今になっても、なぜJohnnyの容態が冬の間回復していたのか、確かなことは分からない。私やFrancesも、医師たちも、考え、推測しようとしたが、やはり分からず仕舞だった。
 JohnnyはX線治療のお陰で、容態を改善できたのかもしれない。というのも、X線治療は、その結果が現れるのに時間がかかるのである。またHN2の効用は未知数で、あるいはこの効果だったのかもしれない。ただ単純にJohnnyが若く、健康な組織が成長できたために、腫瘍を患いながらも良い容態を保つことができたのということも考えられる。Gerson医師の治療が効いたのか、あるいはこれら全てが原因なのか、結局のところ分かりはしないのである。
 これと同様に、何が次に起こる深刻な状況をもたらすのか、誰にもわからない。何が、一体何が腫瘍を再発させるのか。私たちが知っていることの全ては、数ヶ月に渡ってJohnnyは小康を保ち、そして突然に、悲しいかな、彼は再び病に倒れてしまったのである。
 医師たちは、Johnnyの最初の手術からの記録を分析した。彼らは上手い具合に閉じたJohnnyの頭を診て、彼が歩く様子を観察し、彼の手を診察し、そしていくつかの質問をした。全ては円滑に、速やかに行われた。
 翌日、2月19日、Johnnyがその日最初の食事をしている時、彼は震え始めた。そしてJohnnyは突然起こったことを全て忘れてしまったのだ。彼はFrancesに、このように話した。
「今は、朝の8時だったか、それとも夜の8時だったか。」
「ここはどこか。」
「昨日は何が起こったか。」
「思い出せない。」
「絶対におかしい、思い出せない。」
 この時最も驚かされたのは、Johnnyが、彼が昨日医師たちに会ったことさえ忘れていたことだ。Johnnyは無意識に、恐ろしい経験であったであろうことを彼の精神から閉め出していたのである。彼は、昨日起こったことを、何も思い出せなかった。
 Johnnyの体の状態は、ますます理解しがたくなって行った。3月の間、Johnnyの容態は良かったが、彼の出来ものはゆっくりと膨らみ、彼が周りの状況を理解していないのではないかと思えるような瞬間もあった。Johnnyの手足は弱り、彼の口の片側は、もう片側に比べて低く垂れ下がっていた。また、彼はしばしばものを左手から取り落とした。しかし、Johnnyの目は回復して行っていた。
 Johnnyの容態が、ある面では良くなり、同時に別の面では悪くなるなどということがあり得るだろうかと、私たちは怪しんだ。私たちはJohnnyを眼科に連れて行った。医師はJohnnyが失明することは無いだろうという診断をし、私たちは少しだけ安堵した。
 しかし、Johnnyの左半身の衰えが、彼の右の手足に広がったらどうなってしまうだろう。医師たちの中には、そんなことはあり得ないと主張する人もいた。また、それに反発する者もいた。彼らの意見が一致してくれたら、と私は思った。
 だが、3月から4月の間、Johnnyは勉強を続けた。彼が考えられたただ一つのことは、夏の終わりからハーバード大学に行くことだった。しかし、このためには、JohnnyはDeerfieldの勉強を完遂しなくてはならなかった。彼はまた、彼がハーバード大学に入学できるかどうかを決定する試験で上手くやらなくてはならなかった。これらは、Johnnyが出来ることの限界を超えているように見えた。
 その後、3月11日、Johnnyは、11ヶ月間もの間学校に行っていなかったにも関わらず、彼がDeerfieldで学ばなくてはならない歴史を全て収得した。しばらくして、彼はBoyden先生から、喜ばしい内容の手紙を受け取った。Johnnyは英語の試験で、上手く行っていたのである。私はJohnnyが化学を学ぶのに役立つような本を手に入れるため、彼を街に連れて行った。6週間後、彼は英語、歴史、数学をほぼ完遂した。Johnnyは脳の半分を取り出されながら、これを成し遂げたのである。
 ハーバード大学宛に手紙を出し、Johnnyが生徒として受け入れられるかどうか訪ねる尋ねる時が来た。しかし、Johnnyが自分で答えなくてはならない質問があった。その中の一つは、「あなたが大学に進学したいと、そしてハーバード大学に入学したいと考えるのはなぜか。」というものだった。
 Johnnyは、酷く震える手で、彼は来るべき時のための準備をするために大学に行きたいのだということを書いた。彼はまた、ハーバード大学に行きたいと考える理由として、彼は化学を学びたいと考えていて、ハーバード大学は化学の研究に最適な場所だと教えられているからだ、と答えた。
 4月12日の早朝、私とFrancesはJohnnyを、ニューヨークの学校に車で連れて行った。そこで彼は、彼が大学に入れるかどうかを決める試験を受けることになっていたのだ。
 私たちは、到着すると、頑強で健康な若者たちの人混みの中で1時間近く待たなくてはならなかった。Johnnyにとって、その人混みの中を移動して正しい試験会場に行くのは非常に困難だった。彼は数インチずつしか進めない時もあり、またある時には試験の時間に間に合うように廊下を走らなくてはならなかった。彼を見て笑う少年たちもいた。Johnnyはとても弱って見えた。彼は真っ直ぐ歩けず、そして彼の包帯はその顔を実際よりもずっと白く見せた。FrancesはJohnnyに付き添って行った。
 Johnnyが受けた試験は6時間半に渡って続いた。私たちは夕食の時間まで帰宅できず、家にたどり着くとJohnnyは椅子に座り込んだ。しかし一瞬の後には、彼は再び立ち上がり、彼と同じ試験を受けた他の少年たちと電話で話した。

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最終更新:2009年11月29日 00:13