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解剖見学の話は口外してはいけないというお達しがあったので自主規制します。いくら僕が常識のない大人とはいえ「解剖見学なう」とかさすがにやらない(笑)でもまあこんな誰も読んでないようなブログでも自粛すべきなのかはわかりませんが。
自主規制するともう描くことなんて何もないんだけど。妙な疲れ方をしてしまって。べったりと脂肪がこびりついているようなカンジ。脂肪ないからわかりませんけどね(笑)
今夜は無性に大江健三郎の『死者の奢り』を読みたい。
大学病院で解剖用の献体の処理をする話だったと思う。実存主義とか思想的なことはわからないけれど。解剖見学中に僕はふと大江健三郎のことを思い出していた。
解剖生理学はメカニカルに人間をとらえる。循環器とか呼吸器とか消化器とか脳神経系とか内分泌とか骨とか筋肉とか。様々なパーツが集まって、ひとりの人間になる。
機序をすっとばして結論から言うと。
形態機能学を突き詰めていくと最後には文学に行き着くんじゃないか? という気がした。
やっぱサルトルか?
「存在の耐え難い軽さ」
そこからの大江健三郎って完全に実存主義だな。『死者の奢り』っていうのはあまりにも安直だけど(笑)
僕の目の前には具体的な「死」があった。
この手で触れ、解剖することのできる「死」が。
それはエッジが立っていて、どこかしら宇宙の縁を思わせた。
文学。
僕が手放した物。その薄暗い深淵から僕は逃れた。けれどそれはまだ僕の内にあった。どす黒い血を流し血管を怒張させる、真っ暗な情熱が僕の中にある。
その真っ暗な情熱は僕を糾弾する。
「覚醒しろ」と。
「おまえは何も感じないのか?」と。


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最終更新:2011年11月18日 20:54