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『弁論術』

引用文献→『弁論術』

定義

『弁論術』アリストテレス、岩波文庫

一人読書会

p.23:裁判官を怒りや妬みや憐れみの情に誘いこみ、その判断を歪めるなどということは、あってはならないからである。なにしろそれは、これから使う物差しをいびつなものにするのと同じことだから。・・その事実が重大なことか些細なことか、とか、正しいことか不正なことか、といった点は、立法者が予め法に規定している場合を除き、裁判官が自分でそれを判別すべきであって、係争当事者たちから教えて貰うべきでないことも、明らかなことである。

  1. 最近の日本の法廷は、変な方向に向かっている。マスコミが、それを、あたかも正当な正義を実現する手段であるかのごときに、煽っている。

p.24:目の前にある特定の事柄について直に判定を行う・・際、これらの人々にはしばしば好悪の感情や個人的利害が癒着してしまっているため、真実を十分に見究めることはもはや不可能で、個人的快苦の情がその判定にかげりを落すようになる。

  1. 理論的問題に対する判定と具体的問題に対する判定では、理論的判定のほうが容易であり、具体的判定を適切に行うのは、ヒトが好悪の傾向を持つモノであるが故に、困難である。

p.28:われわれが厳密な学問的知識を持っていても、相手によっては、その知識をもとに語ったのでは説得が容易でない場合があるからである。なぜなら、このような知識に基づいた言論は教えることが目的であるが、そのような相手に対しては教えるという方法に訴えることは不可能であって、むしろ世間一般の見解に立って説得と弁論を行わざるをえないからである。

  1. yes

p.29:同じ自分の身を守ることができないというのでも、身体を使ってそれができないのは恥ずべきことであるのに、言論を用いてできないのは恥ずべきでないとしたら、これはおかしなことである。

  1. うーむ・・。たけ(tk)も家畜化された発想なのかな・・。
  2. 「自分の身を守ることが・・プログラミングを用いてできないのは恥ずべき」

p.29:もし、言論のそのような力は、不正に用いられるなら、それのもたらす害は大きいものとなろう、というようなことが言われるとしても、この非難は、徳を除けば、善いもののどれについても、とりわけ体力、健康、富、統率力などのように最も有用とされるものについても、共通にあてはまることなのである。

  1. 「徳を除けば」というのが、よく考えられているね。
  2. 「プログラミングのそのような力は、不正に用いられるなら、・・」

p.29:(弁論術の)それ本来の仕事が説得をなしとげることそのことにあるのではなく、それぞれの問題にふさわしい説得の方法を見つけ出すことだ、ということも明らかである。なぜなら、たとえば医術であるが、その仕事は病人の健康を完全に取り戻すことにあるのではなくて、健康回復の可能なところまで病人を導くことにあるからである。

  1. 当たり前のことなのだが、当たり前の道理をわきまえない論者が多すぎるのだ。
  2. 当たり前のことを、当たり前であると説得する技術が、弁論術なのかもね。

p.32:言論を通してわれわれの手で得られる説得には三つの種類がある。すなわち、一つは論者の人柄にかかっている説得であり、いま一つは聴き手の心が或る状態に置かれることによるもの、そうしてもう一つは、言論そのものにかかっているもの

  1. Webアプリを通してわれわれの手で得られる説得には三つの種類がある。すなわち、
    1. 一つはサイトの信用性にかかっている説得
    2. いま一つは聴き手の心が或る状態(欲・得・快・楽、真・善・美、好き嫌い)に置かれることによるもの、
    3. そうしてもう一つは、言論そのもの(コンテンツ、プリゼンテーション方法)にかかっているもの

p.33:説得手段を駆使することは、(1)論理的に推論できる者、また(2)人柄や徳について考察ですることができる者、そして第三に、(3)感情について、感情のそれぞれがそもそも何であり、いかなる性質のものであるか、また何が因(もと)でどのようにして聴衆の心の中に生じてくるのか、を考察できる者が、よくするところである。

  1. Webプリゼンテーションでも同じ。

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最終更新:2007年11月17日 12:22