プロフィール
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選手名 - 七條 祐樹(しちじょう ゆうき)
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背番号 - 42(11年~)
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出身地 - 宮崎県東臼杵郡北浦町(現:延岡市)
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身長/体重 - 180㎝/85㎏
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投打 - 右投右打
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球歴 - 延岡工-日産自動車九州-伯和ビクトリーズ-東京ヤクルト(10年ドラフト2位)
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顔文字 -
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実況板でのあだ名 - バカボン、チリガミ
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関連用語 -
入団前
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小学3年生で野球を始める。
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延岡工では3年春のセンバツに出場。秋田経法大付に完投勝利で1回戦を突破。しかし続く浦和学院戦で須永英輝(日本ハム→巨人)の前に封じ込まれ、七條も完投するが7失点と完敗。
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3年夏は県大会決勝で日章学園に敗れる。卒業後は日本文理大への進学も考えたが、社会人の日産自動車九州に入社。
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06年、都市対抗に出場するJR九州の補強選手に選出されたが、登板は無かった。アマ日本代表候補にも入ったが、肘の故障で夏以降の登板機会は減少。
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07年、故障から復帰しMAX148km/hをマークしてプロ7球団からも注目されたが、ドラフト指名はならなかった。
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09年、所属する日産自動車九州の廃部の為、バッテリーごと広島の伯和ビクトリーズに移籍。都市対抗2次予選では28回2失点で4勝をマークする等エースとして活躍。社会人8年目にして念願の東京ドーム進出を果たした。
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都市対抗1回戦ではかずさマジックを4安打10奪三振で完封し、チームの都市対抗初勝利に貢献。続く2回戦の住友金属鹿島戦では延長10回を1失点に抑えたが、タイブレークが導入される延長11回に4失点を喫して敗退となった。
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10年ドラフトでヤクルトから2位指名を受け、入団となった。
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ドラフト指名後に開催された日本選手権1回戦のJX-ENEOS戦では雨の為制球を乱し、6回途中6失点KOとアマ最終登板は悔いの残る結果となってしまった。
ヤクルト時代
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春季キャンプでは新人で唯一1軍入りを果たし、先発ローテ入りは確実視されていたが、練習試合で右肩痛となり開幕1軍入りはならなかった。
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故障後は戸田で調整を続け、5試合2勝0敗防御率1点台と抜群の成績で6月末に1軍昇格。6月28日の巨人戦で初登板初先発を果たし、7回1失点の好投でプロ初勝利をマークした。ヤクルト新人のプロ初登板初先発での巨人戦勝利は史上初の快挙であり、フルカウント8回で無四球という変わった成績も残した。
その他
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入団時はドラフト同期で同名の斎藤佑樹(日本ハム)が「ハンカチ王子」と騒がれているのに対し、「チリガミ王子」と称される。
アマ時代からこの愛称はあったらしく、社会人時代のチームメイトから「ハンカチよりチリガミが似合う」と言われたからである。
本人も「力があって、面白いと思われる選手」を目指しており、チリガミ王子と呼ばれるのは嬉しいと語っている。入寮時にはちり紙を紙吹雪のように投げるパフォーマンスも披露している。
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日産自動車九州時代は顔が似ているからという理由で「バカボン」と呼ばれており、伯和ビクトリーズ移籍後は会社が経営するパチンコホールでバカボンの台を見たり、TVの再放送を見ていたという。
入団時には天才バカボンのテーマを神宮での登場曲にするプランも検討していると話した。
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「趣味は後輩いじり」と話す様な明るい性格であり、新人入団発表会では最年長の26歳という事もあってか他の選手が緊張する中、巧みなトークを披露していた。
新人の中で最年長の七条は「お兄さん的存在。でもノリもいい。外から寮の2階にいる七条さんに『チリガミ王子~』って呼んだら、窓から斎藤佑樹の真似をして無言で手を振ったり。みんなを笑かしてくれる」と同じ新人の佐藤貴規は話す。
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さらに発表会終了後は伯和ビクトリーズ後援会員の竹原慎二・畑山隆則と2人のボクシング世界王者が激励に訪れ記者の注目を集めていた。
年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 投球回 | 三振 | 四死球 | 自責点 | 防御率 |
2011 | 東京ヤクルト | 10 | 4 | 0 | 0 | 46.1 | 36 | 16 | 27 | 5.24 |
2012 | 東京ヤクルト | 6 | 2 | 3 | 0 | 30.0 | 12 | 14 | 14 | 4.20 |
| 通算 | 16 | 6 | 3 | 0 | 76.1 | 48 | 30 | 41 | 4.83 |
タイトル
日本代表歴、アマ時代の実績
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最終更新:2012年12月12日 16:15