4.Breaking the news


 Sandal氏から連絡を受けたBeeは、非常な衝撃を受けた。電話の受話器を置いた後も、Beeはイスに座り込んだまま考えを巡らし、やがて立ち上がるとPatrickの写真を探し出して手
にとり
眺めた。Patrickを思い起こさせるものを、Beeは殆ど残していなかった。写真を何年も大切に取っておく人もいるが、寛恕にはそのような習慣は無かったのである。Beeは、かつてSimonとPatrickが二人で使っていた部屋に足を運んだが、Patrickのものが何も残っていないことは分かってた。Patrickが亡くなった数ヵ月後、BeeはSimonが庭で火を起こしているのを見かけた。炎に巻かれていたのは、おもちゃ、学校の教科書、ベッドの端に掛けられていた木彫りの馬に至るまで、ありとあらゆるPatrickの持っていた品々だった。Beeに見られていることに気付いたSimonは、表情を硬くしたのも一瞬、声を上げて怒り出した。
「Patrickのものが近くにあるのが、気に入らなかったのです。」
「分かります、Simon。」
Beeはささやくように言うと、その場を離れた。
 連絡を受けた翌日、BeeはSandal氏のもとに出向いた。
「あなた自身は、彼がPatrickだと思いますか?」
Beeは尋ねた。
「・・・彼は、嘘を言っているようには見えませんでした。」
Sandal氏は答えた。
「それに彼がPatrickでなければ、一体誰ですか?彼は、確かに、Ashby家の人です。」
「しかし、Patrickなら、もっと早く手紙を寄こしてくるでしょう。」
Beeは言った。彼女が、ここ1日、疑念を抱き続けているのがその点だった。Patrickなら、自分の安否を家族に知らせず、叔母や兄弟を不安にさせるようなことはしない。だから、Sandal氏の所に訪ねてきた男がPatrickであるはずが無い、とBeeは考えていたのだった。
「Patrickのことは、あなたが一番良く知っています。」
Sandal氏は言った。
「あなたの判断を仰ぐのが、最も確実だと思います。Simonは、8年前はまだ幼い少年でした。彼はPatrickのことを、あまり良く覚えていないでしょう。」
責任は自分にあるのだ、とBeeは考えた。どうしたら、彼が本当にPatrickかどうか判断できるだろう。
「しかし、私にも判断がつかなかったら、どうしましょう?その場合、どういうことになるのですか?」
Beeは尋ねた。
「彼の語ったことの詳細を、慎重に調べます。非常に、非常に慎重にです。」
「分かりました。とにかく、待つ必要はどこにも無いでしょう。いつ、彼に会うことができますか?」
「彼が部屋にいる時に、事前に連絡せずに訪ねてみます。そうすれば、演技したり取り繕ったりすることはできません。彼をオフィスに呼ぶのでは、やはり違ってくると考えられます。」
「なるほど、分かりました。良い考えだと思います。今から行くことは、できますか?」
Beeは尋ねた。
「不都合はありません。不在かもしれませんが、ともかく、行ってみましょう。」
 30分後、Sandal氏とBeeは、Farrarの私室につながる暗い階段を上がっていた。Sandal氏は、息を詰めると、勢いよく扉を叩いた。
「どうぞ、入ってきてください。」
扉の向こうから、声が聞こえてきた。声は若くはあったが、かなり低く、Simonのような物腰の柔らかさも無かった。
 部屋の中に足を踏み入れたBeeは、ベッドに腰を下した男の顔を見て、衝撃を受けた。子供の頃のPatrickよりも更に、目の前の男はSimonに似ていたからだった。思い出そうと努めていたPatrickの顔は、Simonのそれと重なり、そしてそのSimonの顔は目の前に座る男の顔に重なって行く。
 若い男は、迷惑というよりは、やや驚いたような様子だった。彼は、ベッドから腰を上げると、Sandal氏とBeeの前に立ち、口を開いた。
「おはようございます。」
「おはよう。」
Sandal氏は言った。
「突然に、申し訳ありません。会って頂きたい人がいまして。この方を、ご存知ですか?」
若い男が、落ち着いた表情で視線を送ってきた時、Beeは心臓が早鐘を打つのを感じた。
「髪型を変えたのですね。」
彼は言った。
「この人が、分かったのですね?」
