6月27日の朝は、恐ろしいものだった。食事中、Johnnyは突然、私のほうに振り返って言った。
「母さんは、ここ数日、どこに行っているのか。」
その後、Johnnyは、頭に出来ものが再びできているのを見つけた。彼は、今や、包帯を巻かれていなかった。Johnnyの手は、彼の戸惑いを体現するかのように、その出来ものの上を何度も何度も行き来した。
「これは、何?」
彼は、私に尋ねてきた。私は彼を、何とも答えられず、見つめた。Johnnyは、続けて言った。
「この出来ものは、どのくらいの間あったのか。」
「僕はDeerfieldに、何年いたか。」
「今日は、何日だったか。」
「この薬は、何の薬だったか。」
「僕は、先週、どこにいたか。」
彼は、そして、震え始めた。
夜、夕食をとる頃には、Johnnyは再び物事を思い出せるようになっていた。彼はおおむね健康に見えたが、体温は低く、翌日はずっと眠たそうにしていた。彼の残りの寿命は、このとき、刻一刻と削られていたのだが、私は未だそれに気づかなかった。6月28日の午後、Johnnyはずっと眠っていたが、彼が病気になって以来それは珍しいことではかかったので、私は全く気にしなかった。
しかし、私は、深い恐怖を感じていた。それは私に付きまとい、だが、根拠のないものだった。Johnnyの容態は日曜日には大分回復したが、私はFrancesに電話を掛け、家に戻ってくるように言った。Francesが戻ってきたのは、その夜のことだった。
この日曜日、Johnnyは、病気になってから最もと言っていいほど元気だった。私は、Francesにやはり戻ってくる必要はないと伝えようかと考えたほどだった。Johnnyは機嫌が良く、私の近くにいた。彼は私について歩き、色々な話をした。Johnnyは、彼が読んでいた本を笑い、その中のいくつかを私に読んで聞かせてくれた。彼がそんな風にするのは、滅多にないことだった。
Johnnyはこの日、一度私のところを離れたと思うと、すぐに戻ってきた。まるで、私に甘えようとしているかのようだった。彼の愛らしさや良心、良さは全て、この時に彼の中から抜け出していったのかもしれなかった。夜までに、Johnnyは夏の間に買い求めた本の全てを集め終えた。ほとんど全ての本が、物理や化学に関するものだった。
そのうちに、Francesが帰って来た。JohnnyとFrancesは十日間に渡って顔を合わせていなかった。私は既にJohnnyを寝室に行かせていたが、彼は未だ寝ていなかった。
「お帰り、母さん。帰って来てくれて嬉しいよ。」
彼は、ほとんど叫ぶように言った。JohnnyとFrancesは様々なことを話し、笑い合った。
翌日の月曜日、6月30日の朝、Johnnyの髪を洗ってやっていたFrancesは、彼の体調が少し優れないことに気づいた。そこで、私はJohnnyを病院に、血液検査とMadisonに行く前の最後の診察を受けさせるため、連れて行った。病院の誰もが、特に異常は見受けられない、と言った。しかし数日前、私はある医師から、Johnnyの容態の悪化は彼の頭の中で生じた何らかの圧力によるものかもしれない、と電話で聞いていた。だが本当に、誰も、異常や、あるいは何か恐怖の原因になるものを、見出しはしなかったのだ。Johnnyの容態に、深刻な異常の兆しは何もなかった。
その日の昼、私が友人と昼食をとっているとき、電話がかかってきた。Francesからだった。
「Johnnyが、頭痛があるみたいなの。今、彼に代わるわ。あなたと話したいって言ってるから。」
私は、尋ねた。
「酷く痛むのか、Johnny?」
「ああ!Traeger医師に電話して、痛み止めを持ってきてくれるように頼んだところだよ。」
私はTraeger医師に電話し、薬は既に送られている、という話を聞いた。その後、私は歩いて家に帰った。
時刻は、午後の2時35分を回ったところだった。Francesは、Johnnyを私の部屋から彼の部屋に移そうとした。Johnnyは、私の部屋から電話を掛けていたのである。しかし、彼は酷く弱り歩くことも出来ない様子で、Francesの意向に沿うのは難しかった。だが、私はそれでもまだ気にしなかった。これまでに、私たちはより困難な状況を経験して来ていたからである。私は4時から仕事上の友人と会うことになっており、Francesに、5時には戻るから、と伝えておいた。私は、行って来ますを言うためにJohnnyの部屋に入った。目を瞑って、開きたくなかった。彼は、白かった。彼の肌は、冷たく、湿っていた。
