残る夏の日は、Johnnyの病気への有効な治療方法を探すことに費やした。Penfield医師はJohnnyは死を避けられないと言っていたが、私とFrancesは未だ希望を捨てきれなかった。
Francesは、第二次大戦の間に医療研究に従事していた科学者たちが、脳の腫瘍に関して何か新しい発見をしているのではないかと考えた。そして、その発見が世間に公表されていないだけなのではないかと。そこで、私はアメリカ全土の医師たちに、知っていることはないかと電話をかけた。
私はまた、何人かに手紙を書き、尋ねた。何か新しい情報を知らないか、医療・生体に関する研究の中に成果を上げそうなものはないか、と。彼らは、しかし、一様に同じ答えを返してきた。何も新しい情報は無い、Johnnyは今の医療科学が提供できる最先端の治療を受けている。腫瘍を治療する上での新しい発見は何もなされていない。希望は、無かった。
ある朝、新聞を読んでいたFrancesが興味深い記事を見つけた。脳の腫瘍ではないものの、腫瘍を患う人たちが、第二次大戦中にも使われた強力な薬の投与を受け、効果が認められていると言うのだ。軍の科学者が行った試験によると、その薬はガンの治療にも有効であるらしい。医師たちがHN2と呼ぶその薬は、組織を壊すことによって、患者の体内で正常域を越えて成長する部位を破壊するというものだった。腫瘍を、『体内で正常域を越えて成長する部位』と言わずして、何と言えようか。私とFrancesは、このHN2を試してみることにした。
HN2を使った新しい治療は、8月の1日から5日の間に始まった。この薬が脳の腫瘍に使われるのは初めてのことだった。たいてい、この薬は初めのうち患者の体に酷い副作用をもたらす。Johnnyの腕に、点滴をするのに適した場所を探すのは骨が折れ、何度もやり直しを迫られた。結果、彼の腕は点滴の後で青や黒のまだらになってしまった。Johnnyは最初の日、嘔吐を繰り返し食事もできないほどだったが、すぐに状態は改善した。
彼は慎重に見守られなくてはならなかった。というのは、この薬は彼の血循環に深刻な問題を起こし得るからだ。このため、彼は強力な薬を大量に投与されることになった。一ヶ月以上にわたってJohnnyは毎日のように血液検査を受けなくてはならず、この検査は彼にますます苦痛を与えた。
「血液の状態はどう、父さん?」
彼は私に幾度も尋ねた。
「悪くない。」
その度に、私は同じ答えを返した。
「検査で危険な結果が出たら教えて。」
最初に投与されたHN2はJohnnyに確かな効果をもたらした。このことに関して疑いはないと、私は今でも信じている。JohnnyはHN2でそれなりに元気を取り戻した。しかし、その後、私はHN2を使った治療の結果を疑問視し始めた。私たちは投与するHN2の量を増やすことを決断し、8月末には実行された。HN2は目に見えた成果を上げた。一方で、Johnnyの肌と頭の状態は悪化し、X線治療は断念せざるを得なくなった。
Johnnyの容態は、午後に病院を出るとき、Francesと私の姉のJeanと共に、短い距離ではあったが、散歩をできるほどに改善した。しかし、彼と最も仲が良かった病院の看護婦に向けられたJohnnyの言葉には、変なところがあった。彼女がさよならを言ったとき、Johnnyは手を振って答えた。
「ああ、僕はまた戻ってくるよ。」
ニューヨークを離れ、Madisonの新鮮な空気の中で過ごすうちに、彼は日増しに健康を取り戻した。彼は精力的に、これまでできなかったことに挑戦した。彼は学校の課題をこなし、嬉しいことに、数学の問題にも取り組んでいた。ある時、彼は彼がかかっている医師の一覧を作った。また別の時、彼は可能な限り親族をたどり、書き出した。
ある朝、ニューヨークで、私はJohnnyから手紙を受け取った。そこには、彼が求める化学薬品の長大な一覧が添えられていた。私はそれらを買い揃え、また一覧に加えられていた特殊な氷を探した。彼が求めていたのはドライアイスとして知られる氷で、普通の氷より冷たいものだった。彼がどんなにそれを欲しがっていたか察せなかったことを、私は今日まで後悔している。
彼はドライアイスを数回にわたって求めてきたが、それよりも重大な懸念事項があふれていたため、私はそれをもっていくのをずっと忘れてしまっていた。Johnnyはさらにドライアイスの求めをしてきて、ある日、私は忘れずに持っていった。ドライアイスの一塊は、Johnnyにとって大きな意味を持つものだった。ドライアイスを使って、彼は夏中考えていた化学の問題に取り組む新しいやり方を見つけようとしていたのだった。
Johnnyの隣人に、彼の最も親しい友人で、そして彼の人生の中で最も重要な立場にあった人がいた。その人、Weaverさんは化学の教師をしている人だった。Weaverさんは、Johnnyの弱った腕では必要なことができない時、彼を助けてくれた。
Johnnyの化学実験は成功し、私はその事を少なからず喜ばしく思った。Johnnyは本当に新しい方法を見つけたのだった。彼はどんなにか誇らしく、そして幸せであっただろう。しかし同時に、彼は、大したこと無いよ、とでも言うように、自身の成功を笑いもした。
FrancesはJohnny新しいやり方の成功を書き記し、Johnnyのダークブルーの目は喜びに輝いた。その夜、Francesにお休みを言うとき、彼はこう付け加えた。「今日は良い日だったよ、母さん。」
