アットウィキロゴ
12.The Bures show

 BuresはWestoverの北に位置する小さな町だった。この田舎町にとって、Bures Showは、年に一度活気付く機会になっていた。それはまた、イギリスの地方の典型でもあった。Buresは比較的豊かな農業地帯であり、それゆえ、そこで行われる見世物には非常な重みがあった。単に質の良い家畜が集められ売り買いされる、というのではない、高名な農家が集まる機会でもあったのである。Bures Showはまた、皆に門戸の開かれたダンスを以って締めくくられることを常としていた。
 Ashby家の人々は毎年、Chequers Hotelの一室を借りていた。彼らは水曜日の朝には、Buresに車で到着していた。
「天気は良くなりそうね。」
雲ひとつ無い青空を見上げて、Eleanoaが言った。
「そういえば、Buresで雨に悩まされたことはほとんど無かったかもしれない。・・・今朝はどうするの、Brat?」
「そうだなぁ、レースコースを見て回るよ。ともかく、様子だけでも掴んでおかないと。」
「なるほど、それがいいわね。」
「まぁ、気休めにしかならないだろうけど。他の人たちはここのことを熟知してるから。」
Bratは言った。EleanoaはBratの顔を覗き込む様にしていった。
「緊張、してないの?私は胃がひっくり返りそうなんだけど・・・。」
「してないわけ無いさ。僕の胃も、二転三転してるよ。」
Lodingに会ってから緊張することばかりでもう慣れた、とはもちろん言えず、Bratは「緊張を必死で押し隠そうとしている顔」を作ろうとした。しかし、それは果たせず、EleanoaはBratの顔に無表情を読み取った。
「ふぅん、表情に出ない人はいいわね。私はそうじゃないから、自分がどんな顔してるかさっぱり分からないよ。酷いことになってない?」
BratはEleanoaの緊張した面持ちもかわいらしく思ったが、もちろん口には出せず、あいまいな表情をしてうなずいて見せた。
「そうそう、Peggy Gatesが馬に乗ってるところ、見たことある?彼女、すごく格好良いのよ。」
 Bratはレースコースを歩いて一周し、特に支障が無いことを確認するとAshby家の人々と昼食を取った。食事を終えると、一人、また一人とテーブルを立っていった。いつの間にか、その場に残っているのはBratとRuthだけになっていた。
 Ruthは乗馬も、また馬それ自体もあまり好きではなかった。しかし、Janeが乗馬で賞を取ればそれは嬉しく、それゆえ彼女もまたRuthと同じくらい高揚していた。
「あら、あそこにいるの、Roger Clintじゃない?Eleanoaと話してる。」
「ん、どこだい?」
Ruthが指差した先には、黒髪で背の高い男の姿があった。Bratは、Rogerというのはどのような者なのか、とRuthに尋ねた。
「この辺りの大農場の令息よ。どうやら、Eleanoaのことが好きみたいなんだけど・・・。」
「はは、いいセンスだ。」
Bratは胸にわだかまるものを感じながら、席を立った。
 Bures Showの前半は、非常に順調であった。JaneはRajahを駆り、ミスをせずにコースを回り切って見せ、若年の騎手に与えられる賞を取った。Ruthはもちろん、Ashby家の人々は皆喜んだ。
 最も重要な試合であるOpen Jumping Prizeは、その後に行われた。参加した騎手のうち、一戦目を切り抜けたのはEleanoa、Simon、Peggy Gates、Roger Clintの4人のみであった。SimonはTimberを美しく走らせ、Timberも満足そうな様子でそれに従った。Peggy Gatesの乗るRiding Ligntも、一戦目は全てのフェンスを飛び越えることができたが、二戦目に一箇所でミスを犯した。
 Bratは二戦目に向かうSimonの表情を、そっと窺った。唇をかみ締め、肩を怒らせたその様子は、単に緊張しているというだけでは説明のつかない激しさを孕んでいた。Bratは、PeggyがLight Ridingを買い与えられたことを知ったときのSimonの様子を思い起こした。Simonは、あるいは、何としてもPeggyを打ち負かそうとしているのかも知れなかった。しかし、その騎手とは対照的に、Timberは戸惑った様子だった。一度したことを、どうしてまた繰り返さなきゃならないんだ、と尋ねるかのように首をSimonの方へ向けていた。
