10.Patrick's death

 水曜日、BeeはBratを、Latchettsの土地を借りている農家の人々と会わせた。Latchettsの外れに位置するWigsellを借り受けているのは、Gates家の人々であった。Gates氏は近くにより大きな土地を持っていて、肉業者も営んでおり、お金に不足は無い様子だった。しかし、そのお金の多くは、娘のPeggyのために使われているようだった。
「アメリカでも馬の仕事をなさっていたようですね、Patrickさん。」
Gates氏は顔一杯に口を広げて、Bratに手を差し出した。Bratは握り返しながら答えた。
「ええ、運よく働き口が見つかりまして。」
「では、うちの馬でも見ていただきましょうか。」
Gates氏はBratたちを、自身の自身の馬小屋へ連れて行った。
「どうです、悪くは無いでしょう?」
小屋の管理人が、茶色の毛並みが美しい一頭の馬を連れ出すところだった。Beeはその馬を指差して言った。
「あれは、もしかして、Dick Popeさんの馬ですか?去年のBath and West杯で優勝した。」
「ええ、そうですよ。」
Gates氏は、心なしか得意そうな様子で答えた。
「大変なお金を払わされましたが、Peggyのためです。」
「まぁ、良い馬であることは確かですけど・・・。Peggyさんも幸せですね。彼女、今年も参加なさるんですか?」
「もちろんですよ!そのために買ったんですから。」
 BeeはGates氏の娘に対する溺愛に呆れながらも、ほほえましげな様子で話していた。一方、Bratは、Beeの態度を不可解なものに思っていた。Bratの目から見ても、あの茶色の馬は非常に優秀だ。だが、いやだからこそ、それを喜ぶというのは理解できない。一度競争になれば、TimberをはじめAsyby家の馬たちはあの馬と争わなければならず、それが決して楽には運ばないことは明白だったからだ。
 帰り道、まだ嬉しそうな様子のBeeに、Bratは問いただした。
「なぜそんなに嬉しそうなのかい?」
「そりゃあ、嬉しいわよ。」
Beeの返事は要領を得なかった。

 昼食の前、BeeはEleanoaにGates氏の馬について語った。
「去年のBath杯で優勝したあの馬を、覚えてる?」
「Dick Popeさんの馬でしょう?もちろん。」
「Gatesさんがその馬を買ったらしいのよ。もちろん、Peggyさんのためにね。」
Eleanoaは歯を見せて笑いながら、幾度もうなずいた。
「なるほど、素晴らしいわね。」
「そうでしょう。」
 双子が学校から、Simonが馬小屋からそれぞれ帰ってきて、昼食を取り始めた。
 Simonは、Beeが語ることに耳を傾けている様子だった。話がWigsellのことに差し掛かると、Eleanoaが後を引き取って言った。
「Gatesさんが、Peggyに新しい馬を買ってあげたんだって。もう誰かから聞いてた?」
Simonはトマトを突き刺したフォークを顎の前で静止させ、顔を上げた。
「・・・いや、知らなかった。どんな馬か、見てきた?」
「うん、Beeおばさんが見てきたって。それが、Dig Popeさんの、あの茶色の馬だったらしくて。驚いちゃうよね。」
BratはSimonの表情が少しだけ引きつるのを見逃さなかった。Simonは、フォークを掲げたまま言った。
「えーっと、Riding Lightだったかな?」
「うん、そのRiding Ligntだね。Peggyは、今年の競争には、その馬で出るって話だよ。」
 Simonは口の端を笑みの形に歪めながらも、荒々しくトマトを咀嚼し、音を立ててフォークを皿の上に置いた。BeeとEleanoaは気づかない様子だったが、Simonはそれと分かるほどに苛立っていた。
 Bratは、Simonの方に視線をやりながら考えた。Sheilaの話では、SimonはPeggyに夢中だということだった。ならば、そのPeggyが新しく馬を買ってもらったと聞けば、喜ぶのが自然ではないか?なぜ、Simonは苛立っているのか。Peggyが自分より優れた馬を持っていることが、気に入らないとでも言うのだろうか。
 Bratは、Riding Lightの話を聞いたときの、Beeの嬉しそうな様子を思い起こした。ちらりと、視線を右にやる。Eleanoaも、Beeほどではないにせよ、どことなく嬉しそうであった。何を、彼女たちは喜んでいるのだろう。SimonのPeegyへの好意は、この事を以ってかき消されたかもしれない。あるいは、Beeたちはそれを望んでいるのだろうか。Gates氏は娘に良い馬を与えたい一心でRiding Lightを買った、このことは確かだ。そして、そのRiding LightはSimonの馬と同じくらいかそれ以上に優秀なものであった。もしGates氏が、Simonの娘への好意に気づいていたならば、彼は恐らくそれを受け入れさせていただろう。彼がその一助にとPeggyに馬を買い与えたなら、とんだ皮肉だ、と思う。Gates氏は自らSimonとPeggyが結びつく機会を、手放したことになる。
