ガンは他の組織を破壊する、体組織の過剰な成長である。その成長を阻害するものは、つまりガンの周りの臓器、筋肉といった健康な部位は、徐々に圧迫・浸食され、最後には食い殺される。丁度、どう猛な肉食獣に、草食動物が何の抵抗もできないまま補食されるのと同様である。Gerson医師はガンと同じように体を破壊する類の病気を治療した経験があり、いくつかの例では完治に成功していた。しかしJohnnyの腫瘍は、Gerson医師が治療にあたってきたそれらの病気よりも、ずっと危険で、また難しいものだった。
 脳によってもたらされるものの全て、すなわち理解や良心。個性を形作るものの全て、すなわち意志や自己。これらはJohnnyの中で、腫瘍によって崩壊の危機に瀕していた。個人を個人たらしめるもの、すなわち記憶、欲求、思考、視覚、聴覚、行動、その他諸々・・・。これら全ては体の他の部位を統括する部位、脳の中に、包み込まれているのだ。
 これら、遺志の力、考え、感覚、希望、理解は、人間が人間らしく行動するために不可欠なもので、そして今まさにJohnnyの中で破壊されているものでもあった。まるで、理性そのものが、理性とは対極にある何かによって破壊されているかのようだと、私たちには思えた。Johnnyの病気が、外界に存在する全ての争い、そして痛みの縮図を私たちに見せつけているようにも感じられた。
 Johnnyの頭で起こっていたのは、理性と暴力の、命を懸けた闘争であった。彼がこの闘争の中守ろうとしたのは、もちろん、彼の精神、肉体である。しかし、それ以上に、Johnnyは人間の精神そのものを懸けて闘っていたのだ。

 思いもよらないことが、起こった。Deerfieldに戻れないと言うことを、Johnnyは、私たちが予想していたよりもずっと冷静に受け止めたのだ。彼にこのことを伝えたのは、他ならぬ私である。二人の先生に家に来て助けてくれるよう頼み、Johnnyは学校で学び損ねたことを取り戻すための準備を始めた。
 彼は真っ直ぐに歩くことができなかった。彼は左手の指が動かせなかった。彼は両目とも、その視野の半分を失っていた。彼の体は、頭にできた腫瘍によって酷く弱っていた。彼の脳の一部は、既に破壊されていた。そして、それでもなお、彼は力強く生きようとしていた。
 FrancesはJohnnyに二人の先生をつけてやった。Johnnyは、戦場に赴く兵士のように毎日の学習を計画し、その通りにし続けた。彼は、彼が勉強したいと思うときはいつでも先生が来てくれるのだと、信じるようになった。
 JohnnyがFrancesに書くよう頼んだ、DeerfieldのBoyden先生に宛てた手紙を、以下に記す。
1946年、11月4日
親愛なるBoyden先生、
 私は、学校での勉強に関して、とても不安を抱えています。去年の物理の試験では、私に期待された30の内の5しかこなすことができませんでした。また、私は今や化学でも大きく後れを取っています。私は学習済みのフランス語の殆どを忘れてしまい、去年の内容も残っています。病気が治らないまま勉強に当たるのは、非常に困難だと言わざるを得ません。
 私を診てくれている23人の医師たち全員が、私の腫瘍は6カ月以上にわたって成長し続けている、ということで一致しています。4月には、父さんは私が弱っていることに気付き、また他の人たちは私が勉強への興味を失ったと考えました。
 私は希望を無くし、そしてとても落ち込んでいます。どうしたら学びそこなったことを学ぶことができるか分からないからです。私は去年の英語の試験も、上手くいきませんでした。私は、この恐ろしい状況に、閉じ込められてしまったかのように思えます。私は今日で17になります。私は来年、ハーバード大学に進みたいと思っています。しかし、はじめに、私は試験を受けなくてはなりません。上手くいくとは、とても思えません。
 Haynes先生に、私の物理の成績評価を見逃してくれるように、頼んでいただけませんか。そしてBoyden先生に、私は他の生徒たちのように化学の内容を完遂することはできないことを説明してください。
 私の英語とフランス語の試験用紙がどこかに行ってしまったので、私は何をしたらいいか分かりません。
 こんな形で心配ごとをお伝えすることになって、申し訳なく思います。他の生徒たちにも、よろしくお伝えください。
JOHN GUNTHER

 手紙の最後に、Johnnyは、彼が物理の内容のいくつかは完遂できるということ、しかし学校の勉強に関する問題が、彼にとってひどく不安であることを書き加えた。
 Boyden先生はとても紳士的で、温かい手紙を返してくれただけでなく、Johnnyを勇気づけ希望を与えるために、Haynes先生をDeerfieldから遠く離れたニューヨークまで送ってくれさえした。Haynes先生はしばらくの間しか留まらない予定であったのだろうと思うのだが、数時間に渡ってJohnnyの傍らに座って話して行ってくれた。Haynes先生の訪問は、Johnnyの学校に関する不安を軽減してくれた。
 Haynes先生の訪問の後、Johnnyは数学の先生に手紙を書いた。
親愛なるBill先生、
 是非とも、去年の数学の試験を受けさせていただけませんか。ここ1,2ヶ月、夏の間、Elbert Weaver先生に数学を教わり、私は去年一年分の内容を習得しました。すぐにでも試験を受けなければ、私が今までに修得した分まで忘れてしまうのではないかと、不安に思います。
 そこで、父さんに宛てて数学の試験用紙を送っていただきたく思います。決められた時間の間に取り組めるよう、父さんに取り計らってもらえるでしょう。
 済んだら、試験をそちらに送り返します。もし私がその試験で上手くいっていないようだったら、できれば、私が学校に戻った後もう一度試験を受けさせてくれませんか。
 Boyden先生によろしくお伝えください。

