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最初に立ち上がったのはWalterだった。蒼白な顔のまま早足に部屋を出て行く。扉が音を立てて閉まりだれかが身をすくませたが、口を開く者はいなかった。部屋に沈黙が戻る。5分もしないうちに再び部屋の戸が開き、Walterが戻ってきた。ゆっくりと口を開く。その顔はさらに血の気を失っていた。
「・・・Alloa大佐本人に確認が取れました。ベッドで寝ていたところを無理やり電話に出させたので苛立ってはいましたが__確かに一日中家にいたそうです。」
Winstanley将軍が、半ば立ち上がりながら叫んだ。額には汗が流れ落ちている。
「馬鹿な、そんなことは有り得るものか!大佐はこの30分ずっと隣に座っていたんだぞ!」
この会議中ずっと隣で座っていて、それでいて偽者に気づけなかったのでは、面目が無いのだろう。その心情は理解できたが、今は冷静さを欠いた言動をするべきではない。ぼくは、相手を立てつつ諌められるよう言葉を選んだ。
「それだけ敵が賢かったんです。あなたを含めここにいる人は皆、会議の内容に気を取られて、互いのことを良く見ようとはしなかったでしょう?それは至極自然なことです。敵はそこを突いてきたんですよ。それでなくても、Alloa大佐がここに来ることに不自然はありませんから。大佐が本物か偽者かなんて、疑うほうがどうかしてます。」
続けてフランス人のRoyerが、口を開いた。スローペースではあるものの訛りの無い英語だった。
「この人の言っていることは、正しいよ。我々の敵が何であるかも正しく理解しているようだしね。・・・人間は、都合のいいものしか見ようとしないから。遅く来て、少ししか話さず、早く帰ってしまって__多少怪しいところはあったにせよ、敵のスパイは巧妙に『私たちが期待するAlloa大佐』を演じたね。」
「・・・しかし、やはり理解しかねる。」
Winstanley将軍はなおも食い下がった。
「敵は、『敵がこの会議に侵入していた』という事実を知られたくは無いだろう。しかし敵が替え玉を使ったとなると、我々のうちの誰かが本物の大佐に、今日の会議について話を始めたらどうなる?話に食い違いが生じて、結局は偽者を入り込ませたことがばれてしまうではないか。それは、敵の望むところではないはずだ。」
Walterは怒ったように、堰を切って話し始める。挑発的な笑みまで浮かべていた。どうやら彼も相当にキている様だ。
「敵はあなたが思っているより、そして私が思っていたより、ずっと賢かったんですよ!あなたが言うように、彼らは確かに危険を冒しました。でも皆さん知ってのとおり、Alloa大佐はいつも病気がちで、無口で、気難しいじゃないですか。何も無ければ誰も彼に話しかけたりはしませんし、彼からも話してきませんよ。だから、大佐は替え玉のカモにするにはもってこいの人材なんです。」
言葉の終わりに近づくにつれてだんだんと落ち着いてきたようだが、それにしてもずいぶんな言い様だ。今言ったことが大佐に伝わったら、Walterはどんな顔をするだろう。
 そんなところを気にしたのはぼくだけだったらしく、Winstanley将軍は絶望的な論戦を戦い続けた。こういう事態に陥ったとき、必ずイライラのはけ口にされる人がいるものだが、今回は彼がそうだったらしい。ご愁傷様だ。
「だが我が海軍の計画書をスパイは持って行かなかったではないか!それとも何だ、あの帽子の中にでも入れたというのか?」
「難しいことではないね。」
Royerが言った。
「ああ、帽子に入れることじゃなくて。一流のスパイは視覚記憶ができるって話だよ。」
「では、計画を変更するほかありませんね。・・・まぁ、実行に移す前に気づいたのがせめてもの救いでしょうか。」
Walterが肩を落として言う。そこに、Royerは追い討ちをかけた。
「いや、まだ問題は残ってる。僕はここでフランス陸軍の作戦を全部喋っちゃったから。このままだと僕がフランスに戻って作戦変更する前に、取り返しのつかない事になってしまうよ。」
「ああそうだな、もう敵は動き始めているだろう。やつらがすべきことは、作戦情報を手紙に書いてポストに投げ込む、ただそれだけだからな。」
今まで黙っていたWhittakerが口を開いた。
「・・・いや、そうでもないね。ここまで詳細な情報だ、うかつに郵便として送ったりはしないと思うよ。何かの間違いで届かなかったりしたら話にならないし。僕だったら、自分の手で最後まで運ぶ。」
Royerが言い、さらにWhittakerが言葉を返す。
「運ぶ、か。せめてその行く先が分かればな。」
「間違いなくドイツだろうね。この作戦情報を知って一番利益を得られるのはあの国だから。だから、とりあえずはイギリスの海岸線を封鎖するか監視しないと。情報を持った敵がこの島国から出たら、多分もう追いつけないよ。」
 Royerの言っていることは正しかった。ぼくたちにはまだできることがある。でも、実際に楽観的な表情をしている人は一人もいなかった。それはそうだろう、4000万人以上の人口を持つこの国の中から、たった3人のスパイ__それもとびきり優秀な__を見つけることが、果たしてできるのだろうか?
