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2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生した。
マグニチュード9.0の大地震。巨大津波。火災。原発危機。莫大な数の死者、行方不明者……。
東北関東大震災はこの国を襲った未曾有のクライシスだった。
福島市の祖母、白河市の母、仙台市の妹が被災した。幸いにも僕の家族は全員無事で怪我ひとつなかった。
僕は地震の瞬間病院で働いていた。建物が潰れると思ったし、本当に死ぬかもしれないと思った。でも患者さんを目の前にして逃げることはしなかった。曲がりなりにも医療従事者なので。自衛官や警察官や消防団員と同じ。僕たちは助けを求めるひとたちを前にしたら絶対に逃げない。
地震から明日で一週間。
断続的に余震は続いている。被災地には援助物資が届かず、東京では買い占めが横行している。原発は今まさにクライシスの瀬戸際だ。僕自身まだ震災のショックから立ち直れてはいない。
目茶苦茶になった福島の映像を見た時、僕は自分でも信じられない程の強いショックを受けた。破壊されたふるさと。被災したひとたちの話す言葉は聞き慣れた東北弁で、心が引き裂かれそうになった。東京にいて何もできない自分の無力さを呪った。自分を呪い、祈ることしかできなかった。
震災後ネットは不穏な空気に包まれている。
Twitterやmixiはそもそも個人的なツールであるはずだ。しかし震災後、ささいなユーモアも許されないような全体主義的な空気が形成されている。「不謹慎」という言葉がにわかに流行している状態だ。どんなにタフな状況でも笑いに変えて乗り切る、という精神科のやり方でTwitterやmixiをやったらまず間違いなく袋だたきにあうだろう。インタラクティブで自由なはずのネットは、彼らユーザーが批判してやまない大手マスメディアと同じ空気に支配されている。
致命的なまでに余裕が失われている。
こんな時にこそ必要なのがささやかなユーモアなのだ。
ユーモアに対して「不謹慎だ」と憤るひとは、被災者を担保として自らの純粋性を確保したいだけだろう。そういう精神構造は救いようがないほど、醜い。
批判はここまでにしよう。
今僕たちに必要なのは、生き残ったひとたち、これからも生き続けなければいけないひとたちの為の思想だ。
きちんと日常にシフトチェンジすること。
しっかりと食べてぐっすりと眠ること。
節度は必要だとしても、必要以上に感情を抑制しないこと。
泣きたい時は泣こう。笑いたい時はお腹を抱えて笑うんだ。
別に特別なことじゃない。僕たちは僕たちの日常をまっとうに生きていく。変わってしまった世界で、それでも日常を生きていく。
この戦いは長期化する。
俺たちがまいってたんじゃ話にならないぜ?
生き残ったことに罪悪感を覚えたり、何もできない自分に絶望したりしちゃ駄目だ。
日本、まずはそういう大きなくくりを外して、あなた、まずはあなたが立ち直ろう。あなたが立ち直ることからすべてが始まる。あなたがその二本の足で立ち、大きく息を吸い込むことが今もっとも重要なことだ。
誰かに手をさしのべるのはそれからでも遅くない。
胸の動悸がおさまり、膝の震えがおさまった時、あなたはきっと誰かの為に手をさしのべることができる。
そうだろ?
あなたはきっと誰かの為に手をさしのべることができる。
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2011年03月] - &trackback() - 2011年03月17日 22:29:29
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最終更新:2011年03月17日 23:25