-むつ市 総合病院-
蕗が雪の下で芽吹く季節になっただろうか。青森の雪は毎日のように降り、山と大地を白く化粧していく。雪雲に覆われ灰色の空の下、眠気から解放される。
「知らない天井だ」
目を開けると質素な天井と蛍光灯が視界に入る。部屋の中もシンプルでTVとクローゼット、窓際に種類はわからないが綺麗な花が置かれている。下半身はなぜか力が入らず、動こうとしても身体が自由に言う事を聞かない。なぜここで寝ているのだろう……思考が回らない頭をグルグル動かし最後の記憶を呼び戻す。
「…私死んでないのか?」
少しずつ思い出す。上陸戦から通信所の攻防戦、吹雪の中敵の狙撃手に反撃をするも脚を撃たれそのまま気を失ったことまで…
今の状況を知りたい。ここは病院なのか捕虜収容所なのか。 天国か地獄か。
「くっ……」
ナースコールのボタンに手が届いたので何度か押して呼びだす。
「どうされましたか?」
女性の声が返ってくる。
「起きたので…誰か…部屋に…」
「少々お待ち下さい」
数分もしないうちに白衣を着た医師と看護師が数名部屋に入ってきた。名前などを聞かれ意識や記憶の検査をされ、血圧計や聴診器で身体を調べられたところで今の自分の状況を聞けた。
左の太ももに7.62x51mm NATO弾を受けるも、弾は貫通して動脈なども逸れたとのこと。出血がひどいものの、すぐに自衛隊に処置されて病院に運ばれたために命に別条はないが、麻酔がまだ抜けていないので動くのはしばらく先で、当面は車いすや松葉杖が必要らいい。
医者の説明を聞き終えてしばらく入院生活を強いられるのが残念なのと、戦場で相手に舐められたまま終わったのが悔しくそんな自分に腹が立って仕方がない。部下の犠牲の上に私は生き延びてぬくぬくと入院生活などできるのか。
「失礼します」
タイミングを計ったかのように一人の女性が入室する。女性と言うよりは同年代の少女だろうか。まず目に入るハイビスカスの様に赤く、サイドテールで肩まで伸びるその髪はもふもふしている。瞳も赤く、笑顔がとても似合っていた。ベージュのコートに白いマフラー、スカートはコートに隠れているが黒いストッキングを履いているのは確認できる。
「後は私が引き続きますので、先生方はお戻りになってください」
軽く医療従事者をあしらい部屋から追い出すとマフラーとコートを脱いでベッド側のパイプ椅子に座った。膝の上にブランケットのようにコートを広げる。
「はじめまして、私のことは”イベリコ”と、もちろん本名ではありませんが、列記とした貴女の身元引受人、お世話役として北方より派遣されました」
自己紹介と共に深々とお辞儀をする。とても礼儀がよく、丁寧な娘だ。
「退院されるまでは身の回りの世話をすべて担当します。また、医療関係者以外との話し合いも私が仲介します」
「まて、身元引受人と言ったな?私は軍属、戦時下でここは自衛隊の病院か何かじゃないのか?少なくとも捕虜だぞ」
「……残念ながら貴女はあの場にいなかった事になっておりまして、ここは民間の病院です」
「どういうことだ?説明しろ」
「落ち着いて下さい。起きたばかりですし、怪我をされていますからあまり無茶は」
「無茶も承知、こちらは部下もなにもかも失ったのだぞ」
「……幼少時代より反政府組織に体術、格闘技、剣術、射撃などを仕込まれ少年兵として紛争地を転々とする。テロ行為、虐殺などに関与したとも言われるも、組織が壊滅し傭兵団となった今北方政府に雇われ北海道に移住する。本名…」
ファイルから取りだした資料で私の経歴を読み始める
「なにが言いたい」
「世間的にまずいのです。年端もいかない少女が正規兵の戦う戦場にいるなど 」
「それは普通だった」
「日本、先進国ではそんな事はあり得ないのです。貴女を回収した自衛隊はさぞ困惑したそうですよ?精神に強いダメージを負った若い隊員がすでにPTSDの症状を訴えているとか だから人道支援団体や各種団体から非難を受ける前に貴女の姿を消して、あの場には 大人 しかいなかった事にしようと両政府の決定がなされました」
「両政府……?おいおい、今戦時下だろう そんな悠長な話し合いをする暇は」
「先ほど起きられたのでお伝えしましょう。この戦いは終わりました」
「えっ」