 しかし、Timberはコースをこなし、Simonはミスを犯さないように集中していた。突然に、Simonの身に着けていた帽子が風に飛ばされ、犬が飛び出してきてそれを拾い上げた。Timberは犬に気を取られ、鋭角な方向転換を見せるとそちらに向かっていった。観衆は、静まり返った。Simonは時間をかけてTimberを落ち着かせると、最後のフェンスを飛び越えて見せた。
 賞は、Simonの手に渡った。

 Bratの参加する試合は、最後に行われることになっていた。Bratは、必要な準備に奔走したが、EleanoaがRogerと親しく話していることを思うと手につかなかった。
「お前には、関係ないことだろう?」
Brat自身が言った。
「お前は、Eleanoaの『兄』なんだから。」
「黙れ。」
Bratは目を閉じ、雑念を振り払った。
 Bratが騎乗するChevronは、周囲の騒がしさに落ち着かない様子だった。そこで、彼は会場内の比較的静穏な場所を選んでChevronを歩かせた。Bratが馬小屋に戻ると、Simonが待っていた。
「そろそろ時間みたいだぜ。」
「そうか、それなら行かなくちゃならないな。」
踵を返そうとしたBratに、Simonは言葉をかけた。
「ああ、その前に、誓約書にサインはしたか?」
「誓約書?いや、サインが必要な書類があること自体知らなかった。」
「馬を試合に出しても良いことを宣言する書類らしい。行ってきたほうがいいだろ。」
「分かった。どこに行けばいいんだ?」
「事務所だったかな。Chevronは俺が見てるから大丈夫だ。」
Bratは急ぎ足で事務所に向かうと、誓約書にサインした。事務員は、書類から目を上げずに言った。
「ご家族は健闘されている様で、何よりです、Ashbyさん。3つも賞を取るなんて、素晴らしいですよ。あなたが4つ目を取らないわけには行きませんね。」
戻ってくるとSimonの姿は無く、馬小屋の管理員がChevronの傍に立っていた。
「Simonさんは行ってしまわれましたが、Patrickさんの健闘を祈っているとのことでした。それでは、幸運を。」
 BratはChevronに騎乗する直前、ふと思い立って鞍の止め具を確認した。一度固く止めたはずのそれは、ほんの少し緩められていた。ほんの少し、しかし、レースのさなか鞍を落下させるには十分な程に。Simonがそうしたのであろうことは、明白だった。
 Bratは止め具を締めなおすと、Chevronに乗ってスタート位置に向かった。Bratの隣を走るのは、あろうことか、Roger Clintだった。
「Patrick Ashbyさんですね。」
Rogerの言葉に、Bratは軽くうなずいて見せた。
「僕の名はRoger Clint、フリーの騎手です。」
BratはRogerと握手を交わした。
「あなたとここで会うことになろうとは、思いませんでしたよ。」
「はは、そうでしょうね。先のレースはどうだったんですか?」
「何とか優勝することができましたよ。Eleanoaさんとは、本当に僅差でした。まぁ、彼女は去年優勝していますから、今年は私があの銀杯を頂いても悪いことにはならないでしょう。一度は貰っておきたいものですから。」
Bratは、どうして銀のカップに拘るのか、と尋ねようとしたが開始のアナウンスに阻まれて前へと向き直った。
 号砲の音が耳朶を打ち、BratはChevronを駆った。周りの馬に目をやり、分析する。ほとんどの馬は他の試合に疲れ切っている様子だったが、少なくとも三頭は注意しておくべきものがあった。
 前半、Bratは先頭に立とうとはしなかった。Chevronは前に他の馬が走っていると、落ち着く様だったからである。果たして、Chevronは順調にコースを消化して行った。右側の前方を走っていた一頭が、徐々に速度を落とし、Bratの視界の端に消えた。Bratと併走していた他の一頭は、幾度目かのカーブを曲がりきれず、コースから外れていった。Bratは少しだけ速くChevronを駆り、Rogerに追いついた。RogerはBratの方を振り返ると笑顔を見せたが、彼の乗るStockingsは僅かながら疲れを見せ始めていた。ゴールまで400メートルの地点を通過したとき、BratはChevronの速度を落とし、「これ以上併走を続けられない」様子を装った。Clintは、Chevronが遂に疲れ切ったのであろうと判断した。彼は安堵を見せ、次の瞬間表情を硬直させた。ChenverはBratの命令に従って猛然と走り、見る間にRogerから遠ざかっていった。
