『Uttersonへ
君がこの手紙を読んでいるということは、Jekyllはもう既にいなくなっているのだろう。そして、もちろん僕も死んでいるに違いない。ともあれ、僕がこの手紙の封筒に書いた事に従ってくれてうれしく思う。まずは礼を言わせてくれ。__君に限ってそんなことは無いと思うが、もしまだJekyllがいなくならないうちにこの手紙を読もうとしているのなら、すぐに読むのはやめ、封筒にしまって大切に保管しておいて欲しい。これは本当に大切なことだ。
この手紙の中で、僕がJekyllについて知りえたことの全てを明らかにしたいと思う。言っておくが、ここに書かれていることは全て真実だ。嘘やでまかせではないと信じて読んでくれ。
4日前__もちろん、この手紙を書いている今日から数えて__の1月9日夕方、僕の家のポストに一通の手紙が届いた。そいつは、Henry Jekyll本人の、直筆の手紙だった。Jekyllとは滅多に手紙を交換することが無かったし、それに昨日__1月8日に夕食を共にしたばかりだったから、正直言ってかなり驚いたんだが・・・もっと驚いたのはその内容だ。下に書いといたから見てくれ。こいつをどう思う?
『親愛なるLanyonへ 突然にすまない。君とは科学のことでぶつかり合ったけれど、それ以上に僕は君の旧友であり続けていることを分かって欲しい。そんな君に重大な頼みがある。僕の残りの人生を左右することだから、どうか聞き入れてくれ。
もし聞き入れてもらえるなら、すぐにこの手紙を持って僕の家に。Pooleという名の召使と鍵屋を待たせてある。鍵屋が僕の書斎の扉を開けるから、一人で中に入るんだ。左手の壁に、ガラス張りの戸棚が見えるはず。上から四段目に粉末の入った袋、ボトル入りの液体、それに本の入ったパケットがあるから、そいつを君の家に持って帰ってくれ。
この手紙が届いてすぐに行動を開始したとしたら、真夜中までに自宅に戻るようにして欲しい。12時くらいに、ある男が君の家を訪れることになる。そいつが来たら、持ってきたパケットを丸ごと渡してやってくれ。
君が僕を裏切らないことを、心から信じてる。意味不明だと思うだろうが、どうか、頼む。僕は本当に、恐ろしく危険な状態にいるんだ。 君の友 Henry Jekyll』
こんな具合だ。いきなり手紙が来たと思ったら、意味の分からないことを要求される。しかも、それが嫌に具体的だ。僕は、Jekyllは狂っちまったんじゃないかと思った。でも、友達の頼みだ。僕はすぐにJekyllの家に行った。そしたら召使のPooleってやつも僕と同じような手紙を受け取ってたそうで、鍵屋と一緒に待ってた。書斎の扉を開けるのにちょっと手間取ったがそれ以外は全部簡単に行って、僕は言われたとおりパケットを家に持ち帰った。
しばらくは黙って来客を待ってたんだが、真面目なお前と違って僕は好奇心旺盛だから、パケットの中身が気になってしかたない。ついに、じっくり観察させていただくことにした。中には、確かに粉と、ボトルと、それに本が入ってた。粉は白くて、いくつかの袋に小分けされてた。ボトルに入った液体は赤くて、アンモニア並みの刺激臭がした。本には過去数年分にわたる実験データが書いてあるみたいだった。一番新しい物でも1年近く前のやつだから、ここ一年は何も進まなかったんだろうな。時々Jekyllの字で書き込みがしてあって、最初の方に“2倍量”、その直後に“失敗”って書いてあるのが目に付いた。“2倍量”はその後何回か出てきたから、試薬の量がすごいことになってそうだな、最後の方とか。ともかく、化学者の僕にも用途不明なその3点セットが、Jekyllを救うには必要らしい。でも、そこは無理やり納得するとして、まだ腑に落ちないことがある__真夜中に訪ねてくる男ってのは、いったいどういうことだ?なんとなく怖かったから、僕は3点セットを適当な箱に詰めると、昔買った銃を懐にしまってそいつを待っていた。
そうこうするうちに、真夜中になった。丁度12時きっかりに扉がノックされたから、僕は銃に手をかけながら扉を細く開けた。背の低い男の姿が一人で立ってる。どうしようもなく嫌な感じがして、背筋に寒気が走った。武器を持っててこれほど良かったと思ったことは無いね。『あんた、Jekyllのところから来たのか?』そう聞いたら頷いたんで、家に入れてやった。
