPG&mypage=FrontPage&refer=%b2%e8%c7%ec]]に貼られた木田顔写真~
//#ref(gahaku.JPG)
**その他
----
-毎年クリスマスの夜に放送される「明石屋サンタ」には毎回トナカイの着ぐるみを着て登場。番組内では基本的に何も話さない。
-チーム内では画伯、キダバックス、木田図書館と呼ばれている。~
キダバックスの由来は球場入りの際いつもスターバックスで物を買ってるから。木田図書館の由来は凄い数の雑誌を買ってくるから。~
雑誌は自分で読むというより他の人が読む為に買っているらしい。
-現在もホテル住まいを継続中。理由は1人で家に帰っても寂しく、ホテルならフロントの人がおかえりなさいと言ってくれるから。
-ヤクルト移籍当初、簡単なゴロをあまりにも必死に処理した為に[[城石>城石憲之]]等に馬鹿にされていた。
-06年オフに背番号を41から42に変更したが、これはメジャー時代に42番が付けられなかった為。~
(メジャーでは黒人初のメジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソンに敬意を表して彼が付けていた42番は全球団欠番にしている)~
「メジャーではできないことをしたかった」と本人の希望で実現した。
~
**年度別成績
, 年度 , チーム , 試合 , 勝利 , 敗北 , セーブ , 投球回 , 三振 , 四死球 , 自責点 , 防御率
, 1987 , 巨人 , -, -, -, -, -, -, -, -, -
, 1988 , 巨人 , -, -, -, -, -, -, -, -, -
, 1989 , 巨人 , 8, 2, 1, 0, 37.0, 26, 15, 19, 4.62
, 1990 , 巨人 , 32, 12, 8, 7, 182.2, 182, 55, 56, 2.71
, 1991 , 巨人 , 19, 4, 7, 1, 50.1, 44, 33, 36, 6.44
, 1992 , 巨人 , 29, 3, 6, 0, 93.1, 87, 36, 47, 4.53
, 1993 , 巨人 , 35, 7, 7, 2, 131.2, 97, 41, 49, 3.35
, 1994 , 巨人 , 28, 6, 8, 1, 87.2, 61, 39, 48, 4.93
, 1995 , 巨人 , 40, 7, 9, 0, 121.2, 97, 39, 46, 3.40
, 1996 , 巨人 , 33, 7, 9, 2, 123.2, 99, 39, 52, 3.78
, 1997 , 巨人 , 39, 2, 2, 7, 49.2, 53, 24, 13, 1.99
, 1998 , オリックス , 36, 4, 7, 16, 97.1, 74, 40, 50, 4.62
, 1999 , タイガース , 49, 1, 0, 0, 64.2, 50, 34, 45, 6.26
, 2000 , タイガース , 2, 0, 0, 0, 2.2, 0, 0, 3, 10.12
, 2000 , オリックス , 24, 3, 3, 3, 41.1, 31, 19, 26, 5.66
, 2001 , オリックス , 13, 2, 1, 1, 19.1, 18, 9, 8, 3.72
, 2003 , ドジャース , 3, 0, 1, 0, 12.0, 8, 3, 4, 3.00
, 2004 , ドジャース , 3, 0, 0, 0, 4.2, 5, 2, 0, 0.00
, 2004 , マリナーズ , 7, 0, 0, 0, 9.2, 5, 6, 9, 8.38
, 2005 , マリナーズ , 1, 0, 0, 0, 2.0, 0, 0, 1, 4.50
, 2006 , 東京ヤクルト , 56, 3, 5, 8, 58.1, 47, 21, 20, 3.09
, 2007 , 東京ヤクルト , 50, 1, 3, 2, 48.2, 44, 25, 17, 3.14
, 2008 , 東京ヤクルト , 19, 2, 0, 0, 20.2, 12, 11, 7, 3.05
, 2009 , 東京ヤクルト , 30, 3, 4, 0, 48.2, 31, 22, 30, 5.55
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, 2011 , 北海道日本ハム , 3, 0, 0, 0, 4.0, 3, 2, 2, 4.50
, 2012 , 北海道日本ハム , 1, 0, 0, 0, 1.0, 0, 1, 0, 0.00
, , 日本通算 , 516, 73, 82, 50, 1269.2, 1036, 497, 551, 3.91
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