「何とも、ばかな手段に乗せられてしまいましたね。」
試合を終えて馬小屋に戻る途中、RogerはBratに言った。Bratは頭を掻いて見せた。優勝は、Bratが手にしたのだった。BratはRoger Clientという男に好感を抱き始めていた。Eleanoaのことが好きだとしても。

13.Simon Confesses

「Simonがあんなに嬉しそうなのは、初めて見るわ。」
Bratの手をとってステップを踏みながら、Eleanoaが言った。その視線は、Bratの肩を通過した先に注がれている。どうやら後ろにSimonがいるようだった。
「普段は試合に勝っても無関心なんだけど。」
「多分、酔ってるからじゃないかな。」
Bratは答えると、自分の視界にSimonが入るように__Eleanoaの視界にSimonが入らないように向き直った。
 BratはEleanoaと踊ることを望んでこそ、Bures Showに参加したと言っても過言ではなかった。しかし、彼は初め、自分から誘い掛けてBeeと踊った。
「あんな駆け引きを、どこで教わったの?」
Beeは、BratがRogerを半ば騙すような形で抜き去ったことを指して言った。
「いや、自分で思いついたんだ。」
Bratが答えるとBeeは笑って見せ、それ以上は何も言わなかった。Bratも黙っていた。Beeは好感を持てる女性だ、とBratは思った。彼がそのような印象を抱いたのは、Beeを除いて、Smokey位のものだった。
「午後はどこに行ってたの?あまり見かけなかったけれど。」
Eleanoaが尋ねた。Bratは、試合の前にEleanoaに声を掛けようと思ったが、彼女がRoger Clintと話していたためにできなかったという旨を伝えた。
「ああ、その時近くにいたんだ。気づかなかった。」
「Roger Clintっていうのは、どういう奴なのかい?」
「えーっと、確か叔父さんが有名なKilbartyの牧場を運営している人だったかな。Tim Connellさん。Connellさんは、Rogerにアイルランドへ行くように言っているんだけど、Rogerは聞き入れるつもりは無いみたいね。イングランドを離れたくないんだとか。」
だろうな、とBratは思った。Rogerはイングランドから離れたくないんじゃない、Eleanoaから離れたくないんだ。
「Rogerはどこに行ったんだろう。ここには来ていないのかな?」
「ええ、ダンスには来ないって。彼、奥さんに銀杯を見せるためだけに、Bures Showに参加したんだから。」
Bratは驚いて聞き返した。
「『奥さん』だって?」
「ええ、先週最初の子が生まれたばかりよ。どうかしたの?」
「Ruthめ、適当なことを・・・。」
Bratは声を抑えて呟いたが、Eleanoaは聞き逃さなかった。
「一体どんな話を聞かされたの?」
「Rogerは君と結婚したいと思っている、という話だよ。」
Eleanoaは苦笑して答えた。
「ああ、そういえば、一時期そういう噂が流れてたわね。すぐに立ち消えたけど、RuthはRogerが結婚したことを知らなかったのかな。それにしても、いくらお兄さんでも、誰かが私のことを好きになったり、私が誰かのことを好きになったりしても、口出しして良いわけじゃないんだからね。」
「もちろん、そんなつもりは無いさ。ただ少し気になっただけだよ」
答えながらも、Bratは安堵せずにはいられなかった。Eleanoaは、それ以上追窮を続けようとはしなかった。
「・・・他の人と踊らなくて良いの?」
「もう踊ったさ。」
「Peggy Gatesだけじゃない。」
「はは、見ててくれたんだ。一緒に踊りたい人がいるんだったら、止めようか?」
「いいえ、そういうわけじゃないけど・・・。」
「それなら、構わないさ。」

 Eleanoaと踊る機会は、恐らく、二度と巡って来はしなかった。日付が変わる少し前、ダンスを終えたBratとEleanoaは軽食を取った。突然に、Eleanoaはコップを机に置くと、Bratの方に身を乗り出した。
「じっとしてて。襟に虫がついてる。」
EleanoaはBratの首筋を軽くはたいたが、肩に落下した虫は衣服の内側に逃げ込もうとした。Bratは背筋に嫌な汗が流れるのを感じた。Eleanoaは片手でBratの頭を押しのけると、もう片方の手で虫をつまみ出した。
「取れたかい?」
