正式名称 |
Republic of Singapore(英語)Republik Singapura(マレー語)新加坡共和国(中国語)சிங்கப்பூர் குடியரசு(タミル語) |
国旗 |
#ref(Flag_of_Singapore.svg) |
国の標語 |
Majulah Singapura マジュラ・シンガプーラ(マレー語: 進めシンガポール) |
国歌 |
進めシンガポール |
公用語 |
英語,マレー語,北京語,タミル語 |
国家元首 |
|
首都 |
|
最大都市 |
|
面積 |
698km² |
総人口 |
4,353,893人 |
公式略称 |
新・新嘉坡・星港 |
通貨 |
$・ドル |
人種 |
華人76.7%,マレー人14.0%,印僑7.9% |
宗教 |
仏教,道教,イスラム教,キリスト教,ヒンドゥー教 |
主要産業 |
製造業(エレクトロニクス,化学関連,バイオメディカル,輸送機械,精密器械),商業,ビジネスサービス,運輸・通信業,金融サービス業 |
国名
正式名称は,Republic of Singapore(英語),新加坡共和国(中国語),Republik Singapura(マレー語),சிங்கப்பூர் குடியரச(タミル語)。
通称は,Singapore(英語),新加坡,星加坡(中国語,旧称:新嘉坡),Singapura(マレー語),சிங்கப்பூர்(タミル語)。
国名の意味は,サンスクリット語で「ライオンの町」。マレー語の発音スィンガプラは,この地原産のネコの種類名シンガプーラとして知られる。
地理
東南アジアのほぼ中心,赤道直下の北緯1度17分,東経103度51分に位置する。北のマレー半島とはジョホール海峡で隔てられている。半島とは鉄道でも結ばれ経済交流も盛んである。シンガポール・チャンギ国際空港は島の東端に位置する。島の南に隣接するセントーサ島は,リゾート地としての開発が進んでいる。
63の島からなり,もっとも大きな島はシンガポール島(東西42km,南北23km)である。国土の最高地点はシンガポール島にあるブキッ・ティマ(163m)。シンガポール島には沖積平野が広がる。他の島はいずれも小さく,44の島は面積が1平方kmを下回る。国土面積は世界最下位,人口密度は世界第1位である。
シンガポール川沿いには放棄された倉庫が立ち並んでおり,貿易港として栄えた時代の名残となっている。シンガポールには山と呼べる高さの山は無いため川の流れは非常に緩やかで,人々が蟹や魚を採っているのをたまに見かけることができるが,川の流れが緩やかなこともありその水質はあまり良くない。
歴史
トマセック
シンガポールに関する歴史的な記述で最も古いものは3世紀の中国の文献における,Pu-luo-chungである。シュリーヴィジャヤ王国の勢力化の下,その後7世紀頃には漁村トマセックとして知られ,複数の航路が合流するマレー半島の先端に位置するという地理的条件も加わり,様々な国の船舶が寄港していた。
マジャパヒト王国の宮廷詩人であったプラパンチャが14世紀に書いた『王朝栄華物語』にマジャパヒト王国の服属国としてトマセックの名は見られ,少なくとも14世紀まではこの名で呼称されていた事が伺える。また,同時期に書かれた中国の旅行家汪大淵による旅行記『島夷誌略』にも「海賊を生業とする住民が住み,外国船も寄港していた」ことなどが記されている。
シンガプーラ
その後,14世紀末にはサンスクリット語で「ライオンの町」を意味するシンガプラという名称が定着し,現在のシンガポールの由来となっている。何故名称の変更が発生したかについては諸説あり,マジャパヒト王国の属国地の通称である説,「シンガ」は寄港を意味し,単に寄港地という一般名称であったとする説,シュリーヴィジャヤ王国の王子が動物をライオンと見間違えてつけたとする説などがあるが,シンガポールではスマトラより来訪したサン・ニラ・ウタマによって建設され,この名がつけられたとする説を通説としている。