「もちろんですよ、Beeおばさん。」
BeeはPatrickが挨拶してくるだろうと思ったが、彼は後ろを振り返ると、Beeにイスを勧めた。
「Beeさんは、すぐにでもあなたにお会いしたいということでしたので、お連れしました。」
Sandal氏は言った。
「あなたはあまり喜んではいないように・・・。」
Sandal氏の言葉は遮られた。

 「私が歓迎されているかどうか、分からないのです。」
FarrarはBeeの方に向き直り、柔らかい調子で言ったが、笑ってはいなかった。
 静寂が落ちる部屋を、Farrarは横切って歩いた。Beeはその足の様子に気付き、口を開いた。
「足に、怪我をしたのですか?」
「はい、合衆国で。痛みはしませんが、長さが違うのは、不便ですね。」
Farrarは答えた。
「長さが違う?では、いつもそのような様子なのですか?」
「ええ、そうです。」
「しかし、きちんとした治療を受けていればそうはならなかったのでしょう?」
Beeは言った。
「どういう病院に行ったのですか?良い医者は見つからなかったようですね。」
「医者までは覚えていません。しかし、病院はできる限りの治療を提供してくれたと思います。」
「しかし、Pad・・・」
Beeは言いかけたが、Patrickの名を口にすることはできなかった。
 再び、狭い部屋に静寂が落ちた。静けさを破ったのは、Farrarの穏やかな声だった。
「確信が持てるまでは、私をPatrickと呼んで頂かなくても構いませんよ。」
「とにかく、あなたの足を治すことができないか考えてみます。」
Beeは取り繕うように言った。
「どういう事故に遭ったのですか?やはり馬ですか?Sandal氏から、あなたは馬に関わる仕事をしてきたと聞きましたが、どうでしたか?」
「充実していました。楽しくもありましたよ。」
Farrarは言った。
 Beeは、この若者が本当にPatrickであって欲しい、と思い始めていた。
 Sandal氏は再び口を開き、言った。
「Beeさんの判断であなたがPatrickだということになっても、私は私で調べを進めます。あなたがAshby家に戻れば、それで全てが解決するというわけではありません。あなたはご存じないかもしれませんが、ご両親の遺産の問題が絡んできているのです。」
「分かっています。あなたの調べが済んで結論が出るまでは、ここに留まりましょう。」
Farrarの声は、あくまでも低く、落ち着いたものだった。

 Sandal氏はオフィスに戻るとFarrarの語ったことを調べ始めた。一方のBeeはLatchettsの自宅に着くと、抱え込むことになった数多くの問題について考えることにした。最大の問題は、Simonの21歳のパーティを、理由を明かすことなく延期しなくてはならないことだった。Simonと子供たちには、Patrickに関わることは伏せておく、というのがSandal氏の意向だったのである。もし彼がPatrickでないということになっても、Simonたちは余計なことを知らずに済むからである。
 海外に長年住んできた、親類のCharles氏によって、この問題は一応の解決を見た。香港に住む彼が、自分が到着するまでパーティを行わないで欲しい、という連絡を寄こしてきたのである。Charles氏は飛行機を嫌い、海外へは船で行くことに決めていたため、彼がイギリスに到着するのは数週間先であった。Charles氏はAshby家の中でも最高齢で、また子供たちに好かれていた。このため、Charles氏の到着までパーティを延期することに、異論がある者はいなかった。
 当面の問題は解決されたものの、Beeは未だ混乱の中にあった。彼女は、自身が会ってきた若者が、Patrickであって欲しいと思ってはいたが、一方で、そうでない方がAshby家のためには良いということも理解していた。Patrickが戻ってくるのは、Bee自身にとっては、この上なく喜ばしいことだ。しかし、Patrickが戻ってくれば、Ashby家は多くの問題に直面することになる。
 調査に費やした数週間の間、Sandal氏はBeeに、度々経過を伝えた。
「これまでのところ、彼の話の疑うに足る根拠は何もあがっていません。」
結局、Sandal氏は、調査が終わるまでこの言葉を繰り返すことになった。FarrarはWilliam Ashbyの長男、Patrick Ashbyとして、公的に認められたのだった。
