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プロローグ

長い眠りから、目覚めたような気分だった。

気がついたとき最初に聞こえたのは、大量の水滴が地面に降り注ぐ音。次に気がついたのは、自分が固い地面に倒れていること。
初めて体全体に受ける雨は予想以上に重く、痛かった。



神の紋章が安置してあるここ、カステル共和国首都タングート。その中央地区にあるルチアーノ軍学専門学校の正門前に、俺は倒れていた。目を覚ましたときには、天候は大雨で、朦朧とした意識の中でひどく寒かったのを覚えている。なぜ自分がここに倒れていたのか、自分はどこから来て何者なのか、家族や親戚はどこにいるのか、そういった自分の素性に関わることがすべて記憶から消えていた。偶然ここで転んで、頭を打った拍子に記憶が吹っ飛んだと考えるのが妥当なのだろうか?しかし、それではこのタングート中探しても肉親らしき人が一人も見つからないのはおかしい。以前の記憶だけがスッポリ抜けている。

自分は一体何者なんだろうか…?



もう一度目を閉じたら、意識は暗闇に引きずりこまれるんだろうと思った。必死に瞼を押し上げ、立ち上がろうとしてみる、が、ピクリとも動けない。まるで自分の体ではないみたいだった。
降り注ぐ悪意ある雨は、俺の体温を容赦なく奪っていく。踏んだり蹴ったりだなと思った。記憶はないし体は動かないし死にそうだし。

…まだ生きたい。

過去の記憶があろうがなかろうが、生に対する執着心というのは関係ないらしい。迫りくる暗闇に包まれないように必死に意識を保とうとする。
すると突然、雨音が変化した。この重くくぐもった音は、そう、傘をさしている時に聞こえる音だ。誰か来たのだろうか。この際誰でも良い、早く助けてほしい。
「…え?人が…。」
激しい雨音の間に、確かに声が聞こえた。助かった…。
顔に降る雨が無くなった。どうやら傘で雨を遮ってくれているらしい。助かるのか…だけど、もう意識を保つことは…無理そうだ…。あとは…この人に…すべてを託そう…。
「…大丈夫…ですか?」
暗闇に包まれる寸前に聞こえた声は、凄い豪雨の中でもはっきりと聞こえた。凛として透き通るような声は優しさを帯びていた。



次に目を醒ましたのはベッドの上でだった。羽毛が入っているのだろう、フカフカの手入れの行き届いた白いベッド。どうやら助かったらしい。
…助けてくれたのは、やはりあのときの人だろうか。感謝しても感謝しきれない。
「ん…?お、目が覚めましたか。」

ちょうどベッドの足元辺りから声が聞こえた。もそっと起き上がり寝ぼけ眼で声の主を確かめる。そこにいたのは、長い黒髪を頭の上でお団子状にした個性的な髪型を有している、大人の雰囲気を漂わせる笑顔を浮かべた女性だった。
「ふむ…。まぁ聞きたいことは山ほどありますが、とりあえずなんか食べます?それとも湯にします?それとも…?」
最後の文のところでなぜか赤くなる女性。狙ってやってるのか素でやっているのか、判断し辛い表情だ。
「え…いや、その…。」
なんて反応していいか分からず口ごもってしまった。その反応が気に入ったらしく、女性はニッコリと笑顔になった。…ちょっとドキッとしてしまった。いや、待て…何やってんだ俺。顔をぶんぶんと振って雑念を振り払う。
「あ、あの…ここは…。俺は一体…。」
この状況だ、俺が何を言いたいのか誰でも分かるだろう。女性も察してくれたのだろうか分からないが、その笑顔は崩れない。
「ん~、言いたいことは分かります。ですが今は、先ほど申した通り先に食事や湯を済ませましょう。話の途中で倒られても困りますから。」
…確かに、あの雨の中ずっと倒れていたのだ。今頃体中の疲労具合が蘇ってきた。このまま寝るのも手だが、彼女の言う通りに栄養と体の暖かさを頂戴しよう。
「あ…はい、ではお願いします。」
彼女はまたニッコリした。お気に召す返答をするとこうなるらしい。
「はい、分かりました。では付いて来て下さい。…あ、申し遅れました。私、ネリス…ネリス=ルチアーノです。よろしく。」
これが、ネリス学校長との出会いだった
最終更新:2009年06月21日 23:23