 さらに後、JohnnyはBoyden先生に宛てて二通目の手紙を書いた。
親愛なるBoyden先生、
1946年、11月20日、
 温かく、心のこもったお手紙をありがとうございます。私はもう学校について不安には思っていません。そして、もし前に出した手紙に好ましくない所があったら、申し訳なく思います。Haynes先生ともお話して、学び損ねてしまった内容を取り戻せると確信しています。
 私が食べなくてはならない食べ物も、今はそう酷くは見えなくなりました。毎週、私は健康を取り戻しているのを感じます。
 私は私の学級で今扱われている内容を、歴史と英語について、学ぼうとしています。同時に、私は去年の試験を受けることを、まずは数学から始めています。Boyden先生の授業の内容に取り組む時が来たら、それはとても喜ばしいものになると思います。
 Johnnyの最初の試験を受けた日は、とても嬉しい日であった。彼はその試験で、うまくいったのだった。Johnnyが病気になって以来、最も重要な瞬間の一つであった。彼の先生の一人は、次の試験までしばらく時間をおくべきだと言ったが、Johnnyを制することはできなかった。JohnnyはFrancesに言った。
「母さん、先生に、化学と物理の試験も受けさせてくれるように言ってよ。」
 彼は何度も、奇妙に遠い目をして繰り返した。
「母さんは、分かっていないんだ。僕にはやるべきことがあって、でも時間は少ししかないんだよ。」
 最終的に、私たちはJohnnyに翌日試験を受けることを許すことを決めた。彼は、それらの試験でも上手くやった。彼はFrancesに言った。
「時には、機会を生かさなくてはならないこともあるんだ。」

 突然に、Johnnyの容体は再び酷く悪化した。彼の出来ものは二つの赤りんごのようで、彼は弱り込み、高い熱に苛まれた。Putnam医師は旅行から帰ってくると、Johnnyを診察した。彼はJohnnyがまだ生きていること、そして前年の学校の勉強を上手くやることができるほど彼の容体が良かったことに驚いた。本当に、Putnam医師は自分が見ているものが信じられない、というような顔をしていた。Francesと私が不安に待ち、Johnnyが寝ている間、Putnam医師とTraeger医師、そしてGerson医師は閉じたドアの向こうでほとんど一晩中話しあっていた。
 Gerson医師以外の全員が、腫瘍の拡大を防ぐため、すぐにでも簡単な手術をするべきだという意見だった。Johnnyの出来ものは非常に危険な状態になり、黄白色の液体が中から流れ出すようになっていた。それは大きくなる一方で軟化し、中から液体を取り出すのさえ困難であった。
 結局手術は行われることになり、午後に手術の予定が組まれた。早朝、Johnnyの出来ものは、Gerson医師が何度も行っていたとおり、自然に開いてしまった。Johnnyに呼ばれて駆けつけたMount医師は、状況を見ると、その部屋で手術を行う決断をした。もはやJohnnyを手術室に移送する余裕すらなかったのだ。Mount医師は手術を終えた後、午前11時頃に私を呼んだ。彼の声は心なしか弾んでおり、手術の成功を物語っていた。Mount医師はJohnnyの脳の深いところから、カップ一杯分もの液体を取り出すことができたのだった。
 Johnnyは素早く元気を取り戻していった。再び、彼は希望を持つようになった。彼は遊び、勉強し、友達と話し、看護婦たちと笑いあった。Johnnyは学校の試験にも挑戦した。彼が試験を受けている間にも、包帯は取り替えられ、電話は絶え間なく鳴り、掃除係の女性が彼の部屋に清掃に来たにも関わらずである。
 数時間おきに、大量の包帯がJohnnyの頭に巻かれた。この包帯巻きには、非常な注意が要求された。しかしこのときの彼の容態は、その闘病生活の中で最も良いものだった。あの恐ろしい出来ものは完全に消え去った。Mount医師は液体を全て、Johnnyの出来ものから取り出してくれたのだった。
 Johnnyの頭は今や、健康な人のそれとほとんど変わらなかった。変わるところがあるとすれば手術の跡位だが、それもしばらくすれば彼の髪に覆われるであろうものでしかなかった。私たちは、思った。来年には、Johnnyの脳から腫瘍の最後の一欠片が取り出される。そうすれば、全て解決する、と。
 Johnnyの元を医師たちが入れ替わり立ち替わり訪れ、彼らは皆驚かされた。ただJohnnyが、誰も予想だにしていなかったことなのだが、生きていたからではない。彼がベッドの上に座り、化学について話していたことに医師たちは驚いたのである。
 数日が経って、Johnnyの頭から取り出された液体の分析結果が出された。そこからは特に危険なものは検出されず、またJohnnyの腫瘍に新たな成長は見られないということだった。Johnnyの腫瘍は治癒し、その残骸は液体として出てきているというGerson医師の考えは、この結果によって根拠付けられたように見えた。Gerson医師は少なからず喜んだ。

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最終更新:2009年11月24日 17:52