 Beeは、家族に、事の全てを伝えなくてはならなかった。ある日曜日の昼食後、家族の集まる席で、Beeは口火を切った。
「衝撃的なことを、伝えなくてはなりません。良い意味での、衝撃ですよ。」
家族の視線が、Beeに集まった。Beeは、彼らに、ここ数日で明らかになったことを全て話した。
 Patrickは自殺してはいなかった。彼は、ただ逃げ出しただけだったのだ。そして、今、PatrickはAshby家に戻ろうとしている。Sandal氏が、本当に彼がPatrickであるかどうか調査する間、彼はロンドンに住んでいた。そして、彼はPatrickであるということが明らかになった。Patrickは、家に戻ってくるのだ。
 話している間、BeeはSimonたちの顔を見ようとはしなかった。彼らの表情を見る勇気は、彼女には無かった。Beeが言葉を切ると、部屋は静寂に包まれた。Beeは恐る恐る視線を上げると、Simonの方を見た。死んだように白く、目だけが不気味なほどに輝くその顔は、別人と見まごう程であった。Beeは、気圧され、視線をそらした。
「つまり、Simonが相続することになっていた遺産は、Patrickの物になるということですか?」
Janeは、普段の素っ気無い調子を保って言ったが、その表情には戸惑いがにじみ出ていた。Eleanoaは冷たい声で言った。
「恐ろしいことです。彼は、何の断りも無く・・・何年になりますか?7年?8年近く家族を離れていました。そして、突然に、連絡も寄こさずに帰ってきておいて私たちに歓迎しろと言う。とても恐ろしいことです。」
「格好良かったですか?」
BeeはRuthの見当違いの興味に、内心感謝した。
「ええ、とても。」
Beeは言った。
「彼とは、何回会ったのですか、Beeおばさん?」
Eleanoaは尋ねた。
「一度だけです。数週間前に。」
「どうして今まで私たちに隠していたのですか?」
Eleanoaは食い下がった。
「Sandal氏が調査を終えて、Patrickが家に戻る準備が整うまで、あなたたちに話すのは差し控えた方が良いと考えたからです。あなたたち皆がロンドンに行って彼に会おうとするようなことは、望ましくないでしょう?」
Beeは答えた。
「はい、そう思います。」
Eleanoaは言った。
「しかし、SImonはPatrickにあっておきたかったのではないかと思います。そうでしょう、Simon?ともかく、PatrickとSimonは双子なのですから。」
「私は、その人がPatrickだと、そう簡単に信じる気にはなれません。」
Simonは、言葉をかみ締めるように、冷たい声で言った。
 食堂に、不快な静寂が落ちた。Beeが考えていたよりも更に、どうやら、Patrickと家族の間の隔たりは深いもののようであった。
「しかし、Beeおばさんはその人に会ってきたのです。彼女なら、彼が本当にPatrickかどうか分かるでしょう。」
Eleanoaは言った。
「それに、Sandal氏は、その人をPatrickだと認めているのです。」
「その人が本当にPatrickかどうか、確かなことはどうやっても分からないでしょう。」
Simonは吐き捨てるように言った。
「ともかく、確実にいえることは、」
Beeは言った。
「彼はあなたにとても良く似ていました。彼が逃げ出した時よりも更に、あなたに似ているのではないかと思います。」
SimonはBeeに睨みつけるような視線を送った。
「私に良く似ている?」
彼はオウム返しに言った。Simonは他の家族以上に混乱しているようだ、とBeeはぼんやりと考えた。
「私を信じてください、Simon。」
Beeは穏やかに言った。
「彼は、Patrickです。」
「そんなはずはありません。彼は、あなたたち皆を騙そうとしているのでしょう。その人は、今まで、どこで何をしていたのですか?」
「彼はWestoverの港を発ってIra Jonesという船でメキシコに向かったということです。」
「Westover?誰がそう言ったのですか?」
「Patrick本人です。そして、Ira Jonesの船長も、Patrickが逃げ出した日にWestoverを出航したと話しています。」
