プロフィール
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選手名 -本間 忠(ほんま ただし)
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背番号 - 66(00年~06年)
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出身地 - 新潟県
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身長/体重 - 187㎝/90㎏
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投打 - 右投右打
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球歴 - 日本文理高-日本文理大中退-野田サンダーズ-東京ヤクルト(99年ドラフト6位)
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顔文字 -
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実況板でのあだ名 - ポンマ
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関連用語 -
入団前の本間
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高校時代に捕手から投手に転向し、2年次からエース。3年夏には新潟大会準決勝までチームを導いた。
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日本文理大進学後、肘を故障し大学を中退。家業の大工を手伝いながら、野田サンダースで野球を続ける。
98年には全日本クラブチーム選手権に出場(初戦敗退)、99年北信越大会では決勝で敗れるも敢闘賞を受賞。
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98年に巨人の入団テストを受けて合格するもドラフトされず、99年にヤクルトの入団テストを経て晴れてプロ野球選手となる。
異色の経歴
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大工の家業を手伝いながら野球を続けた本間は、「大工ルーキー」などと呼ばれて一時注目を集める。
一般人解答者として出演していた『クイズ赤恥青恥』(TX系)では、ドラフト前後の本間の表情が全国放送された。
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晴れてプロ野球選手となった本間であったが、ドラフトの一ヶ月前には父・末松さんが急逝。
息子のプロ入りを楽しみにしながら亡くなった父のために、プロ入り時の契約金で墓を建てた。
かゆいところに手が届く活躍
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00年はルーキーながら29試合に登板、チームの貴重な中継ぎとして活躍。
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01年は怪我もあって登板数を減らすが、チームの苦しい時期を先発や中継ぎで助ける。
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その後は二軍生活が長かったが、05年序盤には戸田のローテーション投手として復活を遂げ、シーズン後半には1軍でナイスリリーフを見せた。
角度のある直球とスライダー、癖球を武器に06年以降の活躍も期待されていた。
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06年は故障もあり、10月3日の大量粛清で戦力外通告を受ける。2軍でも貴重な右腕であり、解雇は意外であった。
コーチとして
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07年から09年まで、新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの投手コーチを務めた。
現在は野田サンダーズのコーチとなっている。
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最終更新:2010年09月16日 00:24