明るいところで見ると、そいつは妙な外見をしてた。高そうな服を着込んでるのに、サイズがぜんぜん違う。服の方がでかすぎるんだ。ガキが親父の服を悪ふざけで着てるみたいだった。もっともそいつ自体は、ぜんぜん子供っぽくなくて、むしろ僕以上に親父臭かったけどな。で、とにかくガタイが良かった。骨ばってる感じだ。でも、顔色は悪くて、どうも病気を抱えてる印象があった。表情も、優れない、どころか憎悪とかそういう暗い感じで満ち溢れてて、とてもじゃないが好感は持てない。というか逆に怖いくらいだったな。
そんな風にじっと見てたら、そいつがいきなりいらいらした感じで僕の腕をつかんできやがった。びっくりしたね、本当に。『例のものは、持ってきたか?』ライオンがうなるみたいな声で言うからもうビビッちまって、『ええ、もちろんです。こちらへどうぞ、お客様・・・。』なんて普段ならぜんぜん使わないような敬語と・・・が口をついて出てきたよ。
で、奥に通すと、とりあえず自己紹介をしていただくことにした。『よろしければご身元の方を拝聴させていただけますか?』ってな。『いろいろとすまない、Lanyon博士。』そいつは少しだけ丁寧になって言った。『君の持ってきたものを受け取るために、Jekyll博士が私をここに遣わせたんだ。』
君の持ってきたもの、って言えば一つしかない。僕は3点セットの詰まった箱を手渡した。そいつは、震える手で受け取った。『ついに、ついにだ・・・!』なんてつぶやいてた気もするが、僕も動転してたから良く覚えてない。『薬ビンはあるか?』って言うから、それも渡してやった。
そいつは、ビンの中にほんの少し赤い液体を入れると、そこに白い粉を加えた。そうしたら少しだけ煙が出て、薬の色がすごい勢いで変わってった。赤から紫へ、そして淡い緑色に。ビンを机の上に置くと、男は、僕のほうをじっと見てきた。
『さて・・・、君はこの部屋から出ることもできるし、この場にとどまって全てを見ることもできる。未だ知られていない化学の分野だ。ただ信じれば、君は金も栄誉も名声も、欲しいままにすることができるだろう。』僕は、そいつが完全に狂ってるんじゃないかと思った。で、思わずその通りを口にしたんだが、そいつは気を悪くしたそぶりは無い。そこで、その場にとどまって全容を見せていただくことにした。ま、誘惑に負けたんだな。
『いいだろう、』とそいつは言った。『約束は、守れよ。全てを見るんだ。お前がこれまで全く信じようとしなかった、そればかりか非科学的なゴミと罵倒したJekyll博士の研究の成果を、その目に焼き付けろ!』言うが早いか、そいつは焼くビンの中のたった今調合されたばかりの薬を一気に飲み干した。目を疑ったね。まず、そいつの全身が波打つようにたゆんだ。関節の限界を超えた動きだ。骨までぐにゃぐにゃになってるんじゃないかと本気で思った。そいつは苦しそうに、机の端に手をついて肩で息をしてた。そうしたら、だんだんと体格が変わってって__背は高く、肉付きが良く。顔の輪郭もやや尖って、肌は若干血行がよくなったように見えた。次の瞬間、僕は思わず壁に向かって後ずさった。なんてこった!目の前で震えながら立ってるのは、Jekyllじゃないか!
その後、Jekyllが僕に語ったことは、とてもじゃないがここには書き表せない。僕が語っていいことじゃないと思う。
恐れも、不安も、もう日常と同化してしまって、僕は訳が分からなくなった。不眠症に陥りもして、僕は先が長くないことを悟ったよ。かつての僕はまさか想像もしなかっただろう。あの夜、目の前で起こったことは化学者としては信じられないものがあるが、でもそれが現実なんだ。
そうそう、もう一つだけ言っておきたいことがある。僕の家を訪れたあの嫌な感じの男、あいつはCarewさん殺害の犯人として巷を騒がせていた、あのHydeって奴だったんだ。新聞でしか顔を見たことが無かったけど、実際会ったらすぐに分かったね。あんな悪役面は、多分あいつ以外いやしないだろう。
話が長くなった。そろそろ終わりにしよう。もう会うことは無いだろうけど、じゃあな。 Hastie Lanyonより』
暖炉の炎の前で、Uttersonは数時間前と同じように座っていた。何かを読んでいるという点も同様。しかし、その表情は蛇ににらまれた蛙さながらに硬直している。震える手でLanyon博士の遺稿とも言うべき手紙を押しやると、Henry Jekyll博士の自白を開封した。
最終更新:2009年06月26日 16:41