UttersonがJekyll博士宅の訪問を断ってから数日がたったある日曜。Utttersonは散歩中偶然にEnfieldと会い、共に歩いていた。日はすでに西の空に沈みかけ、細い路地には壁や植え込みの木が暗い影を落とし込んでいる。昼間は心地よかった風も今は肌寒く、夜の訪れをほのめかしていた。Uttersonの表情は硬くその顔は俯き加減で、そんな同行者の様子にEnfieldも居心地の悪さを隠せない。二人はほとんど言葉を交わすことなく足だけを動かし、気づけば全ての始まりとなったあの道に差しかかっていた。
 親戚にして良い友人でもあるUttersonとの間の静寂を振り払うかのように、Enfieldは大仰な動作でJekyll博士の研究所に通じる黒塗りの扉を指差した。
「ともかく、これで、今回の話はもう終わりだ。」
彼はことさらに『もう』を強調しつつ言った。
「Hydeのやつとは二度と会うこともないだろう。そう思うとすがすがしい気分にならないか、Utterson?」
「そうだといいけどな・・・。」
UttersonはEnfieldの顔を見ようとしないまま答えた。
「君にはもう話してたかな・・・?私も実は、一度あの男に会ったんだ。で、君と同じようにひどく嫌な感じを受けたよ。まったく、Hydeは容姿も人格も悪そのものだな。」
「お前が他人の外見についてとやかく・・・っと冗談だ。怒るなって。まぁ確かに、よくあんなわかりやすい悪役面がいたもんだな。しかも中身も伴ってる。」
Enfieldは身振り手振りを交えて答えたが、UttersonはEnfieldの返答をが聞いているのかいないのか、それ以上話すことはない、といった様子で再び黙り込んだ。
「・・・あー、そうそう、ところでだ。」
Enfieldの半ば自棄になったような話題提起の言葉に、Uttersonはようやく目線だけ動かし並んで歩く友の顔を見つめた。
「なんであの見るからに怪しいドアがJekyllさんとこの研究所に通じてるってこと、教えてくれなかったんだ?知り合いに聞くまで知らなかったから驚いたぞ、若干。それも法律家の守秘義務ってやつなのか?」
「・・・そんな守秘義務はないよ。たぶん、言い忘れてただけだ。それにもう知ってるんだから問題ないだろ?」
Uttersonはそこで一度言葉を切った。その後、また連れが黙ってしまってはかなわないと落ち着かない様子にのEnfieldの前で、何かに気づきハッとしたような顔をし、それは思案を巡らす顔に変わり、そして最後に何かを決めたような表情を見せると口を開いた。
「なぁ、あのドアの家の二階に、Jekyllがいるはずなんだ。庭くらいなら勝手に入ってもいいだろ、ちょっと窓をのぞいていかないか?もしかしたら顔だけども見れるかもしれない。たぶんまだ知らないと思うけど、Jekyllは今大変なことになってて家にこもりっきりなんだよ。ずっと誰にも会わないままじゃ体に毒だ。知り合いの顔でも見れば、きっと良くなる。」
「そうか、それでお前今日ずっと暗かったのか。俺は全然構わないぜ。行こう。」
二人の足取りが明確な目的を持ったものに変わり、閑散とした路地に規則正しい革靴の足音が響いた。

 黒塗りの扉の前に到着すると、二人は並んで足をとめた。太陽は今や完全に沈み、閑静な住宅街には夜の帳が下りている。全ての家々の窓から柔らかい明かりが漏れ、それは目の前の建物も例外ではなかった。Jekyllは確かにここにいるらしい。
「突っ立っててもしょうがないだろ。せっかくここまで来たんだ。中に入れてもらおうぜ?」
言いながらノッカーに手の甲を向けるEnfieldを、Uttersonは片手を出して制した。
「試してみてもいいけど、絶対入れてもらえないと思う。私は何回もJelyllのお見舞いに行こうとしたけど、全部断られたから。今回も徒労に終わるのは遠慮したいな。顔だけでも見せられればいいと思うんだけど、もし話すなら庭から窓に向かってだね。」
Enfieldは怪訝そうな顔をしたものの、何事か納得した様子で素直にうなずいた。
「わかった。Jekyllのことはお前のほうがよくわかってるだろうから、ここは従っとくよ。一つ貸しだぞ?」
「やれやれ、どんな貸しだよ・・・。」
Uttersonは小さく肩をすくめると、Enfieldに先立って裏庭に入って行った。