 それにしても、と考える。意中の女の子に負けることが我慢なら無いというSimonの思考は、理解しがたい。Bratの視界の端で、Simonは、腕を組んだまま空の食器を見つめていた。

 その夜、寝室に入った後も、BratはSimonの思うところを掴もうと考えを巡らせていた。彼は、確実に、自分がPatrickでないことに気づいている。しかし、それを明かそうとしない。一体、なぜだろうか?演技が上手く、家族にすら感情の奥底を見せないSimon。自分勝手で、自分の利益のためなら他を省みないSimon。Timberに似たところのあるSimon。
 Bratのまぶたの裏には、無数のSimonの顔が投影されていた。あるものは笑い、あるものは表情を歪め、あるものは口を引き結び・・・。なぜ、SimonはPeggyが新しい馬を買い与えられたことに苛立っているのか。恐らくは、Patrickが突然に戻ってきたことよりも、更に。
 Bratの意識は、眠りへと引かれていった。海へと続く道を、子供の頃の自分が走っていた。しかし、その手足を動かしているのはBrat自身ではなかった。そもそも、その少年はPatrickであった。Simonはどこだ?Bratは完全に目を閉じ、寝息を立て始めた。

 翌日、BratはBeeの買い物に付いてWestoverの町に行った。Beeが必要なものを買い揃えている間、彼はWestover Timesの事務所に足を運び、Patrickの死を報じた新聞を見せてくれないかと頼んだ。8年前の新聞を見つけ出すは難しいだろうと考えていたが、受付にいたMacallan氏は、数分後には新聞の切れ端を持って戻ってきた。Bratは頭を下げると、イスに腰を下ろし、複雑な心持で記事に目を通した。
 土曜日の午後には、Ashby家の子供たちは自由な時間を与えられていた。Simonは金属加工に興味を持っていて、Patrickの趣味は野鳥観察であったという。だからSimonが一人で家に帰ってきて、一方Patrickが帰ってこなくても、誰も気に留めなかったという。彼らがようやく心配し始めたのは、夕食が終わった頃だった。家族皆で辺りを探し回ったがPatrickはおらず、仕舞には警察に連絡が行く騒ぎになったが、やはり見つからなかったという。翌朝、Patrickの上着だけが崖の上で見つかった。その場所は丁度、TanbitchesからWestoverの港に続く道沿いであった。上着のポケットには遺書と思われる手紙が押し込まれていた。もしPatrickが崖から身を投げたのなら、その遺体は潮流に乗って西へと流れたはずだった。
 Patrickを最後に見た者は、Abel Tuskという農夫だった。彼がPatrickを見たのは、その日の午後、Tanbitchesと崖の中間地点に当たる所だった。Patrickは地面に横になり、鳥を眺めていたが、その様子に普段と変わったところは見受けられなかったという。
 警察は、Patrickは両親の死を悲しみ、自殺に走ったのだろうと予想して捜査を進めていた。これに対しBeeは、Patrickは両親が亡くなったことに衝撃を受けていたもののその時には既に立ち直りつつあったとして、否定的な見方を示していた。彼女はまた、遺書の筆跡に見覚えがあるかどうか尋ねられ、以下のように答えている。
「ええ、あります。Patrickは重要な手紙には、変わった書き方するんです。それに、この家で万年筆を使う者は、彼しかいません。」
 Beeは、Patrickが使っていた特殊な万年筆について説明した。黒いインクの周囲に黄色く縁取りができるその万年筆を、Patrickは好んで使い、また常に持ち歩いていたという。しかし、どういうわけか当の万年筆そのものは見つからなかった。
 警察は、結局のところ、「両親の死に打たれた少年の、情動的な自殺」という判断を下した。Westover Timesの記事もその見解に即したものになった。
 Bratは、色の変わった紙切れを握り締めたまま、事務所の片隅で考えを巡らせた。Patrickは、Tanbitchesで横になって鳥を見ていた。しかし、夜になってもその丘からLatchettsへと戻る者の姿は無い。心配した家族がPatrickの行方を捜しても、見つからなかった。記事には、ここまでのことしか書かれていなかった。その間、Simonは何をしていたのか?