Simonは返す言葉を探すように、机の上に視線をさまよわせた。BeeはSimonを見つめたまま、続けて言った。
「彼が語ったことも、全て、調べられました。フランスで働いた場所、メキシコへ向かった船、アメリカで得た職、そしてイギリスに帰国するに至るまで。PatrickがSandal氏のオフィスを訪れた瞬間までの全てについて、彼は真実を語っていました。」
「その人は、Patrickではありません。」
Simonは怒ったように繰り返した。
「あなたにとって衝撃が小さくないことは分かります、Simon。」
Beeは言った。
「しかし、本人に会えば、あなたにも理解できると思います。彼は間違いなくAshby家の人で、そしてあなたに良く似ているのですから。」
「彼はいつLatchettsに来るのですか、Beeおばさん?」
Eleanoaは尋ねた。
「火曜日です。もし気持ちの整理をつけたいのであれば、もう少し引き伸ばすこともできます。」
BeeはSimonの方に向き直って言った。Simonは今にもイスから崩れ落ちそうな様子で、両の手を握り締めていた。
「時間が経てば私の気持ちの整理がつくだろう、と考えているのなら、それは誤りです。」
SimonはBeeの方を見ずに言った。
「私
にとり
その人はPatrickではありません。決して、そうはなり得ません。」
 そして、彼は音を立てて扉を開けると、部屋から出て行った。


5.Difficult times


 翌日、BeeはNancyとGeorge Peckのもとを訪れた。家族には、Patrickが戻ってきたという知らせを伝えに行く、と言ってきた。しかし、実際には、PatricとSimonについてGeorge Peckに相談しようと考えていたのだった。George Peckは地域の司祭として、住民たちの悩み事を真摯に受け止めてくれることに、定評があったのである。BeeがGeorge Peckの私邸に到着したとき、彼は庭で花の手入れをしていた。彼女はGeorge Peckの傍に立つと、何と切り出したものか、と一瞬考え、ややあって、口を開いた。
「George、Patrickを覚えていますか?」
「Pat Ashbyですか?もちろんですよ。」
彼は振り向き、Beeの顔を見ると軽く微笑んだ。
「そのPatrickについてです。彼は、死んではいませんでした。ただ、逃げ出しただけだったのです。Patrickが残したメモは、どうやら、それを伝えるものだったようです。彼は、数日のうちに帰ってくることになっています。しかし、Simonはそれが気に入らないようです。」
Beeは話しながら、我知らず涙をこぼしていた。
「ともかく、座りませんか、Bee。」
George Peckは穏やかな調子で言った。
「詳しいお話を聞かせてください。」
 そこで、彼女はここ数週間のうちに起こったことを、George Peckに語った。そして、話は、Patrickが戻ってくると知った家族の反応に至った。
「Eleanoaは冷たい様子でしたが、彼女は分別のある人です。受け入れてくれるでしょう。Janeは怒っているようで、Simonに同情しています。しかし、実際にPatrickに会えば受け入れてくれると思います。おおらかなのが、彼女の常ですから。」
「Ruthはどうですか?」
George Peckは尋ねた。
「彼女は、Patrickが来た後のことについて、あれこれと計画を立てているようです。」
人の良い司祭は微笑んで、言った。
「Ruthのような人は、世界で最も幸せな部類に入るのでしょうね。」
「しかし、George、Simonはどうしましょう?どうして彼は、Patrickを嫌うのでしょうか?双子の兄が、戻ってくるというのに。」
「おかしなことではないと思いますよ。8年もの間、SimonはLatchettsが自分の物になると信じていたのですから。21歳になれば、母親の遺産を受け取ることができる、と。突然に、そういったものが全て自分の手から離れていってしまう。それを受け入れなくてはならない彼の心情は、理解できるでしょう。」
「私の言い方が悪かったのかもしれません。最初に、Simonに伝えておくべきでした。彼が、Patrickが生きていることを認めようとしないとは、思いもしませんでした。」