 突然、ぼくはあることを思い出した。
「Scudderのノートはどこですか?急いで、何か重要なことが書かれていたかもしれない。」
Walterがぼくに黒いノートを投げ渡してきた。ページをめくり、探していた一節を見つけ出す。全員に分かるよう、声に出して読み上げた。
「・・・Thirty-Nine Steps、私はこれを数え上げるであろう。満潮を迎える午後10時17分に。」
Whittakerはぼくが発狂したと思ったらしく、軽く鼻で笑った。
「分かりませんでしたか?Scudderは3人のスパイがいつ、どこから海に出るか知っていたんですよ!今の時点でもう11時過ぎだから、恐らくは明日の10時17分に満潮を迎えるどこかの海岸。そこから彼らは脱出するんです。」
部屋の中が、一瞬静かになり__にわかに騒然となった。
「偽者のAlloa大佐が出て行ったのは何時だっただろう。場合によってはまずいことになったぞ。」
「いや、彼らには急ぐ理由が無いからね。どんなに早くても脱出は明日だと思うよ。それより海図は用意できるかな?一刻も早く調べよう。」
「それなら海軍事務所に移動しよう。確かあそこにおいてあったはずだ。」
「私はMacGillivrayに連絡を取ります。ロンドン市警の協力を得られれば心強い。」
結局Walterはロンドン市警に行ってから海軍事務所へ、他のものは直接、という段取りになった。
 数分後、海軍事務所の駐車場に車を止めると、ぼくたちは足早に屋内に入っていった。驚いた顔で正面扉を開ける守衛を尻目に、資料室を目指す。海図を見つけ、拡大コピーしてテーブルの上に広げた。
 調べた結果は芳しくなかった。明日の10時17分に満潮を迎える場所がイギリス全土に50箇所以上もあったからだ。もう少し絞り込まなくてはならない。
 ぼくは、懸命に考えた。Scudderは「39階段」という言葉を意味深に、思わせぶりに使っていた。でもそこには深い意味など無く、ただ単に39段の階段、であったとしたら?全てつじつまが合う。イギリスの海岸線には切り立った崖も多くあり、砂浜に向かって降りる階段も珍しくない。つまり、その階段が39段のところを探せばいいのかもしれない。
 ぼくは、さらに別のことにも思い立ってイギリス発の船舶の発着時間を調べた。思ったとおり、10時17分発のものは1つもない。これで「港に下りる階段が39段」という可能性は除外された。いやそれ以前に、そもそも港から逃げたら見つかる危険性が大きすぎる。彼らが海に出るのは、人目につかない海岸線だろう。
 それにしてもなぜ「満潮」が重要なのだろうか。恐らくは満潮のときにしか船が出られないのだろう。そういう条件のところで人目につかない海岸線、となると、ある程度までは絞られる。
 まだ絞込みは十分ではない。ぼくは、自分がイギリスからドイツに逃げるとしたらどうするかを考えることにした。南北の海岸はナンセンスだ。遠回り過ぎる。西海岸やスコットランドも同様。ということは残りは東海岸で__恐らくはCromer=Dover間に違いない。
 ぼくは、ここまで考えたことを紙に書き出した。

 ~暫定事項~
1.海岸まで階段で降りる構造のところ。その階段は39段。
2.10時17分に満潮を迎えるところ。満潮にしか船を出せない地理的条件。
3.砂浜と断崖のあるところ。多分港ではない。
4.船は人目につかない小型船(ヨットや漁船を含む)
5.Cromer=Dover間の東海岸