Bratは尋ねた。しかしEleanoaは、凍りついたように動かず、返事をしなかった。Bratは顔を上げ、Eleanoaの様子を窺った。
「・・・あなたは、本当にPatrickなの?」
Eleanoaは戸惑いとも恐れともつかない表情を浮かべて言った。Bratは愕然として否定しようとしたが、言葉にならなかった。隣の部屋からは、明るい調子の音楽が流れていた。
「ごめんなさい、そういうつもりじゃなかったの。ただ、・・・。」
Eleanoaは泣き出しながら言った。Bratは微笑を浮かべて見せた。
「大丈夫さ。少し休んでくるといい。」
 Eleanoaと別れると、Bratは一人バーに向かった。無数の「なぜ」が対流を起こした胸中は、木製の扉を開けた先にSimonの姿を見つけてさらに重いものになった。Simonは壁際のテーブルで、愉快そうにグラスを傾けていた。
「おお、兄上ではありませんか!」
SimonはBratに気づくと、大声を上げて近づいて来た。Bratは、他に客がいなくて良かった、と神に感謝した。
「さあ、飲もうぜ、飲もう。」
「そうだな。でも自分で買うさ。」
親しげに肩を組んでくるSimonを振り払えず、Bratはやむなく彼の傍に腰を下した。
「そういえば、まだおめでとうを言ってなかったな。Timberにも。」
「別に、お前に祝われたくは無いよ。」
Simonは口の端を持ち上げて言った。
「お前は、俺のこと、嫌いだろう?」
「・・・まぁ、そんなに好きではないかな。」
「はっきり言うじゃないか。どうしてだ?」
Bratは、慎重に言葉を選んで答えた。
「君は、僕がPatrickだと信じていないみたいだからかな。」
Simonは畳み掛けた。
「違うな。俺が、お前はPatrickじゃないと知っているみたいだから、だろう?」
Bratは、表情を固くしてSimonを見つめた。SimonはBratの返答を待っている様子だった。相変わらず、口の端に笑みを張り付かせたまま。Bratは沈黙を破った。
「・・・殺したのか?」
確信を込めて、Bratは尋ねた。
「もちろんさ。」
柔らかい色の電灯が、Simonの顔に陰影を描いていた。Bratは目の前にいるSimonと、今初めて会ったかのような感覚を抱いた。Simonの弾んだ声が、Bratの耳朶を打ち、反響した。
「でも誰にも話せない、そうだろ?ははは、俺がPatrickを殺したなら、お前は誰なんだ?」
「・・・どうやって殺した?」
「どうやったと思う?そうだな、ヒントをやるよ。俺は、『二つの場所に同時にいられる。』」
Bratは、Simonの言葉の意味を解するのに数秒を要した。SimonはBratの様子を面白そうに見つめていた。
「俺は、お前にしか真実を話せない。お前は、誰にもそれを明かせない。つまり、俺達は共犯も同然だ。まぁ、詳細まで全部話す気は無いけどな。」
「それなら、質問を変えよう。なぜ、殺した?」
Simonは、何かと思えばそんなことか、とつまらなそうに答えた。
「相応しくなかったからだよ。Patrickは、Latchettsにな。そうだな、あえて言うなら、怨恨ってとこか。」
ボトルからグラスに透明な流体が注がれるのを、Bratは半ば茫然として見つめていた。Simonの思考は、Bratの理解の範疇を超えていた。
「ともかく、素晴らしい関係じゃないか。『双子だった』時より、親密なんじゃないか?お互いの喉下に、刃を突きつけあってるなんてな。」
Bratは、吐き捨てるように言った。
「そのナイフを、自由に振るえるのは、君だけだろ?」
「どういう意味だ?」
「言葉通りさ。僕は君が双子だと思って、君に接していないといけない。でも、君は僕を受け入れるつもりは無いし、他の人達もそれを理解してくれる。つまり、君は思うままに、僕を殺す機会を窺える。今日みたいにね。」
Simonは表情を硬直させたのも一瞬、笑い声を上げながら身を仰け反らして手を打った。
「はは、気付かれてたか。次はもっと上手くやるさ。」
「期待してるよ。『二つの場所に同時にいられる』人間が鞍の止め具を緩めて終わりなんて、情けない話だからね。」
「ああ、そのつもりだよ。しかし俺は来る機会は全て利用しなくちゃならない。時に、お前の方からは俺に何も話してくれないのか?」
「話す__何を?」
「お前が何者なのか、さ。」
Bratは黙り込んだ末、口を開いた。
「分からないのか?」
「ああ、分からない。一体誰だって言うんだ?」
「『天罰』さ。」
Bratはグラスを傾けると、席を立って、バーを後にした。