「不都合なことに直面した人は、そのような態度をとるものですよ。あなたは大人でしたから、Patrickのことを覚えているでしょう。あなたは彼を好いていましたから、彼が生きていれば嬉しく思うのは当然です。しかし、Simonは子供でしたから。Patrickを受け入れられるほど、彼のPatrickへの気持ちは、確かなものではないのでしょう。突然に現れて、自分の者を奪っていくだけの者。SimonはPatrickのことを、こんな風に考えているのかも知れません。」
「ああ、George、」
Beeは言った。
「私は、そこまで考えが至りませんでした。」
「Simonには、難しい時間になるでしょう。しかし、8年間に渡って、私が探し続けていた答えが見つかりました。私には、なぜPatrickが自殺したのか、理解できませんでした。Patrickは分別と責任感のある子供でしたから。なぜ自殺に走ったのか、と考えさせられたものです。有体に言えば、らしくない、といったところでしょうか。しかし、Bee、一つ教えていただけますか。あなた自身は、成人したPatrickが戻ってくることについて、本当に嬉しく思っているのですか?」
「ええ、もちろんです。彼は、私のもとを離れていってしまったPatrickその人ですから。それに、彼は馬が好きなようです。」
「なるほど、それは嬉しいことですね。」
George Peckは微笑んで、言った。
「ええ、」
Beeは相槌を打った。
「Latchettsが、馬が好きな人に運営される、というのは非常に望ましいことです。Simon
にとり
馬は、都合の良い収入源でしかありませんから。」
 Latchettsへの帰路を辿りながら、Beeは、George PeckがPatrickについて言っていたことを口の中で繰り返した。
「分別と、責任感のある子供・・・。」
確かに、BeeもPatrickに対して同じような印象を抱いていた。しかし、分別と責任感のある者が、8年も家族に連絡を寄こさないようなことがあるだろうか。

 丁度同じ頃、Brat Farrarの気持ちは、揺らぎつつあった。
 Sandal氏に渡されたお金で買った新しいスーツを着込んだFarrarは、自分のおかれた状況を見つめなおし、衝撃を受けた。どうして、ここまで来てしまったのか。どうして、Lodingの計画を進めて行けようか。
 無理だ、とFarrarは思った。これ以上取り返しのつかないことになる前に、手を引こう。
「何を言っているのですか。」
Farrarの中の声が言った。
「人生最高の機会を、自ら手放すなんて。転がり込んでくる財産を、自ら跳ね除けるなんて。」
「そのつもりです。」
Farrarは答えた。若い男が一人で、何事かつぶやいている格好である。
「財産など、私は、望みません。」
「牧場を経営できる機会を、自ら失うことになるのですよ。Latchettsを見ることすら、二度とかなわないのですよ。」
Farrarは反論の言葉を探して、空を睨んだ。声は、畳み掛けた。
「今立ち止まれば、もう機会は巡って来ないでしょう。」
「Latchettsは、私とは何の関係も無いはずです。」
Farrarは言った。
「あなたがそれを尋ねるのですか?Ashby家の人の外見を持つあなたが。Ashby家に受け入れられたあなたが。あなたの内面もまた、Ashby家に相応しいものでしょう?Latchettsの牧場への関心を捨てきれていないのは、さて、どなたですか?」
「関心が無い、とは言っていません。もちろん、関心はあります。しかし、犯罪に当たるようなことはしかねます。」
Farrarは怒ったように答えた。
「犯罪に当たるようなことは、しかねる?ここ数週間、自分がしたことを、思い返してみてください。楽しかったでしょう、多くの人に嘘を吐いて回るのは。今になって、何を恐れることがありましょうか。Ashby家の者として、Latchettsに住みたいと思っているのでしょう?馬が欲しいのでしょう?冒険をしてみたいのでしょう?イギリスに住み続けたいのでしょう?火曜日にLatchettsに行けば、全て、手に入るのです。」
声は、狡猾な調子で、Farrarの中を反響し続けていた。
 Farrarは黙ったまま、俯いていた。ベッドの端に腰を下した彼は、顔を両手で多い、肩を落とした。ロンドンに夜の帳が下りても、彼は未だ、彫像のように動かなかった。


6.Welcome home?