「劣勢だった日本が通信所を奪還し、増援を受けたとこで沿岸まで反撃して北方軍を後退させ、海上で小競り合いが続いていましたが日本政府が無駄な争いは避けたいと和平を提示し承諾されました」
「そして現場の片付けに追われる自衛隊、軍が貴女の扱いに困りました。条約や刑法ではいろいろグレーゾンがありますから。困った政府から頼まれ交渉などを仕事にしてる私が派遣され今に至ります」
「で、私は今後どうなる?」
「軍属から削除、過去も普通に高校まで通った経歴にすり替えられます。普通の少女として生活を送って戴きます」
「過去を捨てろと?」
「それが政府、大人の選択です」
「……考えさせてくれ」
「ええ、今日はこのくらいにして休まれた方がいいでしょう。こちらに着替えが入っていますが、下着だけでも取り換えますね」
「やめ、自分でできる」
「まだ麻酔が効いて動けないはずです。強がらないでください。」
「ちょ、まって 自分ででき、やめっ」
強制的に着替えさせられる。全裸にされながら。
「あとお花も替えておきますね。ではまた明日、おやすみなさい」
-病室-
事情も事情で民間病院、そして個室が与えられて少しは楽に過ごしている。地上7階からの窓から見渡す白い街並み 窓辺の花が少し心を休ませる。となりでニコニコしながら林檎の皮を剥いている小娘がいなければ、
「できました!うさぎさん」
器用に林檎を切りこんで兎に見立てた形に仕上げてお皿に並べる。とても楽しそうである。
和平のニュースはTVで連日取り上げられ、嫌というほど観た。新聞も週刊誌もどれも同じ話題だ。やはり国の内部がいきなり独立して戦争をしてくるなどこの平和国家誰もが想像しなかった事だ。昨日聞かされた事と、ニュースを観て情報を整理し、少しずつ冷静にはなってきたが、納得いかない事がまだ多くあり、眠れない夜が続く
「食べないんですか?」
りんごを齧りながら聞いてくる。
「身体が物を受け付けない……」
「聞きましたよ?食事摂ってないって。 せめて果物でもお腹に入れてください」
「……水と塩分があれば生きれる」
「そんなロボットみたいな事言って、ロボットは物食べませんか いいや、じゃあ気分転換に病室を出てお散歩しましょう!」
「散歩って、歩けないし」
「私が車いすを押します」
「そんな、恥ずかしい」
「決めたら準備していきますよ?このコート羽織って、今車いす準備します」
言われるがままにコートを羽織って介助してもらいながら車いすに移る。人に押してもらうと不思議な感覚だ。
ナースステーションに寄って許可を取ってからエレベーターで一階に下り、玄関へと向かう。自動ドアが開いた瞬間、冷たい空気が防寒具を身につけていない顔に吹き付ける。
「まだ寒いですね」
「別に…」
除雪はされているものの圧雪した雪の上進んでいく。歩く事数分で少し小高い丘の公園に到着した。そこも雪で覆われており、樹木には枯れ葉も残らない殺風景な場所だと感じる。
「あちらを観て下さい」
公園端のフェンスへ近付くと眼下に広がるむつの街と海が目に入った。
「…きれい」
「やっぱりそう思いますか?数日歩きまわってここを見つけたんです!公園は雪だけでなにもないけど、この陸奥湾を一望できて、蒲田や青森のまで見渡せます。この湾内は湖みたいで不思議です。」
湾を囲む山とちらほら見える集落に港 どれも雪化粧をしていてもしっかり区別できる。病院から出た時に雪は降りやみ、軽く太陽が出た。雲の隙間から差し込む光は幻想的だ。
「普通靄がかかったりしてあそこまで見えないはず…君は運がいいのか?」
「そうなのかもしれません。もしくは女の感?」
彼女は少し笑いながら答える きっと下見と天気予報を入念に調べたのだろう
しかし寒い。なにか飲み物でも欲しいとこだが。
「冷えますね。 少し待っててください」
彼女は自販機へ走って行った。 踏み固められた雪は氷のように硬く、いかにスパイク付きのスノーシューズを履いてる彼女でも走れば滑る。 そしてお尻から転倒する。
「おい、大丈夫か」
「えへへ、少し焦りすぎました」
立ち上がりお尻についた雪を叩きながら自販機で何かを購入して戻ってくる。
「おまたせ、 ミルクティーしかなかったけどよろしかったですか?」