 Bratはどこか人気の無い場所を探していた。一人で、落ち着いて思考を紡げる場所を。ホテルの中に、そのような場所のあるはずは無かった。Bratの部屋であっても、Simonが入ってくる可能性は否めない。辺りを歩き回るうち、Beeと行き会った。
「一体どういうことなの?」
Beeは戸惑いを滲ませながら言った。
「Eleanoaは上で泣いてるし、Simonは飲みに行ったまま帰ってこないし・・・。あなたも、まるで幽霊みたいよ。」
「EleanoaもSimonも、一日中緊張し通しだったからじゃないかな。」
「あなたが青い顔をしているのも、試合で疲れたから?」
Bratはうなずいて言った。
「そうかもしれない。新鮮な空気を吸いたい気分だ。車を借りてもいいかな?」
「どこへ行くの?」
「Kenley Valeから朝日を見てくるよ。」
Beeは驚いたように言った。
「一人で?」
「ああ、一人でさ。」
BratはBeeの横を通り過ぎ、車へと足を向けた。Beeは首を振りながら、Bratの背中に言葉を掛けた。
「コートを着て行くようにね、冷えるだろうから。」

 Kenley Valeを見下ろす丘の上に、Bratは車を止めた。未だ星が輝く空の下、Bratは辺りを包む静寂に耳を澄ました。
 Simonに対する彼の見解は正しかった。Simonは、確かにTimberに似ていた。美しく、優秀で、そして危険な動物に。バーでSimonがBratに語ったことは真実だった。殺人を犯したものは、自身の罪を告白したい衝動に駆られるという。良心の呵責からではない。単に、他人に知られたいのである。幼い子供が、自分の悪戯を大人に仄めかそうとするように。Simonも、その例に漏れなかった。だから、絶対に秘密を口外しない『安全な』聞き手として、Bratに話して聞かせたのだ。彼自身の成し遂げた『偉業』を。
 Bratは、Simonとそのような共犯関係になることを望まなかった。それ以上、何事も抱え込みたくなかったのである。
 しかし、彼に何ができようか?
 警察に出頭し、自白したところで、どうなろう。
『私は、Patrick Ashbyではありません。本物の彼は、8年前にSimon Ashbyに殺害されています。彼自身が、酔った時に語ったことです。』
『Simon Ashbyについては入念な捜査が行われている。その日の午後、彼はClareの鍛冶屋と共にいたはずだ。』
『いいえ、それは彼が殺人を犯していない証拠にはなりません。』
『どういうことだ?』
『Simonは、自分は同時に二つの場所にいられる、と言っています。彼の言葉の真意は分かりませんが、調べなおす価値はあるはずです。』
『同時に二つの場所にいられる、だと?何を訳の分からないことを言っているんだ。ともかく、お前の身柄は拘束させてもらう。』
変わるのは、彼自身の先行きのみである。
 Simonは、一体、どのようにPatrickを殺したのだろう?
 来る機会は全て利用しなくてはならない、とSimonは語った。では、8年前、どのような『機会』が彼の元を訪れたというのだろうか。完全に身の潔白を保障する『機会』。そして、誰にも疑われることの無い『機会』・・・。
 Bratは空が白み始めるまでの2時間ほどを、丘の上で過ごした。無数の疑念への答えは、見つかりそうに無かった。Simonの自白の意味するところは唯一つ、BratはLatchettsにはいられないということだった。


14.A Priest's advice

 木曜日の朝を、Bratは陰鬱な心持で迎えた。日曜日には、Charles氏がSoutuamptonに到着することになっていた。パーティを止めるものは、最早無かった。Bratは、絶望すら抱き始めた。
 BratはWestoverに足を運び、Patrickの死について報じた新聞の記事を慎重に読み返した。特に目新しいものは何も無かった。
 Latchettsに戻ると、Bratは一頭の馬を連れ出し、初めの日にTimberに乗って訪れた丘に向かった。美しい風景も、彼の心情を和らげる役には立ってくれなかった。初めの日には、全てが順調だった。このイギリスの田舎で、Bratは望む全てを手にしたはずだった。BratをSimonだと勘違いした挙句、あからさまに、期待はずれだという顔をして見せた少女を思い出す。『Simonさんは、Tanbitchetsの丘が嫌いらしくて・・・。』
 Bratは、Tanbitchesに続く谷を見渡した。