 透き通るような青空のもと、それとは対照的な心持のまま、FarrarはLatchettsに向かった。肌寒さを残す風が、コートの裾を煽る。荒れるかもしれないな。何度目かのため息を吐き出すと、Farrarは空を見つめ、口を引き結んだ。

 BeeはPatrickの到着について、非常な不安を抱えていた。簡単な出迎えになれば、それに越したことは無い。だが、誰が駅まで彼を連れに行けばよいだろう?RuthとJaneは皆で行くことを提案したが、Beeはそれには同意できなかった。どんな形にせよPatrickと関わることを、Simonが拒むのは、明らかだったからである。だから、EleanoaのPatrickを迎えに行ってもよいという言葉に、Beeは少なからず感謝したのだった。
 彼女の次の心配事は、昼食についてだった。もしSimonが昼食に来なかったら、どうしたらよいだろう。そして、彼が、Patrickのようなことになってしまったら。

 Guessgateは小さな駅で、電車から降りたのはFarrar一人だった。
「こんにちは、」
EleanoaはFarrarに手を振ると、近づき、言った。
「本当に、Simonに似ていますね。」
 Farrarは、自分に話しかけてきた女性が乗馬服を着ていることに気付き、言った。
「Eleanoaですね。」
「ええ、そうです。他に荷物はありますか?」
「いえ、これで全部です。」
Farrarは、手に持った小型のスーツケースを、わずかに持ち上げて見せた。
「おや、どこかに行って来られたのですか、Ashby氏?」
Farrarの切符を回収しながら、駅員が尋ねた。
「ええ。」
Farrarは答えた。その声がSimonのそれとは異なっていたからか、駅員は顔を上げ、不思議そうな表情を見せた。
「彼は、あなたをSimonだと勘違いしたのでしょう。」
Eleanoaは微笑をたたえていった。
「お帰りなさい!」
 Farrarは彼女の穏やかな、何かしらの決意を固めた顔は、またとても可愛らしいことに気がついた。前を行くEleanoaの髪が風に揺れるのを見ながら、彼は「お帰りなさい」という言葉を口の中で繰り返し、少しだけ気持ちが軽くなるのを感じた。
「丁度木々に花がつき始める時期です。ほら、そこで子馬が飼われています。ここの馬を気に入っていただければ、嬉しいです。Beeおばさんから、あなたはまだ馬に関心を寄せているという話を聞きましたから。」
Eleanoaは言った。
「はい。しかし、飼育の方面に携わったことはあまりありません。主に、教練をやってきました。」
 Eleanoaの運転する車は、Clareの村を抜け、Clare Parkの入り口に当たる門の前を通り過ぎた。門の前にはライオンをかたどった置物が飾られ、その前で少年が遊んでいた。
「Clareが学校になったことを、知っていますか?」
Eleanoaは尋ねた。
 Farrarはほとんど頷きかけたが、長くLatchettsを離れていた自分がそれを知っているのは不自然だということに気付くと、首を横に振った。
「どういう学校なのですか?」
「学業を嫌う、裕福な子供たちのための学校です。Clareの学校では、生徒たちに、学ぶことを強制はしません。生徒たちが、主体的に、学業の大切さに気付くことを期待しているのでしょう。上手く行っているようには、とても見えませんが。」
Farrarは軽く微笑んだ。
「それなら、生徒たちは毎日、何をしているのですか?」
「私は、Clareの生徒たちの何人かに、乗馬を教えています。彼らは、乗馬は気に入っているようです。もっとも、彼らに教えるのは非常に大変なのですが。彼らは大抵退屈していて、面白いことを探し求めています。何か、並一通りでないようなことを。ああ、着きました、ここがLatchettsです。」
 Eleanoaはハンドルを切ると、ゆっくりと砂利道に車を滑り込ませていった。その時、突然に木陰から飛び出してきた小さな人影に、Farrarは肩をすくみ上がらせた。それはEleanoaも同じだったようで、飛び出してきた女の子に向けて大声で喚いたが、怒鳴られた本人は全く意に介していないようだった。