私はTraeger医師に、電話を掛けた。まだ、終わった、などと思えなかった。Traeger医師は、外出していた。電話に出た看護婦が探してきましょうか、と言った時、私は、必要ありません、と答えた。しかし私は、Traeger医師が6時頃仕事を終えたら来てくれるように、と頼んでおいた。その後、私はJohnnyの部屋に戻り、彼を見た。彼はFrancesに何か言ったが、Francesは聞き取れなかった。彼はまた、Deerfieldの先生の一人についても話そうとした。私は友人に電話を掛けて、急用が出来た、と伝え、次の瞬間、Traeger医師から電話がかかってきた。私は、電話に向けて叫んだ。
「急いで来て下さい。急いで!」
Traeger医師はしばらくの間Johnnyを診ていたが、すぐにこちらに向き直った。
「今にも、Johnnyは亡くなりそうです。治療を、施しましょうか?」
Johnnyの腫瘍は、その圧力で以って彼の脳に過剰な血液を流入させ、彼の脳を機能不全に追い込んだようだった。医師たちが推測するJohnnyの最期は多く聞かされてきたが、そのどれも結果的には外れていた。
Traeger医師がMount医師を呼ぶと、街を離れようとしていたMount医師は駆けつけてきた。私が医師たちの顔から全てを理解するのは、これが2回目で、そして最後であった。Mount医師はFrancesと共に部屋を横切って歩き、優しく言った。
「私の経験上、こんなにも酷い腫瘍を見るのは初めてです。」
病院の車が到着し、私たちはJohnnyを近くの病院に移した。それ以上遠くの病院に移そうとすれば移動中にJohnnyは亡くなってしまうだろう、とMount医師が判断したからだった。私たちは6時過ぎに病院に到着し、Johnnyは有効性が期待できるあらゆる薬を投与された。永遠にも等しい数時間を、私とFrancesはJohnnyの側に座ったり、廊下を歩き回ったりして過ごした。暑く、良く晴れた暗い夜だった。Johnnyは横を向き、安らかに、二度と開くことのない目を閉じて眠っていた。彼は恐れも、痛みも、死に行くことの自覚もなく、完全に亡くなっていた。
11時前、私とFrancesはやっと、Johnnyのいる部屋に行くべきだと思い至った。私たちはそれまで、外に立ち尽くしていたのだった。Johnnyの全身は突然、まるで彼が未だ闘っているかのように、震え始めた。しかし私たちは、全てが終わったことを知っていた。誰かが、呼び鈴を鳴らして医師を呼んでいた。Johnnyの治療に関わった医師のうち、その場にいた者は皆無だった。だが、例えいたとしても、彼らに出来ることは何もなかっただろう。Traeger医師は家に帰っていたが、すぐに病院に戻ってきた。病院のほかの部屋にいた医師も、間をおかず来てくれた。全ての医師が、死の、冷たい石造りの顔の前には無力だった。
午後11時2分、Johnnyは、亡くなった。Francesは前に歩み出ると、Johnnyの亡骸に触れた。私もJohnnyの腕を、両手で包み込んだ。Johnnyの体に残った体温は、彼の指先から、だんだんと失せていった。暖かさは、かなり長く残っていた。その後、少しずつ、彼の顔からは生気が消え、彼の唇も青くなり、その手は冷たくなった。人の生とは、何なのか。その答えを教えることなく、それは、私たちの前から消えてしまった。静かに、速やかに、死はJohnnyを連れ去っていった。
Johnnyの生の痕跡は、小さな教会で花に囲まれて横たわるその体だけだった。彼の表情は穏やかで、生前の苦しみを想起させるものは何一つなかった。私とFrances、そしてJohnnyの友人たちは、Johnnyに別れを告げた。別れを、告げたのだった。しかし、Johnnyを知る者にとっては、彼は未だ生きているも同然だった。私は、単に、Johnnyが私とFrancesの中に、Deerfieldの木に、あるいは彼が実際に触れたものの中に息づいている、と言っているのではない。彼は、未だ、生きている。彼の勇気、そして彼の人格の強さは、彼がその生を終えた後も、意味を持ち続けるのだ。
Johnnyが亡くなった時、自然すらそれを知った。その夜、熱い風が吹き付け、病院の窓を揺さぶった。しかし、彼が教会に送られた日は素晴らしいものだった。暖かく、空は青く澄み渡り、雲一つなかった。
私はここで、なぜJohnnyは彼の最も前途に明るかった部分を壊されなければならなかったのか、あるいは、なぜ、なぜ子供が死ななくてはならないのか、と考えることはしない。私たちにとって、私たちの方がJohnnyのいるところに行かない限り、救いなどありはしない。Johnnyが私たちの方に来ることは、望めないのだ。Johnnyがあれほどの恐怖の中、あれほど長く生き続けることを可能にしたのは、他ならぬ彼の勇気だろう。これは、私が最も主張したいことである。私は、敬意を表したい。残念ながら、Johnnyだけに対してではない。人間の勇気の、偉大な力、底知れなさ、そして、美しさに、である。
最終更新:2009年11月24日 17:54