 建物の角を曲がると、地面が窓の形に、照らされていた。黒い紙の一か所だけを四角形に切り取ってランプにかざしたような様子だ。その光の中にはカーテンや窓枠の影がゆれていたが、目を引いたのは・・・。
「Jekyll!?」
人影らしきものを見た瞬間、Uttersonははじかれたように視線を顔ごと上に転じた。開け放たれた窓の中には、果たして、男が一人きりで座り、庭の招かれざる客たちを睥睨していた。逆光になって細部がよく見えないとはいえ、その顔からはあまりにも表情が欠落している。まるで牢につながれた囚人のよう。だが、古くからの友人の顔に、Uttersonが気づかないはずがなかった。
Uttersonは息を短く吸い込むと、抑えた、しかしはっきりした声で窓に向けて話しかけた。
「やぁ、久しぶりだね。全然会ってくれないから、心配になって見に来たよ。少しは良くなったのか?」
窓の中の影は、見るからに悲しそうな様子でかぶりを振った。疲れた声が庭に反響し、奇妙にエコーがかかる。
「あまり良いとは言えない。それどころか、もう今にも天からの迎えが来そうだ。・・・おお、神よ、この哀れな魂にせめてもの慈悲を・・・。」
その言葉にUttersonはしばらく絶句していたが、我に返ると今度は大声で叫んだ。
「君は家の中に引きこもりすぎなんだ!それじゃあEnfieldみたいに遊びすぎのほうがまだマシってもんだよ・・・ああ、そうそうこいつはいとこのEnfield、見たとおりの道楽者だよ。そんな狭い部屋にいないで下りてきたらどうだ?散歩にでも行けば気分が晴れるかもしれないじゃないか。」
Uttersonの長広舌は、しかし、意味をなさなかった。Jekyllはまたも悲しそうに首を振り、口を開く。
「君は、優しい。そう、とても・・・。でも、僕はもう君やEnfieldさんのような人たちと関わることはできないんだよ。招き入れてあげたいところだけど、こんな場所ではそれもできない・・・。」
「それなら、この場所から話すならいいだろ?どんな事情があるのか知らないけど、誰とも関わらないなんて不健康すぎる。」
Jekyllは窓の中で一瞬驚いたように身を震わせたが、一瞬の後、弱弱しくではあるものの確かにほほえんだ。
「それくらいなら、今の僕にも、あるいは・・・。君の厚意、受け取らせてもらうよ。」
それを聞いてUttersonはホッとしたような表情をしたが、すぐに顔をこわばらせた。『いや、だめだ、これは甘えだ・・・。』そうつぶやくが早いか、Jekyllが音を立てて窓を閉めてしまったからだ。その顔には、絶望、苦難、悲嘆、恐怖、その他ありとあらゆる負の感情が詰め込まれていた。すくなくとも、Uttersonにはそう見えた。
 窓からの光が遮られ、後には暗い裏庭と、バシッという音の反響と、そして呆然とした二人の男だけが取り残された。UttersonとEnfieldは顔を見合わせると、すぐに目を伏せ、どちらからともなく窓に背を向けるとJekyllのいる建物を後にした。
夜の静寂の中、来たときと同じように二人分の靴音が響く。だが、その足取りはどこか重いものになっていた。
 青白い光を放つ街灯をいくつか数えるうち、二人は住宅街を抜け人通りの多い繁華街に出た。これまでとは異質な町の喧騒。明るいネオンに互いの表情が良く見えるようになるとUttersonは楽天家のEnfieldがその表情を硬くしていることに軽く驚いたが、自分の表情はEnfieldに輪をかけて暗いであろう事を想像して指摘するのはやめ、別のことを口にした。
「・・・Jekyllはいったいどうしてしまったんだろう。もう神頼みするくらいしかないぞ、これじゃあ。」
Enfieldは無理に笑顔を作ろうとして失敗し、中途半端な顔のままUttersonの方を見て言った。
「するなら一人でしてくれよ。俺みたいなのが祈ったりしたら御利益が無いどころか逆効果だろうからなぁ。」
「は、はは。違いない。」
Uttersonの乾いた笑いは、しかし、すぐに途切れ、二人はまた黙り込んだ。その後、軽い挨拶をかわすとそれぞれの岐路についた。南の空に浮かぶ三日月は雲に隠れ、おぼろげになっている。雨の予感が、ロンドン市街に満ち満ちていた。

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最終更新:2009年06月26日 16:34