3.Papalagi Never Have Enough Time
20世紀の初頭、Tuiaviiというサモア人の首長が、その人民に対して西洋文明について語った。彼は近代社会の驚異に感動していたが、しかし一方でパパラギ、つまり西洋人たちは彼らの技術の奴隷になっているとも考えていた。
1920年、あるドイツ人の作家が彼の語ったことを本にして出版した。その本は後に英語に翻訳され、ベストセラーになった。
Tuiaviiという人物が実在したかどうかは明らかになっていないが、彼が語ったとされる言葉は興味深く、私たちに自身の生活を見つめる新たな視点を与えてくれる。西洋人たちがどのように時間を理解するかを語ったとき、彼は西洋の忙しいライフスタイルとよりゆっくりしたサモア人たちの生活を対比した。
パパラギたちは円形の金属と重い紙を好み、また彼らは果物から作られた多くの飲み物を飲むことを好む。しかし何よりもまして、彼らは手に取ることはできないがそこにあるもの、つまり時間を愛する。彼らは愚かしいやり方で、時間について多くのことを話す。
パパラギたちは自分の時間について決して満足しない。そして彼らは、充分な時間を与えられていないことについて、大いなる意思に不平を言う。彼らは一日を、我々がココナツを切り分けるように、細分する。切り分けられた一日は、その全ての部分が固有名を持つ。即ち、秒、分、時間、である。私はこのことが理解できない、なぜならそのような愚かしいことについて考えると、眩暈がするからだ。しかし、パパラギたちは時間について、素晴らしい学問の体系を作り上げている。男性も、女性も、自身の足で立つことすらままならない子供であっても、小さな、平らな、円形の器械を持ち歩き、彼らはそこから時間を読み取る。
加えて、より大きく、より重い時間を刻む機械もあり、それらは小屋の中に立っていたり、あるいは遠くから見えるように最も高い屋根から吊り下げられていたりする。一定の時間が過ぎ去ると、その機械は叫び、そしてその精神はその心臓の中の鉄に向けて打ち付けられる。ヨーロッパ人の街には、酷い騒音があるのだ。
この時間の騒音が起こると、パパラギたちは不平を言う。『時間が逃げてしまった。』そして、新しい時間がたった今来たばかりだというのに、悲哀の表情を浮かべる。私はこのことを理解できないが、しかしこれは病気ではないかと考える。
私が、これが病気だというのは、以下のような理由である。パパラギたちが何かをしたいと思っている、と仮定してみよう。彼らは日光浴がしたいのかもしれないし、ボートで河川を下りたいのかもしれない。彼らは大抵、『私には時間がない』と考え、自身の欲求を無駄にする。時間は確かに存在するが、彼らがいかに努めようと、それを見ることはできない。彼らは、自身から時間を奪う多くのものに名前をつけ、誰にも強要されていないのにその仕事に精を出す。
パパラギたちの中には、全く時間がないという者もいる。彼らは無意味に走り回り、どこに行こうと、不幸になる。これは、どのような薬によっても治療することのできない病気である。パパラギたちは皆、この時間に対する恐れを持つため、彼らは自身が生まれてから幾度月や太陽が昇ったかを正確に知っている。このことは非常に重要で、食事会を以って祝われる。年齢を尋ねられ、私が笑って分からない、と答えた時、尋ねた者が私を哀れんでいるように感じたことが、幾度もあった。『自分の年齢を知っていなければなりません。』私は、知らなくて良かったと思った。
充分に時間があるという者は、非常に少ない。恐らく、そのようなものは全くいないだろう。多くのパパラギたちが空中に投げられた石のようにその人生を走り抜けるのは、これがためである。彼らはほとんど一様に、地面を見下ろして歩き、そしてより速く動こうとその腕をできる限り前へと伸ばす。
ただ一度、私は充分な時間を有し、不平を言わないパパラギに会った。しかし彼は貧しく、彼を尊敬するものはいなかった。彼の歩き方は速さに欠け、その目には穏やかで生き生きとした微笑が浮かんでいた。だが私が彼に尋ねたとき、彼は悲しい様子で言った。『私は、時間をどのように使ったら良いか分からない。それがために、私は貧しいのだ。』この男性は時間を有していたが、しかし彼もやはり不幸であった。
パパラギたちがあまりにも強く留めようとするために、時間は彼らから逃げるのである。彼らは、時間が彼らのもとに来ることを許そうとしない。パパラギたちは常に腕を伸ばして時間の後を追い、太陽の下で横になって休ませることすらしない。
ああ、兄弟たち、あなたたちは祝福されている。私たちは、時間について決して不平を言わない。私たちは来るたびごとにその時間を愛し、それを追おうとはせず、また細分しようともしてこなかった。私たちは時間に充足し、与えられた以上の時間を必要としない。私たちは、哀れな、混迷したパパラギたちを彼らの錯覚から解放しなくてはならない、私たちは彼らの時間を取り戻させなければならない。私たちは彼らの小さな円形の器械を壊し、日の出から日の入りまでの間には人間が使うことができる以上の時間が存在するのだということを、彼らに伝えなければならない。
最終更新:2010年05月22日 21:28