一方、Johnnyが病院から戻ったある日、また嬉しいことがあった。Boyden先生とHayden先生がDeerfieldから彼を訪ねに来てくれたのだった。この日はまた重要な日でもあり、Johnnyは夏の終わりに再開される学校について、彼らと落ち着いて話した。彼はこの時までに、自身が学校に戻れないかもしれないと言うことに気づいていた。しかし、彼がそのことについて考えないようにしていた、というのはあまり好ましくない考えだ。
Boyden先生の訪問はとても重要だった。というのは、この訪問はJohnnyに新たな希望を与えたからだ。Johnnyは彼に、どのようにして学校で教わり損なった内容を勉強するつもりでいるかを説明した。彼はまたBoyden先生に、かつて私たちに対してしたように、彼が学校に関して気に入らないことを全て話した。
彼は早く健康を取り戻そうと焦っていたが、しかしとても幸せだった。私とFrancesは事あるごとに彼に休息を勧め、Francesは彼を早い時刻に寝させるのに苦労した。彼はしばしば彼の病気をも笑い飛ばそうとした。
しかし、8月31日、彼の頭のできものがまた開いた。彼の血液の状態は悪く、彼は急速に弱って行った。
この時期、私とFrancesは新しい、より良い治療を求めて奔走していた。一瞬たりとも、私たちは立ち止まらなかった。夏の始めに知った、Max Gersonという医師の驚くべき実績を、私は思いだした。彼は、ガンやそのほかの病気の進行を止めることで、大きな成果を上げていた。彼の理論によると、食事の時間とその内容が最も重要だという。Gerson医師は薬学を学んでおり、真の医者であった。しかし、彼は他の医師たちからすると異端であり、医師たちの多くは彼の理論を否定していた。
最初、私はGerson医師がJohnnyの病気の治療に貢献できるとは思っておらず、Francesも彼に疑問を抱いていた。その後、私はGerson医師が脳の腫瘍に関して豊富な経験を持っていることを知らされた。彼は、腫瘍の治療で有名なドイツ人の外科医、Foerster医師と、長年共に働いていた。
私は、Gerson医師に会うことを決めた。彼は自身のやり方が成功した腫瘍治療の記録を見せてくれたが、私はまだGerson医師を信じ切れずにいた。食事のように単純なものが、腫瘍ほど深刻なものの治療に効果を発揮するというのは、どだい信じ難い話だったからだ。しかし、彼はすばらしい男だと私は思った。彼は変人だったが、知識を持ち、苦労を積み、自身の考えが正しいことを信じていた。
夕食をとっている時、私はJohnnyに、翌日から新しい治療のために町に行くことを話した。彼は驚き、不愉快そうだった。彼がそこまで悲しそうな様子を見せたのは、初めてのことだった。一瞬の後には、私は彼が泣くのを堪えていたのだと知ることになる。彼は私の前から走り去り、上階の彼の部屋に籠もってしまった。彼は新しい化学実験の準備を、ほとんど完全に終えた所だったのである。
しかし翌日の朝までに、Johnnyは機嫌を直していた。彼はとても嬉しそうで、次に悪い知らせ、学校に戻ることができないという悪い知らせを聞いたら、彼はどんな行動に出るだろう、と私は一抹の不安を感じた。
9月の最初は悲しい日が続いた。Johnnyの容態は悪く、彼は弱り込み、横たわっていた。彼の血液の状態も悪化し、それが原因で彼の腕や体には青い染みができた。Johnnyの血液の状態が悪くなるであろうことについては説明を受けており、私とFrancesは必要以上の心配をしていた。しかし、私たちは不安に陥っていたのだ。
JohnnyがGerson医師の治療所に入る時、上の空の様相を呈する医師がいた。後に彼は私たちにその理由を語った。その一週間Johnnyが生きられるとは思えなかった、と。また他の医師は、あんなにも血液が危険な状態に陥りながら、容態が回復した患者は見たことがない、と話す。
しかし、その週のうちに、Johnnyの状態は改善した。彼の血液の状態は良くなり、彼の腕にできていた青い染みはほとんど消え去り、彼の頭のできものも小さくなったのだった。
Traeger医師と私はGerson医師に会うため、共に道を歩いていた。Traeger医師は希望を持ってはいなかった。彼は私に言った。
「Johnnyを病院に移送し、大量の輸血をしましょう。それ以外に彼を救う手段はありません。」
Traeger医師とGerson医師は治療方針について相談しにキッチンに入り、1時間半後に出てきた。Traeger医師はゆっくりとJohnnyを診て、言った。
「Johnnyに輸血をするのはやめることにします。Gerson医師のやり方を、もう24時間試しましょう。」
Gerson医師の治療は塩分や脂肪の摂取を抑えるというもので、このためJohnnyは長期間に渡って魚類や卵を食べることを止められた。この治療の根幹はきわめて単純で、患者の体に回復の機会を与えることで、自然に健康を取り戻させる、というものだ。患者の抱える病気があまりにも進行してしまっていた場合を除き、医師に求められるのは、患者の体の化学的な状態を改善することである。対して、このやり方では、ガンやそのほかの病気が治療なしで治ることになる。信じ難いを通り越して、愚かしくすら聞こえるやり方ではある。しかし、食事の内容、時間、取り方が体の状態を変え得るというのは、よく知られた話である。
最終更新:2009年11月24日 17:52