目次
概要
国旗 |
|
国の標語 |
|
国歌 |
|
公用語 |
フィリピノ語 |
首都 |
マニラ |
最大都市 |
マニラ |
国家元首 |
パンチョ大統領 |
政府 |
|
面積 |
|
総人口 |
|
GDP(自国通貨表示) |
|
GDP(MER) |
|
建国 |
共和元年5月(ターン347) |
通貨 |
|
国名
ボルシェビケ共和国が正式名称だが、政治的立場に関係なく「フィリピン」の名称は普通に使われている。
地理
歴史
ボルシェビケ革命
革命直前のフィリピンは、まさにこれをカオスと言わずして何を言うのかという状況であり、人々が頼れる政府は存在せず匪賊や怪しげな宗教結社がそれにとってかわって相争い、首都マニラは荒廃を極めていた。そんな中で次第に広まっていったのが、ボルシェビスモである。当初は華人などの一部の間にしか広まっていなかったが、中国革命の影響も受けて徐々にその支持者が増え、地方の軍閥や匪賊の中にも革命支持を打ち出すものが出始めた。ボルシェビスモの高まりとともに革命を担う党を組織する動きが加速し、ボルシェビスモの提唱者であるホセ・ラクソンと、長年ゲリラ的活動を続けていた軍閥指導者のパンチョ司令官・ワウラン司令官の三者が合同、ここにボルシェビケ党が誕生した。
ボルシェビケ党は結党直後からルソン島の解放を目指す戦いを開始、ここにボルシェビケ革命が勃発した。ボルシェビケ党の革命軍はマニラを支配する軍閥ゲボウ司令官の軍を壊走させるなど破竹の勢いで進撃していたが、この頃から党内の不一致が目に見えるようになってきた。元来、ボルシェビケ党は様々なグループの野合によって成立したもので、当然の事ながら革命の当初からその組織や方針は玉虫色で曖昧模糊としていた。革命の進展にともなって各地の軍閥や匪賊を吸収していくにつれてますます党組織の混乱は拡大、ついにはワウラン司令官のクーデターに繋がってしまう。このクーデター自体はすぐに鎮圧されたものの、革命軍はマニラ進撃を一旦中止せざるを得なかった。しかし、革命の勢いは止められず、翌年には早速行動を再開するのであった。
共和国の成立
ボルシェビケ革命軍はマニラに入城した。数年来無政府状態だったマニラの市民は荒んでいたが、革命軍最精鋭部隊の整然とした行進を見て、彼らの心は未来への期待と不安とで満たされたことだろう。実際、先発隊を追って入城してきた二線級の革命軍部隊は軍規も緩く暴力沙汰などのトラブルが絶えなかったし、共匪たちは市民を全員マニラから追放するという噂も流れていた。しかし、これまでの無秩序と久方ぶりの平和を比べれば天と地とほどの差があることもまた事実であり、市民達の関心はその平和がいつまで続くか、ということにあった。
そんな市民達の関心をよそにして、革命軍内部では政府作りのための駆け引きが続いていた。大統領職には革命の第一功労者であるパンチョ司令官が就任するということでまとまったが、その下の閣僚ポストについては各派とも少しも譲るつもりはなかった。(書きかけ)
地域・行政区画
代表的な都市
政治
ボルシェビケ革命とボルシェビケ革命党
社会主義を建前とするボルシェビケ革命党によって指導されたという点で、ボルシェビケ革命は社会主義革命といえないこともない。しかし実際のところ、共産主義者や自由主義者・民族主義者・単なる暴徒まで、実に様々な主義主張を持った人々がボルシェビケ革命党の旗の下に集っていたのであり、彼らに共通する革命の大目的は「民族の独立」であった。ボルシェビケ革命党内部の状況は革命後も基本的に変わっておらず、主張の多様さは革命によってむしろ激化したとさえいえる。
ボルシェビスモ
ボルシェビスモはいわゆる科学的社会主義の影響も受けているとされるが、実際の政治上の必要によってころころその内容が変わり、思想体系のようなものは存在しない。ホセ・ラクソンの唱えたボルシェビスモを区別して純正ボルシェビスモと呼ぶとすれば、今日のボルシェビスモは純正ボルシェビスモが節操無く革命諸勢力(革命諸党派や革命軍閥、革命マフィアまで)の主張を取り入れたものと言うことができる。
ボルシェビケ党の指導者たち
ボルシェビケ党が革命を戦う中で台頭したのが「パンチョ司令官」である。本名さえ不明な彼は貧農の出身であったといわれているが、革命前夜の混乱の中で匪賊の頭目となって暴れまわり、ついには革命軍の総司令官・臨時大統領にまで登りつめた。彼は政治や陰謀だとか思想や弁舌だとかではなく、単純に軍事的な才能によって成功した人物である。伝統的な宗教結社カワン会の会員としても知られる。
党を思想の面から支えているのがホセ・ラクソンで、パンチョ司令官の台頭にともない地位は後退したものの相変わらず党内の序列第二位を占め続けている。彼は富裕階級の出身であり、パンチョ司令官を始めとする武闘派とは対立することも多いが、農民層からの支持が厚いパンチョ司令官と違って国民的な人気があり、それが彼の政治的安全を保障していると言えよう。
外交
防衛・安全保障
武力として、ボルシェビケ革命軍(陸軍・海軍・空軍及び防空軍)が存在する。
中華人民共和国の武器を輸入して近代化を進めている。
法律・司法
無法時代には全国統一の法は存在しなかったが、革命後には各種の法律の制定が進められている。人民裁判の制度も取り入れられたが、それは革命党の期待した効果ではなく、伝統的な社会の力関係が法廷に持ち込まれるという効果をもたらした。
経済
革命以前には、「原始時代」同然の経済状況などと揶揄されることもあったが、実際には地方軍閥などによって独自の経済政策が行われていたので、それなりに鉱山開発や工場の建設は進んでいた。しかし、それは結局各軍閥の支配範囲に留まるものであり、また、軍閥は決して良心的で有能な経営者などではなく、鉱山や工場を他国に売り払って自分はそのおこぼれにありつこうとするものも多かった。もちろん、これらの現象は単に「反動軍閥」に限るものではなくて、「革命軍閥」の支配地域であっても似たような感じではあった。
革命後は、混合経済的な経済運営が行われており、重工業や重要な資源については徐々に国有化または民族資本化が行われている。目下の焦点は、農地解放にある。
交通
民族
多民族国家であり、紛争の火種は多い。現在のところ、それらの火種はボルシェビケ革命党の武力により押さえ込まれているが、むしろそれによって火種の下にある爆薬の威力は増しているといえる。
言語
公用語として、タガログ語をもとにしたフィリピノ語の普及が進められている。
宗教
文化
その他
年号「共和」について
ボルシェビケ共和国の建国年1991年を紀元とする年号。ただし、政府・党の公式文書などでしか使われておらず、民衆レベルではあまり使われていない。
外部リンク
最終更新:2009年03月14日 02:18