「気がつきましたか、Hannayさん。」
目を開けると、目の前にあったのは病院の白い天井だった。左腕には点滴の管が差し込まれている。そのまま視線を上にずらすと、肩口から二の腕までが包帯に覆われていた。どうやらぼくは怪我をしているらしい、と他人事のように考える。と、その方がズキン、と痛んだ。急速に意識が覚醒し、ぼくはベッドの脇に座る人物を認識した。腹筋に力を入れて無事なことを確認すると上半身を起こす。
「・・・Walterさん。ぼくはたしかBlackStoneを追いかけて・・・。いったい何が起こったんですか?」
声がしわがれていることに自分でも驚いた。唇に触れると、カラカラに乾いている。どうやらこの喉の痛みはここの乾燥した空気を吸い続けたことが原因らしい。
「今お話しますから、まずは楽な姿勢になってください。見ているだけでも痛そうですから。」
ぼくは枕に頭を沈めると、顔だけをWalterの方に向けた。しばらく会っていないだけなのに、その顔は大分疲れて見えた。
「・・・どこから説明しましょうか。まず、あなたの怪我はBlackStoneが仕掛けた爆弾が原因です。MacGillivrayとその場にいた警察官の話を総合すると、『主犯格の老人が机の下のボタンを押した瞬間に階段が爆発して、そのときにHannayさんは丁度階段を降りようとしていた』ということです。やつらは周到に脱出の準備を進めていたのでしょうね。」
BlackStoneがなぜ知られた可能性の高い計画を強引に推し進めたか分かった気がした。階段に爆弾を仕掛けるほどの下準備がしてあったのだ、多少不確定要素があっても脱出を成功させる自信があったのだろう。ぼくは一人納得すると、肝要な部分の質問をした。
「それで、作戦情報はどうなりましたか?」
Walterは微笑みながら答えた。
「無事でした。一人だけTrafalgar Houseから逃げ出した者が情報を持っていたようですが、彼が飛び乗ったヨット[Ariadne]を操縦していたのは、イギリス海軍の海兵でしたから。MacGillivrayに感謝しなくてはなりませんね。彼が協力を要請していなければ、付近を周回していた軍艦にヨットを拿捕させることなどできませんでしたよ。軍隊とはいえ、警察からの正式な要請が無い限りは民間人の所有物に手を出すことはできませんからね。」
ぼくは、ホッと胸をなでおろした。ぼくの旅は無駄にはならなかった。Walterはさらに言葉を続けた。
「これでこの件については一件落着、ということになりますが・・・。戦争自体は始まってしまいました。つい数時間前ドイツからイギリス、フランスの両国に対して宣戦布告が行われ、もう既にアルザス・ロレーヌ地方での戦闘が開始されています。現在フランスの国境守備隊が応戦中ですが、思わしくありませんね。まさか戦車大隊まで動員してくるとは・・・。首都やイギリスからの増援も、多分間に合わないでしょう。ああ、でも、安心してください。Hannayさんのおかげで、こちらの手の内が知られずに済んだわけですから。これから徐々に戦線を押し上げ、3週間もすればベルリンを制圧できるでしょう。」
まるで夕飯のメニューでも語るかのような口ぶりで話すWalter。ぼくは沈黙を守った。
「それで、あなたのところにも召集令状が来ているわけですが・・・。どうしますか?私が口を利けば、多分取り下げられると思いますが。」
しばらく考えてから、答えた。
「・・・ぼくは、行きます。」
完
最終更新:2009年01月05日 17:45