木田優夫

プロフィール


  • 選手名 -木田 優夫(きだ まさお)
  • 背番号 - 巨人時代 47(88年~92年)→19(93年~97年) オリックス時代 20(98年)→11(00年~01年)
           ヤクルト時代 41(06年)→42(07年~09年) 北海道日本ハム時代 42(10年~12年)
  • 出身地 - 東京都国分寺市
  • 身長/体重 - 188㎝/95㎏
  • 投打 - 右投右打
  • 球歴 - 日大明誠高-巨人(87年ドラフト1位)-オリックス-(デトロイト)タイガース-オリックス-ドジャース-マリナーズ-東京ヤクルト-北海道日本ハム
  • 顔文字 - ┗|´・..・`|┛
  • 実況板でのあだ名 - 画伯
  • 関連用語 -

ヤクルト移籍前の木田


  • 日大明誠高を経て巨人にドラフト1位で入団。速球派の先発で活躍し、90年には12勝をマークして最多奪三振のタイトルも獲得した。
  • 巨人時代はいわゆるノーコン速球派であり、チームメイトだった槙原には「木田の帽子を被るとコントロールが悪くなる」とからかわれるくらいだった。
  • 97年に右肘を手術し、98年にはトレードでオリックスに移籍。ストッパーとして16セーブをマークする。
  • 99年にFA権を行使してデトロイト・タイガースに移籍。しかし00年6月にオリックスに再移籍する。
  • 01年に自由契約となり、02年は腰痛の為どこのチームにも属さず治療に専念。03年にロサンゼルス・ドジャースに入団する。
  • ところがシーズン開幕を前に交通事故にあい全治6週間の大怪我。04年にはシアトル・マリナーズに移籍したがメジャーでは1試合しか登板出来なかった。
  • 05年オフに古田新監督の希望で東京ヤクルトに入団。監督からは「毎日投げてもらいたい」と言われる。

右のリリーフエースへ


  • 06年シーズン当初はロケットボーイズ高津に繋ぐ貴重な右のリリーフとして活躍。接戦リリーフ、大量リード時のリリーフも安定してこなし重宝されていた。
  • ところが五十嵐や高津、吉川等の右のリリーフの調子が今一歩であった為、防御率1点台で安定している木田が自然と後ろに回り、
    抑えの石井弘に繋ぐセットアッパーとなった。
  • 五十嵐が不調、石井弘が故障で2軍に降格後はストッパーに回り苦しい投手陣を助ける。
    前半戦の酷使がたたってか夏場から失点するケースが多くなったが、貴重なリリーフとして活躍。
  • 巨人時代は速球派のノーコンであったが、メジャーで生き残る為に「動く球」を習得し変身を遂げている。
  • 07年も50試合に登板し、この年崩壊気味だったリリーフ陣を助けた。
  • 08年はMOLの活躍で登板機会が減ったものの、3年連続で防御率3点台前半をマーク。
  • 09年はチーム事情から先発登板もあったが、結果を残すことはできなかった。
    7月以降は中継ぎでも失点が目立ち、9月13日の中日戦を最後に一軍登板がなかった。
    10月2日に戦力外通告を受け退団。現役続行を希望し、北海道日本ハムに移籍した。

ヤクルト退団後


  • 北海道日本ハムでは10年から12年までの3年間プレー。
    10年は21試合に登板し5勝を挙げたが、11年は3試合、12年は1試合のみの登板となった。

急にボールが来たので


  • 前述のメジャー時代の交通事故を含め、衝突による怪我が多い。
  • オリックス時代、キャンプでアリアスのピッチャーライナーを顔面に受ける。
  • 06年7月25日、試合前の練習でランニング中、キャッチボールで逸れたボールが左側頭部に当たり、
    まゆの切れ目付近から出血。病院に運ばれてその日の試合は欠場した。

その他


  • 毎年クリスマスの夜に放送される「明石屋サンタ」には毎回トナカイの着ぐるみを着て登場。番組内では基本的に何も話さない。
  • チーム内では画伯、キダバックス、木田図書館と呼ばれている。
    キダバックスの由来は球場入りの際いつもスターバックスで物を買ってるから。木田図書館の由来は凄い数の雑誌を買ってくるから。
    雑誌は自分で読むというより他の人が読む為に買っているらしい。
  • 現在もホテル住まいを継続中。理由は1人で家に帰っても寂しく、ホテルならフロントの人がおかえりなさいと言ってくれるから。
  • ヤクルト移籍当初、簡単なゴロをあまりにも必死に処理した為に城石等に馬鹿にされていた。
  • 06年オフに背番号を41から42に変更したが、これはメジャー時代に42番が付けられなかった為。
    (メジャーでは黒人初のメジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソンに敬意を表して彼が付けていた42番は全球団欠番にしている)
    「メジャーではできないことをしたかった」と本人の希望で実現した。

年度別成績

年度チーム試合勝利敗北セーブ投球回三振四死球自責点防御率
1987巨人---------
1988巨人---------
1989巨人821037.02615194.62
1990巨人321287182.218255562.71
1991巨人1947150.14433366.44
1992巨人2936093.18736474.53
1993巨人35772131.29741493.35
1994巨人2868187.26139484.93
1995巨人40790121.29739463.40
1996巨人33792123.29939523.78
1997巨人3922749.25324131.99
1998オリックス36471697.17440504.62
1999タイガース4910064.25034456.26
2000タイガース20002.200310.12
2000オリックス2433341.13119265.66
2001オリックス1321119.118983.72
2003ドジャース301012.08343.00
2004ドジャース30004.25200.00
2004マリナーズ70009.25698.38
2005マリナーズ10002.00014.50
2006東京ヤクルト5635858.14721203.09
2007東京ヤクルト5013248.24425173.14
2008東京ヤクルト1920020.2121173.05
2009東京ヤクルト3034048.23122305.55
2010北海道日本ハム2152052.23026284.78
2011北海道日本ハム30004.03224.50
2012北海道日本ハム10001.00100.00
日本通算5167382501269.210364975513.91









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最終更新:2012年12月10日 01:13