ぼく一人が周りからの視線に囲まれながらテーブルに座って、死んだ男の書置きを解読しようとする。なんとも奇妙な状況だった。でも、これが多くの人に生き死にに関わってくるのだから仕方が無い。
 そうしているうちに、WalterとMacGillivrayが到着した。彼らはイギリス全土の警察に手を回して、全ての港と鉄道の駅に検問を敷いたそうだ。でも、誰もそれで事態が解決するとは思っていなかった。あれだけのことをやってのけた敵だ、巧妙にそれをくぐり抜けるだろう。ぼくは、おもむろに口を開いた。
「やれるだけのことはしました。後はこの暫定事項を基に正確な場所を割り出し、そこに待ち伏せればいいでしょう。誰か、これらの条件から場所を特定できそうな人はいますか?」
「ああ、それなら知り合いがいる。南ロンドンに住んでいる老人で、長年漁師をやっている方だ。ここに来ていただこう。」
Whittakerが言って、部屋から出て行った。戻ってきた頃には時刻は午前1時を回っていた。ぼくは、眠そうな顔をした老人に厚くお礼を言った。Whittakerが質問を口にする。
「東海岸のどこかに、海辺に降りる長い階段のある海岸はあるか?」
老人はうなるような声を出すと、考え込んだ。
「長い階段がある海岸など、掃いて捨てるほどある。一つに定めろ、といわれてもとても無理だ。」
「ふむ、特定するには至らんか。」
「わしにはこれ以上のことは分からんからな。ああ、まぁしいて挙げるなら、Ruffが・・・」
ぼくはほとんど遮るように言った。
「それはどこですか!?」
「Bradgateの近くの、Kentにある。崖の上に、こう、ズラーッと金持ちの別荘が並んでいてな。やつら横着で、金に任せて自分の家から直接海岸に階段を作りやがって。まったく、ごみは散らかすわ騒ぐわで・・・。それで印象に残ってたんじゃが。」
ぼくはBradgateの満潮の時刻を調べた。10時27分に満潮ということだった。
「どうやらここの可能性が高いようですね。Bradgateで10時27分となると、Ruffではどれくらいになるんでしょう?」
老人は即座に答えた。
「ああ、あの辺りで漁をしたことがあるから分かる。Bradgateより丁度10分前だから__10時17分じゃな。」
ぼくは海図を閉じると、部屋の7人を見渡して言った。
「このご老人がおっしゃった階段のなかに39段のものがあれば、そこが『当たり』でしょう。Walterさん、車を回してもらえますか?後はBradgate周辺の地図もできれば。ああ、それと、もしMacGillivrayさんにも手伝ってもらえるのなら、少しばかり明日の準備を念入りにすることもできますね。」
いつの間にかぼくがこの場の主導権を握っていた。妙な気分だったが、ぼくも、長い旅の中で行動力がついたのかもしれない。周りの人も突出したぼくを煙たがることなく受け入れてくれていた。
「僕はうれしいよ。」
Royerが言う。皆必死で考えていたので誰も聞いていなかった。
「この件を他人任せにできてさ。Hannayさん、健闘祈っているよ。」
夜は更けていった。

 午前3時半、ぼくたちは海軍事務所を出てそれぞれの行動に移った。空はまだ暗く、先行きは見えない。だが、いやだからこそ、今できることをするべきだった。MacGillivrayと共に車に乗り込み、夜の道を走る。後24時間以内には全ての決着がついているだろう。乾いた掌を握り締め、車窓を流れる風景を眺めた。

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最終更新:2009年01月05日 17:36