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「ふるさとは遠きにありて想ふもの」
これは室生犀星という詩人の有名な詩の冒頭。
さらにここから
「そして悲しく想ふもの」
と続いたと思う。

ふるさとは遠きにありて想ふもの
そして悲しく想ふもの
よしやうらぶれて異土のかたひにならふとも
帰るところにあるまじや

確かそんなカンジの詩だったと想う。
この詩は僕がふるさとを想う時の基本的なスタンスだった。ふるさとは遠きにありて想ふもの。帰るところにあるまじや。僕にとってふるさととは家族とほぼ同じ意味だったのだと思う。家族が壊れかけていて、僕は深く傷ついていたのだと思う。だからふるさとは帰る場所たりえなかった。
じいちゃんが死んで。葬式をして。四十九日をして。一回忌があって。福島に帰るたびに家族への想いが強くなっていった。じいちゃんの墓石には『想』という一文字が刻まれている。僕と弟と僕の恋人で考えたメッセージだ。死してなお家族が繋がれますように。そんな祈りがこもってる。
ふるさとは遠きにありて想ふもの。
かつての僕は故郷を喪失した孤独の身なのだと自らを思い込んでいた。僕は漂いつづけ、根をはることはないだろう、と。俺はひとりのクレマチス(根無し草)なのだ、と。
じいちゃんが死んで、僕達家族はまた家族をやり直そうと思ったのだと思う。誰も口には出さないけれどそんな気がする。もちろんもとの家族には戻れない。僕が子供だった頃の七人家族にはもう二度と戻れない。でも、たとえば家族が僕の恋人を受け入れたりだとか。僕が妹の恋人を受け入れたりだとか。僕達家族はこれから新しい家族の姿を模索していくのだと思う。
じいちゃんの死は再び僕らを結びつけた。
家族みんながひとつにならなければ乗り越えられないくらい、じいちゃんの死は重かった。
家族が再生した時にはきっと、僕のふるさとへの想いも変化するだろう。
僕は東京に戻るまでに室生犀星の詩について考え続けていた。「ふるさとは遠きにありて想ふもの」でもその後に続く言葉は違うんじゃないかって。何か別の言葉を繋げてみたいなと思って。東京に帰ってきたらわかった気がした。

ふるさとは遠きにありて想ふもの。
やがて愛しく想ふもの。

室生犀星の詩がやっとわかった気がした。
それは決意の詩であり恋慕の詩だったのだと思う。


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最終更新:2006年12月21日 01:36