 風が、背の低い草をなびかせた。空は、ところどころに雲を浮かべていた。彼は、Simonの犯行の手口を、理解した。Latchettsに来た彼を悩ませ続けてきた疑念も、解けた。Simonは、なぜ、戻ってきたものが本当にPatrickである、そのことを恐れていたのか、という疑念も。
 Bratは馬に乗り、来た道を引き返した。家に戻ると、夕食の席に並ぶことはできないという旨をBeeに宛てて書き置いた。空には雲が立ち込め、雨が降り始めていた。
 彼はTanbitchesに続く道を、新しい問題に当たりながら、歩いた。一歩を踏み出すたびに、靴が泥を跳ね上げる。
 このことを、どうしてBeeに伝えられようか。あるいは、Eleanoaに。それどころか、Latchettsに持ち込むことさえ憚られた。この家にこれ以上の害悪をもたらすなど、Bratには到底できなかった。
 SimonがLatchettsの相続人として残されるのならば、何も軋轢は無いのではないか。即ち、8年前のように、Patrickはこの土地を立ち去るべきではないだろうか。
 Simonの罪が明らかになったとしても、それはAshby家に何ら幸福をもたらしはしない。それどころか、この家を崩壊させるに十分な打撃になり得る。
 あらゆる要素が、BratのLatchettsを立ち去ることを望んでいた。そうすれば、あるいは、Ashby家は1ヶ月前に戻ることができるかも知れない。
 Patrickなら、何を望むだろう。Simonが罰せられることなど、彼は望まない。自分より他者のことを常に重んじる彼ならばこそ、家族を絶望に追いやるような選択をするはずが無い。
 Simonは、何を望んでいるのだろうか。彼は、Bratの自分から動くことを望まないだろう。ただLatchettsに留まり、罪を共有する相手としてあればよい、と。では、そうするべきなのだろうか。あるいは、立ち去り、SimonにLatchettsと財産を譲り渡すべきなのだろうか。Simonが罰せられるようなことになれば、最早Ashby家はLatchettsにいられなくなるだろう。
 Ashby家を守るべきか、殺人を公表するべきか。もし天命というものがあるならば、BratのそれはSimonの罪を明らかにするというものに他ならないはずだった。

 書斎で雨の音を聴いていたGeorge Peckが、扉を叩く者のあることに気付いたのは夜も更けた頃のことだった。彼は上着を羽織ながら、扉を開けに向かった。
「夜分遅くに申し訳ありません。相談したいことがあるのですが。」
「ああ、Patrickですか。もちろん構いませんよ、上がってください。」
Bratはコートから水滴を滴らせながら、玄関に足を踏み入れた。
「外套はそこに置いて頂いて、私の書斎に行きましょうか。ウィスキーなら、用意できますよ。」
「お願いします。」
Bratは、テーブルをはさんでGeorge Peckと向かい合った。
「突然のことで、驚かれたでしょう。どうしても、聞いて頂きたいことがありまして・・・。」
「それが仕事ですから、お気になさらないでください。」
司祭は答えた。
「ある重要なことに関して、あなたに助言を頂きたいんです。ただ、その前に、僕の話を誰にも口外しないと約束してもらえますか?」
「ええ、分かりました。あなたが何を話そうと、誰にも口外しません。」
「ありがとうございます。では、どこから説明しましょうか・・・。」
Bratは慎重に口を開いた。
「僕は、Patrickではありません。」
司祭は、しかし、落ち着いた様子を崩さなかった。あまつさえ、彼は微笑を浮かべて言った。
「なるほどね。」
「僕がPatrickでは無いと、分かっていたんですか?」
Bratは戸惑いを隠せず、尋ねた。
「ええ、確信はありませんでしたが。」
「なぜ?」
「人間を形作るのは、外見だけではないんですよ。最初にあなたを見た時に受けた印象は、間違いなく初対面の人のそれでしたから。」
司祭は穏やかな表情でBratの顔を見つめた。Bratは更に畳み掛けた。
「では、なぜ今まで何もしようとしなかったのですか?」
「何もする必要は無かったからですよ。法律家も、あなたの家族も、友人達も、あなたを受け入れ、歓迎していたでしょう?それに、私はあなたがPatrickではないとする証拠を、何も持っていなかった。誰も私の言葉に耳を貸さなかったでしょうね。付け加えるなら、私はこの状況が長く続くはずは無いと見ていた。」
「僕の嘘は、すぐに看破されるだろうと思っていた、ということですか?」
司祭は首を横に振って見せた。