 Beeと向かい合って昼食を取りながら、Bratは何気ない風を装って尋ねた。
「僕が家を出た日、Simonは何をしていたんだろう。」
Beeは表情を硬くして言った。
「・・・新聞に載っている以上のことは分からないわ。どうして、そんなことを?」
「どうも、あの頃のことを、良く思い出せないんだけど・・・。Simonは金属に興味があったよね?」
「機械?確かに、言われてみればそんな気もするけど・・・。」
Bratは食べかけのサンドイッチを置いて、コーヒーに手を伸ばしながら言った。
「さっきWestover Timesの事務所に行って、僕のことを書いた記事を読んできたんだけど、Simonと僕が一緒にいなかったのは趣味が違ったからだって説明されてて。僕自身が、鳥を見るのが好きだったのは覚えてるんだけど、Simonはどうだったか気になったんだよ。」
Beeは、まだ納得していない様子で答えた。
「うーん、実は、私もよく覚えていないのよ。その日Simonがどこにいたかすら、分からないくらいだから。そうね、覚えていることといえば、Simonが子馬に乗ってあなたを探し回っていたことくらいだけれど・・・。ただ、あなたがいなくなって、彼は確実に変わったわ。彼も、心中は複雑だったんでしょう。」
 Bratは何とも答えることができず、黙ったままコーヒーをすすった。しばらくして、Beeが思い出したように言った。
「そういえば、どうして今まで手紙を寄越さなかったの、Brat?何か手伝ってあげられることも、あったでしょうに。」
Bratのコップを持つ手がわずかに震えた。Beeの言葉は、Bratの語った話の脆弱な点を的確に衝くものだった。しかしながら、その点をLodingが見逃しているはずは無く、Bratは教えられた通りに取り乱した振りをした。
「分からない、自分でも分からないんだ!」
「ああ、別に責める気は無かったのよ。」
案の定、Beeは取り繕うように言った。
「少し気になっただけだから、もうこの話は終わりにしましょう。」
 核心に触れる話を避けて会話を続けるうち、BeeはBratの口にした疑念のことを忘れていた。しかし、Bratの中には、Simonに対する不審が確かな質量を持ってわだかまっていた。

11.Patrick's birthday

 BratはPatrickの21歳の誕生日のことを、全く考えていなかった。Charles氏がイギリスに到着するまで見送られていたSimonの誕生日パーティは、そのCharles氏が到着したため、いよいよ行われることになった。しかし、それはBratにとっても他人事ではないはずだった。PatrickとSimonは双子で、当然誕生日も同じだからだ。
 金曜日の朝、自室から食堂に下りたBratは、机の脇に山積みになった小包の山に目を疑った。茫然とするBratを尻目に集まった人々が、次々に声を上げた。
「誕生日おめでとう、Brat。」
「おめでとう、Brat。」
ああ、そうか、と考える。Simonの誕生日パーティが行われるなら、Patrickのものも当然行われる。決して、悪い気分ではなかった。まるで本当の家族に囲まれて、自分の誕生日を祝われているような心持になった。
 前日にLatchettsに来ていたSandal氏は、朝食の後、Bratを人のいない書庫の呼んだ。Bratは数知れぬ書類に'Patrick'のサインを施していった。成人証明書や遺産相続の誓約書にペンを走らせ、Sandal氏からLatchettsの近況について聞かされた。Beeの手腕によって、Latchettsはかなり良い経営状態を保っているようであった。
 BratはSimonとEleanoaの受け取る給金がかなり少ないことに気づき、少し上げてはどうかと提案した。Sandal氏はこれを承諾した。SimonはこれからLatchettsを離れて自ら起業しなくてはならなくなる、とSandal氏は考えたのだった。そのためには、相応のお金が必要だろう、と。
 Bratはそのようには考えなかった。彼は、Simonが自分からLatchettsを離れるなど、決してあり得ないことを知っていた。SimonはLatchettsにとどまり、自分を陥れる機会を待ち続ける。Timberのように、狡猾に。 