丁度この頃より,マジャパヒト王国とシャムの間でシンガプラを含めたマレー半島の覇権を巡る争いが激化し,パレンバンの王子パレメスワラはこの争いに巻き込まれる。マジャパヒト王国の侵攻を逃れる為マレー半島を転々としていたパレメスワラは1402年,マラッカ王国を建国しシンガプラをその支配下に治めた。
マラッカ王国は1511年にポルトガルの侵攻を受け滅亡し,マラッカ王国の一部の商人や王族はシンガプラへと移っていった。しかしシンガプラ自体も1613年,ポルトガルの徹底的な攻撃を受け,町は壊滅状態となった。こうしてその後300年以上もの間,シンガプラは表舞台から姿を消し,再び漁民と海賊の住む寂れた漁村となった。
イギリスによる植民地支配
トーマス・ラッフルズ1819年1月,人口わずか150人のこの島に,イギリス東インド会社で書記官を務めていたイギリス人トーマス・ラッフルズが上陸を果たす。ラッフルズはシンガプラの地理的重要性に着目し,1819年2月6日,当時島を支配していたジョホール王国より商館建設の許可を取り付けた。名称を英語風のシンガポールと改め,都市化計画を推し進めた。1824年には植民地としてジョホール王国から正式に割譲がなされるとともに,オランダもイギリスによる植民地支配を認めることとなった。
無関税の自由港政策を推し進めたこともあり,5年の間にシンガポールの人口は1万人を突破し,急速に発展していった。既に所持していた港町ペナンと,1824年に新たに獲得したマラッカとともに1826年にシンガポールは海峡植民地に組み入れられ,1832年にその首都と定められた。
イギリスによる植民地となった後は,同じくイギリスの植民地であるインドやオーストラリア,中国大陸などとの間でのアヘンや茶などの東西交易,三角貿易の中継地点としての役割にとどまらず,背後に存在する同じくヨーロッパ諸国の植民地下にあったマレー半島のマラヤ連邦州などで産出された天然ゴムやすずの積み出し港としても発展する。この時期に,すず鉱山,天然ゴムなどのプランテーションにおける労働力,港湾荷役労働者,貿易商,行政官吏として,中国(主に福建省や広東省,潮州,海南島などの中国南部),インド(主に南インドのタミル語圏),現在のインドネシアなどから多くの移民がマレー半島,シンガポールへ渡来し,現在の多民族国家の起源となった。
シンガポールを含むマレー半島では,イギリスの植民地支配下において,これらのインドや中国からの労働力を背景に経済的には発展が進んだものの,マレー人を中心とした在来住民や移民労働者による自治が認められない隷属状況が続き,20世紀に入った後には,一部知識層の間において独立の機運が高まることとなる。
政治
国会
国会議事堂国会は1院制。任期5年。解散あり。定数は選挙区選出83,非選挙区選出0~6,任命9。非選挙区選出は野党懐柔のために設けられた枠で,選挙区選出枠以外は憲法改正案,予算案の議決権を持たない。
選挙区は当初は単純小選挙区制であったが,現在は小選挙区9,定数5~6の集団選挙区14(75議席)となっている。集団選挙区は中選挙区制の一種だが,各政党は定数一杯の候補を立てる必要があり,有権者は政党に投票するため無所属での立候補はできない。最多得票を獲得した政党が議席を総取りする方式である。
供託金は,候補者1人当たり13000シンガポールドルで,供託金没収点は有効得票÷定数の8分の1である。
外交
防衛・安全保障
法律・司法
経済
農林水産業
鉱業
工業
金融業
公定歩合
国際経済
科学技術
物価水準
交通
航空
鉄道
道路
海運
民族
言語
宗教
文化
祝祭日
教育
スポーツ
メディア
報道の自由
食文化
最終更新:2008年12月21日 12:43