「いいえ。ただ、あなたは自分の選択を、完全に受け入れてはいない様だった。つまり、他人を欺いて財産を手にする、ということをね。あなたが今ここにいることを考えると、どうやら私の推測は正しかったようだ。」
Bratは手をつけていなかったウィスキーを煽った。この司祭に、隠し事はできそうに無かった。
「僕がPatrickではないというのは、僕が言いたいことの一部に過ぎないんですが・・・。まだ何から話したものかまとまっていないんですよ。すみません。」
「では、あなたがLatchettsに来ることになった経緯を教えていただけますか?」
司祭はBratのグラスにウィスキーを注ぎ足しながら言った。
「・・・アメリカで、Clareに住んでいた経験のある者に会ったんです。その、彼女に、Ashby家の人間に似ていると言われて、Patrickだと偽って家に戻り、財産を騙し取ることを勧められたんです。」
「それで、その人に、財産の一部を渡さなくてはならないわけですね。」
「・・・ええ。」
「なるほど、一財産を築くには悪くない手段だ。彼女は、相当に教えるのが上手かったようですね。それにしても、あなたはアメリカ人なのですか?」
「いいえ、」
Bratは答えた。
「イギリスの孤児院で育てられました。ドアの傍に置きざられていたと聞いています。」
彼は、George Peckに自分の過去を語って聞かせた。
「相当に厳格な孤児院だったようですね。あなたの言葉遣いや作法は、そこで身につけたものなのでしょう?」
Bratはうなずいて見せた。
「長々とお話してきましたが、ようやく核心に踏み込めそうです。」
司祭はグラスを置いてBratの言葉を待った。
「Patrickは自殺してはいません。殺害されたんです。」
Bratは司祭の様子を窺った。その表情には、押し殺された衝撃が滲み出していた。
「殺害された?誰に?」
「兄弟に、です。」
「Simonが?いえ、しかし、それは信じがたい。何か確たる証拠が、あるのですか?」
「Simon自身が私に語りました。私が口外できないと思ってのことでしょうね。最初に会ったときも、すぐに私がPatrickでは無いと気付いた様子でした。」
「どんな状況で、語ったのですか?」
「昨晩、Buresでのダンスの後です。私は、ずっと以前からSimonを疑っていました。その疑念が形になったのは、Simonが、私のPatrickでは無いことを知っている様子を見せたからです。」
司祭は顔を上げて尋ねた。
「あなたの方から、彼を問い詰めたのですか?」
「ええ、問い詰めました。」
「それならSimonは、あなたが彼に期待したことを、面白がって話したに過ぎないのかもしれません。彼の冗談のセンスは、特殊ですから。」
Bratは声を上げて反駁した。
「まさか!信じてください、僕はSimonの悪い冗談のために、ここに来たのではありません。Patrickは自殺してはいません。Simonが、殺したんです。その手口も、分かっています。」
Bratは、彼の考える犯行の手口について、司祭に語った。
「しかし、Brat、証拠が無いではありませんか。確かに明快な推測ではありますが、証明できない限り、推測の域を出ません。」
「証拠なら、警察が見つけ出してくれるでしょう。今あなたに語ったことの全てを、公表すればね。」
Bratは言葉を切った。
「しかし、僕が尋ねたいのは、そこではないのです。Ashby家の幸福と、罪を明かすことの、どちらを選択するかということです。」
司祭は怪訝そうな表情を浮かべて見せた。Bratは、Ashby家とLatchettsを巡る苦悩を打ち明けた。
 意外にも、司祭は、返答に迷わなかった。殺害が本当に行われたのなら、Simonは法的に処罰されて然るべきだ、というのが彼の見解だった。彼の重ねて語る所は、しかし、Bratの証拠を持たないことの一点のみだった。
「あなたの推測に論理矛盾はありませんが、信じがたいものです。Simonが兄弟を殺すなど・・・。」
彼の姿勢は、午前2時、Bratが書斎を出て行く時にも未だ変わっていなかった。
「良いですか、何か決断をする前に、必ず私のところに来るようにしてくださいね。」
Bratは、しかし、彼の抱えた主たる問題に関して既に答えを掴んでいた。愛と義務のうち片方を選択することを迫られた彼は、義務を選んだのだった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2026年07月05日 22:54