 その日の午後、Bratは、Patrickが最期の時に辿ったTanbitchesを越える道を一人歩いた。丘の頂上に程近い背の低い木に囲まれた古い採石所で、彼は年老いた男性が羊の番をしているのを見かけた。Bratは頭を下げて通り過ぎようとしたが、肩越しに声をかけられ、足を止めた。
「堂々となったな、Patrick。」
振り向き、老人の顔をじっと見つめた。しわの多い顔からは表情を読み難かったが、思いなしか、彼は微笑んでいるようだった。
「さぞや、苦労してきたんだろう。私には・・・、」
Bratは老人の言葉を遮った。新聞にPatrickを最後に見た者として乗っていた初老の男性を、Bratは思い出していた。
「もしかして、Abel Tuskさんではありませんか?」
老人は、深くうなずいた。
「そうですか、お会いできて嬉しいです。少しお話を伺ってもよろしいですか?」
Bratはその場に腰を下ろし、老人の話に耳を傾けたが、Patrickの自殺を説明付けるようなことは何も聞けなかった。あまつさえ、彼はPatrickが自殺したという見方に対して、当時から猜疑的だったと語った。
 金属を打ち付ける鋭い音に、Abelと別れ丘を下るBratは聴覚を集中した。独特の反響は、馬の鉄蹄を鋳造する時に聞かれるものに違いなかった。Bratは興味を引かれ、そちらに足を向けた。
 煙の立ち込める狭い部屋には金属を打ち据える音が絶え間なく響き、その上熱気が酷く立ち込めていた。Bratは顔をしかめ、一瞬躊躇したが、すぐに思い直すと挨拶をしながら足を踏み入れた。
 PilBeam氏はちらりとBratの方に目をやったが、加熱した金属から手が離せず、作業を続けた。BratはPilbeam氏を手伝い、作業台を支えながら言った。
「アメリカにいたときは、金属加工の仕事もしていたんですよ。」
「本当かい?」
Pilbeam氏は、造型の済んでいない鉄蹄をBratに手渡して言った。
「じゃあ、これを完成させて見せてくれ。」
Bratは、慣れた手つきで鉄蹄を完成させた。Pilbeam氏はしばらくの間ためつすがめつ眺めた末、満足した様子だった。
「面白い。もしAshby家からこの仕事に就く者が出るとすれば、それは、お前の弟かと思っていたが・・・。」
「おや、どうしてです?」
「どうしても何も、Simonがここに入り浸っていた時期があったんでな。あまり上手くはなかったが、何ヶ月も金槌を握り続けたのは見上げたもんだ。ほら、お前がいなくなった日も、あいつはここに来てたはずだ。俺がSimonを家まで送ったから良く覚えてる。一方のお前は、どうだ、この手の仕事には興味無さそうじゃなかったか。」
 Latchettsへと家路を辿りながら、Bratは思いもよらない形で手に入った情報を吟味した。Simonは、その日の午後、Pilbeam氏の作業場にいた。Patrickが最期を迎えた崖の、すぐ近くに。
 Latchettsの門の傍に、Jeanが立っているのに気がついた。どうやら、Bratが戻ってくるのを待っていた様子だった。Bratが軽く手を挙げると、Jeanは小さな声でおかえり、と言った。
「聞いて欲しいことがあるんだけど、いい?」
「何だろう。僕に手伝えることなら良いんだけど。」
「違うの。ただ、謝りたくって。その、Bratがアメリカから帰ってきたときに、態度良くなかったかなって・・・。」
Bratは、瞬間、Janeに手を突いて謝りたい衝動に駆られた。そして、今朝サインした書類を全て破り捨て、Latchettsから逃げ出すことができれば・・・。しかし、Bratの言葉と表情は、彼の心持を裏切って勝手に動いていた。
「・・・構わないさ。突然こんなことになれば、誰だって戸惑うよ。」
「え、じゃあ・・・。」
「ああ、僕は全然気にしてないよ、Jane。」
BratとJaneは手をつないで歩いた。彼は、何も話すことができなかった。

 数日のうちに、BratはLatchettsの暮らしに慣れていった。彼は馬の教練を手伝い、体調を保ち、EleanoaからLatchettsでの馬の飼育方法を教わった。