「温かいのなら文句はない」
受け取った缶は熱いが冷え切った手を温める。 少しずつ飲むと身体の芯から温められる感じがした。そして改めて見渡すこの綺麗な景色に心を癒される。
「今少し笑いましたね?」
缶を片手にひょこっと顔を覗いてくる。
「そ、そんなことは」
身体が温まって少し気が緩んだか、表情を戻す。
「紅茶を飲んで景色を眺めている時、とても楽しそうで嬉しそうな表情でした」
飲み物を買うタイミング、笑った瞬間、すべて見透かされたように彼女は私に合わせて接してくれる。
「なぜ私にここまでする?」
「それがお仕事だから」
「本音は?」
「貴女を救いたい それだけ」
多くも語らずただ一言で答えた。少し彼女に対しての考えを改めなくてはならないようだ。その行動と気遣いはただ業務的に接しているのではなく、本心なのだろう と
「少し冷えた 帰ろうイベリコ」
「はい、帰ったらまた温かいお茶を入れます」
-7F 廊下-
脚の傷も多少はよくなり、松葉杖で出歩きリハビリを積極的に行った。唯一の取り柄である身体が満足に動かせなくてはどうにもならない。
「は、いーち、にー ゆっくり動かして下さい」
なぜ専門の技師ではなく彼女なのだろうか。 と疑問に思う。もちろんリハビリの時間などは技師が付くが、トイレや売店へ歩く時は彼女が常に面倒をみてくれる。
「このくらい」
強がった瞬間転倒した。
売店で飲み物と生活雑貨を購入し部屋に戻る。 日が暮れてすっかり夜になっていた。
部屋には女性ファッション雑誌やぬいぐるみが置かれている。これはすべて彼女が持ち込んだものだ。ベッドに腰掛けビニール袋を開ける。
「この程度言ってくだされば買ってきますのに」
「自分で買うことに意味があるの。 支給品ばかりじゃ色気がない」
「病院の売店ですからその色気も毛が生えた程度ですけど」
クスクスと笑いながら新しい下着を開封して洗濯かごに入れる。新品をそのまま着用するより一度洗濯する派だったりする。二人で過ごす時間も長くなり距離も近付いて会話が弾むようになる。私はこんな会話をする人間じゃなかったはずだが
「明日は北方の事務官と会談してからになりますので少し遅くなります。申し訳ございません」
しんみりとした顔で彼女は立ち上がりコートを手に取った。
「毎日朝から通ってるんだ。別に一日くらい遅れてもいいし、少しは休んだらどうだ?」
「そんな訳には」
「私は多少は動けるし、お風呂とかは看護師がいる。忘れた?ここ病院だよ?」
「貴女がおっしゃるなら…お言葉に甘えて…」
「そうしな。 たまには一人で過ごす時間も必要だ」
「はいっ、ありがとうございます!」
何かを思いついたのか違う笑顔で返事を返す
「では明日はお休み頂いて、明後日にいつもの時間に」
「待ってるから。 じゃあ」
頭を下げ部屋を出る彼女に私はどんな表情をしていただろうか
-病室-
気付けば起きた時から彼女はいた。ずっと 私が食事をせず断っても笑顔で別の物を用意して栄養を取らせ、散歩に連れ出し、流行りの服などが載った雑誌も大量に持ち込んだ。以前の私からは想像もできない程「女子」の部屋になっていた。一張羅のシャツとパンツ、必要な分の新聞程度しかないまるで牢獄のような自宅とは別世界だ。
「もし、このまま一緒にいれたらこんな楽しい毎日が送れるのか」
そんな事を呟いて考える。学校にも行かず戦地で生活し、教養もない私に一般の生活ができるのだろうか。軍から追い出された今どうやって収入を?そもそも退院したら彼女は仕事を私の世話、仕事が終わるのだからどこかに帰るのでは。
「いけない、考えすぎた」
少し頭を冷やすために久しぶりの車いすに乗り、外出許可を貰ってあの時連れらた公園へ向かった。松葉杖では雪上は危険なので車いすを漕ぐが滑る路面に手間取る。彼女は自分の足元を気にしながら搭乗者に心配をかけない押し方をしていたのか 改めて彼女の存在の大きさとその技量に感服しながら海の見える公園に到着した。天気はかるく雪が降り、陸奥湾は白くかすんでなにも見えない。
「いつも見られる訳でもないのか」
ブレーキをかけ、防寒具に吐息をかける。その息は白く、舞い散る雪の中を漂う
ただひたすらにぼーっと景色を眺めて心を落ちつける。それだけ なのに心は落ち着かず、頬を熱い何かが流れる。
