プロフィール
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選手名 - ウラディミール・ラモン・バレンティン(Wladimir Ramon Balentien)
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背番号 - 4(11年~)
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出身地 - オランダ領アンティル・キュラソー島ウィレムスタッド
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身長/体重 - 185㎝/100㎏
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投打 - 右投右打
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球歴 - セント・ポール・コーリション(キュラソー島学校)-マリナーズ-レッズ-東京ヤクルト
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顔文字 - 未定
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実況板でのあだ名 - バレ、バレちん
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関連用語 -
入団前
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5歳頃から父や兄の影響で野球を始め、アマチュアチームでプレー。
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00年、16歳でマリナーズに入団。03年にはルーキーリーグで16本塁打を放ち、本塁打王を獲得。
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04年、オランダ代表としてアテネ五輪に出場。予選リーグで日本とも対戦している。(下記参照)
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06年・07年には2年連続でマイナーのオールスターであるフューチャーズゲームに出場。
3Aで24本塁打を放った07年9月に初のメジャー昇格を果たし、デビュー戦のヤンキース戦では初打席で2点タイムリーツーベースを記録した。
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08年、マイナーで開幕を迎えるが2選手の解雇により4月末にメジャー昇格。71試合で7本塁打を放つが、79三振で打率.202と低調。
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09年、前年と同様打撃が上向かず、マイナー選手の昇格に伴い、7月に解雇。ウェーバー公示中にトレードでレッズに移籍。
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10年、レッズ傘下3Aで打率.282・25本塁打・78打点・12盗塁と走攻の面で結果を出すもメジャー昇格はならなかった。
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10年オフ、右の長距離砲を探していたヤクルトに入団が決定。4番のホワイトセルと共に中軸での活躍が期待される。
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獲得時のサンスポ報道ではマリナーズ時代にイチローと左中間を守っていた事からイチローの同僚として大きく紹介された。
ヤクルト時代
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春季キャンプでは変化球・ストライクゾーンと日本独特の技術に悩み、練習試合やOP戦での実戦でも調子が上がらないまま実戦テスト期間が終了してしまった。ところが3月11日に発生した東日本大震災の影響でリーグ開幕戦が延期となり再調整を行った結果、広島とのチャリティーマッチで2発4打点と爆発した。4月12日の巨人との開幕戦から6番ライトで出場し、5試合連続安打・4月6本塁打と上々のスタートを切る事に成功した。
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5月12日の横浜戦で1試合3本塁打を放つ。1本目はリーグ最速となる10号ソロ、2本目はバットを真っ二つに折りながら楽々とスタンドまで運ぶ2ラン、3本目は1点差から引き離すバックスクリーン右へ打ち込む2ランと驚異的な能力を示すには十分すぎる結果であった。この試合前後から他球団ファンからも化物・チート扱いをされ始め、交流戦突入前に首位ターンを成功させたチームの立役者として試合中継やスポーツニュース番組でも大きく取り上げられるようになった。
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ここまで最高のスタートを切ったが、6月の交流戦から長いトンネルに突入。6月14日の西武戦で岸から16号2ランを放ってから何と39打席連続無安打というドツボにはまる。7月1日の広島戦でエース前田健から40打席ぶりの安打となる17号ソロや、7月5日の巨人戦での来日初サヨナラヒット等復調の気配を見せているのだが、前半戦終盤時点では春先の調子を取り戻してはいない。打撃の不調に連動して外野守備での痛恨のミス・走塁ミスが発生し、5番というチャンスに回ってくる打順ながら三振・併殺・四球が取れないといった状況からファンの間でも流石に苛立ちが見え始め、実況板でも半ば自動アウト扱いとなっているのが現状である。
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最終的に31本のホームランを放ち本塁打王となるが、打率.228、三振131と粗さも目立つ内容であった。
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12年は故障による離脱もあったが、本塁打数は前年と同じ31本で二年連続の本塁打王になった。ベストナインにも選出された。
プレースタイル
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打撃では圧倒的なパワーが注目されるが、状況に応じてヒットを打つ柔軟さも持ち合わせる為に打率も高い。勝負を決める打撃が多いが、得点圏打率は低いという変わった選手でもある。
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守備では外野を無難にこなし、特に肩はマリナーズ時代にイチローと比較された様にヤクルト外野手陣の中でもトップクラスである。
その他
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出身地のオランダ領キュラソーはかつて95年ヤクルト日本一に貢献したヘンスリー・ミューレンと同郷である。野球を始めた時期にミューレンがヤンキースでメジャーデビューし、バレンティンがマイナーの頃に指導を受けていたと縁もある。ヤクルト入団後もこれに関連し、当時のミューレンの応援歌をバレンティンが引き継ぐという形が取られている。
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04年にオランダ代表としてアテネ五輪に出場し、予選リーグでヤクルトのアテネコレクション4人が出場していた日本とも対戦している。
バレンティンは7番レフトで先発出場したが、岩隈・黒田の前に4打数3三線と完全に抑えられ、チームも3対8で敗れてしまった。
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07年のメジャー初打席はMLB史上タイ記録となる「1イニング5人目の代打」として登場するという変わった物であった。
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チーム内でのあだ名は幼い頃から家族に呼ばれていた「COCO(ココ)」
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11年4月21日の中日戦で決勝2ランを放ち初のお立ち台となった時、ホワイトセルからシェービングクリームを塗りたくったタオルを顔に直撃させられた。
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趣味はTVゲーム(プレイステーション)で、沖縄キャンプにはPS3を持ち込んでレースゲームでチームメイトと親睦を深めたいと語っている。
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東スポ「特出しの1枚」(紙面に載せなかった写真コーナー)で取り上げられた事もある。
http://www.tokyo-sports.co.jp/tokudashi.php?sid=13801 (リンク切れ)
【目撃】おいおい、一体どこを見ているんだよ! そんな突っ込みを思わず入れたくなるようなしぐさを見せたのが、ヤクルトのバレンティンだ。
24日に神宮球場で行われたソフトバンク戦の試合前、取材に訪れたTBS・青木裕子アナウンサーの胸元をジーッと凝視(左下の囲み写真)。
これに悩殺されてしまったのか、青木アナが持参した握力測定器をギュッと握っても、ほとんど力が入らず、数値は上がらなかった。
この生々しい“突起”を見れば誰だって、そうなるでしょう…。
アメリカ時代の成績
http://www.thebaseballcube.com/players/B/wladimir-balentien.shtml
日本での年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
2011 | 東京ヤクルト | 140 | 486 | 63 | 111 | 22 | 1 | 31 | 76 | 63 | 131 | 3 | .228 |
2012 | 東京ヤクルト | 106 | 353 | 58 | 96 | 13 | 0 | 31 | 81 | 67 | 92 | 1 | .272 |
| 通算 | 246 | 839 | 121 | 207 | 35 | 1 | 62 | 157 | 130 | 223 | 4 | .247 |
タイトル
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セントラル・リーグ本塁打王:2回(11年:31本)(12年:31本)
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セントラル・リーグベストナイン(外野手):1回(12年)
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セントラル・リーグ月間MVP:2回(11年5月度・12年3、4月度)
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「ジョージア魂」賞(Bi-Weekly賞):11年第3回
代表歴
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アテネオリンピックオランダ代表(04年)
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最終更新:2012年12月07日 23:08