「こんにちは!こんにちは!Patrick!私です!Ruthです!一緒に行きましょう。そうだ、膝に乗っても構いませんか?Eleanoaの車には場所が無いし、それに服を汚したくありませんので。あなたが来るので、特別に、着てきたのですよ。それとも、私にあっても、嬉しくなんかないですか?」
 Ruthは返事を待って、Farrarの方を見つめた。Farrarは、ああ、とあいまいな返事をするに留めておいた。
「私たちはあなたのことを、ずっと考えていたのですよ。ここ数日、あなたのことしか話していなかったほどです。」
Ruthは不満そうに言った。
「えーっと、」
Farrarは言った。
「もしあなたが何年もいなくなっていたら、皆あなたのことを話すと思いますよ。」
「そんなこと、絶対無いです。」
Ruthは頬を膨らませたまま言った。
 Latchettsに向かう間、Farrarは、Lodingが語った風景をその目で見ることになった。彼は、家が見えてくる瞬間を、そしてSimonに向き合う瞬間を待った。
「Simonはまだ帰ってきていません。」
Ruthの言葉に、Farrarは首を傾けて彼女の方に目をやった。Eleanoaを見つめるRuthの表情には一抹の不安が浮かんでいた。Farrarは、Simonを初め、他の家族はBeeほどたやすく自分を受け入れてくれてはいないことを肝に銘じた。
 車は三車線の道を抜け、Latchettsに到着した。古い趣をたたえた、立派な家であった。Farrarはその雰囲気に惹かれるものを感じたが、車が止まり、Beeがこちらに来るのを見ると表情を引きつらせた。全てを、話してしまいたい。そして、家に足を踏み入れることなくここから走り去りたい。Farrarは、Beeにどんな表情を見せて良いものか分からず、泣いているとも笑っているともつかない顔を俯かせた。
 Farrarを救ったのは、Ruthだった。車が完全に泊まるのも待たず、転がるようにしてBeeに走り寄ると、彼女はFarrarの到着を高揚した様子で告げたのだった。Farrarは、Eleanoaと共に、Ruthの後を追った。
「Patrickが来たのですよ、Beeおばさん!門のところまで、迎えにいったのです。特に不都合は無いですよね?」
 RuthはFarrarの腕を両手で掴むと、Beeの所まで引っ張っていった。Farrarは困ったような笑顔を浮かべて、一瞬だけBeeと目を合わせた。Beeは微笑むと、小さくうなずいた。難しい瞬間は、過ぎ去った。
 簡単に挨拶をしておこう、と考えたFarrarの出鼻は、家の角を曲がってきたJaneに挫かれることになった。子馬に乗って現れた彼女は、その馬を小屋に戻そうとしていたのだった。Janeは驚いた顔をして、馬の足を止めようとした。そこにFarrarがいるとは、考えてもいなかった様子であった。しかし、子馬は何を思ったか、あろうことかFarrarに向けて突進してきた。Janeは放り出され、地面を転がり、Farrarに受け止められる形になった。
「こんにちは。あの子馬は何というのですか?」
Janeが自分を歓迎していないことに気付きながら、Farrarは取り繕って言った。
「Fourposterです。」
答えたのは、Ruthだった。Janeは、服についた泥を払い落とすことに専念していた。
 Farrarは子馬の頭に手をやったが、子馬はFarrarの方を見ようともしなかった。
「知らない人には、懐きませんよ。」
Janeは一瞬だけFarrarに目をやると、ぶっきらぼうに言った。
 しかし、Farrarは子馬に手を差し出し続けた。しばらくすると、Fourposterは気が変わったのか、Farrarに頭を預けてきた。
「あっ、」
Ruthは叫んだ。
「Fourposterが、人に懐くところなんて初めて見ました。」
JaneはFarrarの後ろに、不機嫌な表情をして立っていた。
「この馬は、Janeには懐いていると思いますよ。」
Farrarは言った。
「Jane、」
Beeは言った。
「昼食の前にシャワーを浴びてきなさい。」
JaneはFarrarには目もくれず、踵を返すと家の中に入っていった。
 Farrarも、後に続いて、引き返すことのできない道を進んでいった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2010年01月03日 15:29