この脚も治り、歩けるようになれば彼女はもういなくなる。知らない場所で就けるわからない仕事をしながら暮らさなければならない。食事も長い時間食べれるのか?お腹一杯、満足になるまで。これまで食事は栄養が摂れるカロリーメイトのようなレーションやパンなどが中心でいつでも戦えるように分とかからず終えていた。食事をこんなに楽しく、大切だと思ってもいなかった。イベリコが言うには「病院食なんて美味しくない」らしいが私には入院生活毎日の中でどんな献立でなにが食べれるのかとても楽しみになっていた。
食事だけでもない、イベリコや看護師さん、先生と会話するのも楽しくなった。会話なんて苦手でできないと思っていたのに
雪は次第に本降りとなり、じっと海を眺める私に積っていく
なぜ 今になってこんな簡単な幸せに気付けなかったのだろう?満足していたのではなく、ただ自分の殻に籠って塞ぎこんでいただけだ。殻を破り、手を引いてくれたのは誰でもないイベリコだ。
「会いたい」
涙をこらえて出したこともない声で呟くと返事がくる
「私はいつでもここにいます」
頬の涙をねこ柄のハンカチで拭きながら彼女は目の前に屈んで雪をはらう
「なん…で」
「病室にいないから看護師さんに聞いたら散歩と 行くならここしかないと思いまして」
「違う、なんで 今日は遅くなる、の前に休みじゃ」
「あんな様式だけの会談はキャンセルしました。電話で済む話ですもの。それより」
見た事のない紙袋から彼女はマフラーを取りだして私の首に巻く
「これ、プレゼントです。雑誌でよくこのマフラーのページを読んでいましたからもしかして と思いまして」
おねキャンに載ってたマフラーを一目ぼれして夢中で眺めていた。合わせる服もなかったのでそのうち。 と思っていたのだが
「合わせる服もちゃんと買ってきました!お姉さんえらいでしょ!」
他にもいくつかの紙袋を手に持ってドヤ顔を決める
「本当になんでもお見通しなんだな」
「貴女が顔に出してるだけです」
マフラーを上手く巻けずにいた私に代わって綺麗に巻きこんでいく
「私が、退院したらお前はどうする?」
その質問はとても怖くて口に出したくもなかったが、今を逃したら聞けないと思った。
「そうですね、とりあえず自宅のある函館に戻ります。」
「そう、だよな」
「そして部屋が一室余っているので管理会社に連絡してもう一人住めるように手続きをします」
「えっ、それは」
「以来されたお世話は退院して社会復帰するまでですが、私個人がその内容を少し変更し、対
象者が望むまでお世話をする事にしました。」
「しかし、私は学業も、礼儀もなにも」
「私はフリーの交渉人、なんでも屋でいわば自営業です。私と同居人の二人でやっているのですが、事務仕事はできても荷物を運んだり力仕事のできる人材が不足しています。どこかに身体を使うことが得意で体力に自信がある人がいれば雇うのですが」
それは誰が聞いても適任者は一人だった。
「私はこの大地で部下も地位も名誉も失った。なんのために生かされていると思う?人権?誰かの気遣い?」
「生きているのはきっと貴女の意志です。撃たれた時の出血はショック死にもつながる量だと聞きました。ですが貴女の生きたいと思う気持ちが命を繋げ、今日があるのだと思います」
その顔つきは真剣で、言葉をはっきりと放った。
「君は…だれ?」
もう涙と頭を駆け巡る沢山の記憶で混乱する
「私は貴女のお世話係イベリコですよ?」
私の手をしっかり握りしめ、顔を見ながら彼女はそう答えた。
「私にも人を好きになる事ができるのかな?」
「誰かを愛するのは簡単な事ですよ?そしてその答えは必要ありません。貴女は立派に人を愛せる少女になりました。それは殺戮兵器としてではなく、一人の女の子として」
「あぁ…人を愛するってこんなに簡単ですばらしいことだったのか」
「ええ、その気持ちは決して忘れてはいけません。誰かを想い、誰かのために行動する。それが心に決める本当の正義ですよ.
さて、こんな雪の下で涙を流してはお体に触ります。帰りましょう。私たちの家へ」
「ああ、帰ろう」
笑顔と楽しそうな声を上げる少女たちの通った後には、新雪の上に足跡とタイヤの跡が残った。