 BeeはEleanoaとBratが仲良くなって行くのをほほえましく思っていた。一方で、そこにSimonも溶け込んでくれないものかと願ってもいたが、それが難しいことは誰の目にも明らかだった。Simonは、Latchettsから出て行かなくてはならない。それも、極めて突発的な事情によって。Beeは、Simonの暴飲を咎めることができなかった。しかし、それでも、と思う。他ならぬ双子と、疎遠になってしまうことは無いだろうに。
「Bures Showに、是が非でも参加するべきだわ、Brat。」
ある夕食の席で、Eleanoaが言った。
「この辺りでは一番大きな競争なんだから。あなたが出なかったら、皆納得しないでしょう。」
「無理だよ。惨敗するのは目に見えてる。」
「それでもいいのよ。上手くやれなんて言ってないわ。それに、何もしないよりはマシでしょう。」
BeeはEleanoaに同意し、もしBratが競走に出るなら自分の馬のChevronを貸しても構わない、と言った。
 BeeはBratが、Simon以上に馬に興味を持っていることを嬉しく思っていた。Simonが馬の飼育に携わってきたのは、関心に動かされて、というよりは必要に迫られていた部分が大きい。一方のBratは自ら書籍を読み漁って新しいことを学び取り、BeeやEleanoaと馬について意見を戦わせることもあった。
 死んだと考えられていた甥が帰ってきてくれれば、それは嬉しいに違いない。しかし、Patrickは理想的な形で戻ってきてくれた、とBeeは思った。
 Bures Showで、SimonはTimberに乗ることになっていた。それゆえ、BratはSimonにTimberの世話を一任していた。しかしながら、Simonが外出する日もあり、Bratは内心そのような日を心待ちにしていた。Timberは確かに危険な馬ではあったが、また面白くもあった。Bratは、Timberの乗っている人を振り落とそうとする癖を矯正しようとしていたのだった。しかし、Bures Showまでは待とう、と思う。Timberの教練をするのは、その後だ。
 BratはLatchettsの周辺を探索し、この教練に適した場所を探した。しかし、Latchettsの土地には適当な場所が見つからず、彼はClare Parkはどうだろうかと考え始めた。BratはEleanoaに尋ねた。
「馬に乗ってClare Parkを通り抜けたら、怒られるかな?」
「うーん、子供たちから離れていれば大丈夫だと思う。」
 そこで、BratはTimberに乗って峡谷の反対側に向かい、Clare Parkに入った。彼はTimberをゆっくりと歩かせ、適当な高さに枝を伸ばしている木を探した。Timberは、面白そうにBratの指示に従った。どうしてこの男は、人を振り落とすのに丁度良い枝を自分から探しているのか、とでも言うように。
「私を探してるの?」
Bratが目をやっていた木の影から、耳覚えのある声が聞こえてきた。果たして、それは、Sheila Parslowであった。Bratは、Timberの教練に適当な場所を探しているんだ、と説明した。
「その子、どこか良くないの?」
「ああ、乗っている人を背中から落とすのが好きみたいでね。それで亡くなった人もいるんだ。」
Sheilaは、Timberに興味を引かれた様子で言った。
「へぇ、馬ってそんなこともできるのね。ねぇ、どうやって訓練するの?」
「そうだなぁ、枝の下を潜り抜けるのが嫌なことだって覚えさせるしかないかな。」
Bratは答えた。
「それで、直るの?」
「そうだといいけど。次にTimberが丁度良い枝を見つけたときに、乗っている人を振り落としたら痛い目に遭った、と思い出させることができれば成功かな。」
 そういえば、と思い起こす。ここ数日、馬小屋の傍でSheilaを見かけていない。Bratは、乗馬は上達したのか、と尋ねた。
「ああ、やめちゃったわ。Simonさんに遭えないんじゃあ、乗馬をやっていてもどうしようもないじゃない。」
「なるほど、彼、この頃馬には乗っていないからね。」
Bratは、苦笑して答えた。
「あっ、でも彼がどこにいるかは知ってるのよ。」
「本当かい?」
「ええ、WestoverのAngel pub。」
Sheilaは、得意そうに答えた。
「最近、Simonさん、私とも仲良くしてくれるようになって。もう、Gates家の女の子には興味ないみたい。」
 BratはTimberを家へと歩かせながら、Simonのことを想った。Simonは、当然、Sheilaの両親が裕福であることを知っているはずだ。そして、彼は今金に困っている。しかし、だからといって、すぐに彼女との結婚を考えることがあるだろうか。Simonは、そんなにも単純な人間ではない。少なくとも、Bratはそう思った。
 Bratが馬小屋にTimberを連れ戻すと、Eleanoaが何やら探し回っているようだった。どうやら、彼女はBratがBure Showに出るのに適当な乗馬服を探していたらしい。色に規定があるのだという。
「ああ、これならよさそうね。多分合うと思うけれど、一応家に持って帰りましょう。」
Bratは、自分のあずかり知らぬところで話が進んでいたことに驚いたが、何も言わないでおいた。
「さぁ、そろそろ行かないと。夕食が始まっちゃうから。」
Eleanoaは乗馬服をBratに押し付けると、馬小屋から出て行った。Bratも、後に続いた。
 EleanoaとBratが小屋の外に出ると、Simonが肩を怒らせて歩いてくるところだった。
「あら、Simon。今、戻ったの?」
SimonはEleanoaの言葉を受け流し、ほとんど怒鳴るようにして言った。
「Timberを連れ出したのは、誰だ!?」
「僕だよ。」
Bratは答えた。Simonは、Bratの方に向き直って言った。
「あの馬は俺の物だ。何の権利があって連れ出した?」
「君がいなかったからだ。一日中放置しておくわけにはいかないだろ?」
「黙れ。俺以外、誰もTimberを連れ出しちゃいけないんだ、誰も!」
SimonはBratに食って掛かった。Eleanoaが、横から口を挟んだ。
「でもSimon、馬たちの持ち主はBratなのよ。」
「黙れ!Timberは別だ、そんな馬鹿げた小理屈が通じるかッ!」
「Simon、いい加減にして。お兄さんに向けてそんな風に言うなんて、お酒を飲んだんでしょう。」
Eleanoaも声を荒らげて言った。Simonは一瞬表情を強張らせたが、すぐに口の端を持ち上げて怒鳴り返した。
「『お兄さん』?そいつが?本当に何も分かってないんだな、お前は。そいつはAshby家の人間ですらないんだよ!何者でもない、ただの馬小屋の掃除係だ!・・・ともかく、これからは、俺が乗る馬には余計なことをするな。いいな?」
Simonは、Bratに顔を押し付けるようにして言った。Bratは、目の前で激昂する男を殴り倒すことを本気で検討したが、Eleanoaの手前それは自粛した。
「聞こえてんだろ、返事くらいしたらどうだよッ!」
SimonはBratが黙っていることに業を煮やして叫んだ。
「・・・ああ、わかったよ。」
Bratは答えた。Simonは踵を返しながらも、再三付け加えるのを忘れなかった。
「もう一度言っとく。Timberは俺の物だ。」
Simonは振り返る様子も無く、家に戻って行った。

 Eleanoaは、茫然とした様子でSimonの後姿を見つめていた。
「ごめんなさい、Brat。あなたが来る前から、彼、Patrickが戻ってくるはずが無いって散々言ってたのよ。多分飲んで怒ってたから、あんなふうにいったんだと思うわ。ほら、怒ると、思ってないようなことを口にする人なのよ。」
 Bratの経験では、怒ったり、お酒を飲んだりすると人は心の中をさらけ出すものだと思われた。しかし、彼はそのことは黙っておき、酔っていたならば仕方が無いと言うに留めた。君が気に病む必要は無い、と。
 その日の夕食に、Simonは顔を出さなかった。しかし、翌朝には普段どおりの様子で現れ、頭の後ろに手をやりながらBratとEleanoaに言葉をかけてきた。
「すまんな、昨日、俺酔ってただろ。何か言ったかも知れないけど、気にしないでくれ。」
「酷かったわよ、本当。」
Eleanoaは冷たく言い放ったが、傍目には至ってほほえましい様子に見えたに違いなかった。
 朝の清浄な空気は、Simonのもたらした軋轢を流し去りつつあった。当のBratやEleanoaも、煩雑な日常に引き込まれて行った。Ashby家の人々は、間近に迫ったBures Showの準備に、忙しく動き回った。

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最終更新:2010年01月29日 22:58