Fender

前身は1938年にレオ・フェンダーがカリフォルニア州フラートンで創業した「フェンダー・ラジオ・サービス(Fender's Radio Service)」で、ラジオ受信機音響機器の修理を行っていた。1945年にフェンダーはドク・コフマンと共に「K&Fマニュファクチュアリング」を設立。スティール・ギターとアンプの製造を開始する。しかし1946年、コフマンとの共同経営は解消、1947年社名をフェンダー・エレクトリック・インストゥルメント・カンパニーに改名する。

エレクトリックギターは1920年代後半から数多くの製造業者によって作られていたが、それらの多くは胴体の部分が中空のホロー・ボディと呼ばれる構造であった。また、ソリッド・ボディ(胴体部が中空でない構造)であってもリッケンバッカー社のハワイアン・ギターのように特殊な奏法向けであったり、ポール・ビグスビー製作の通称「ビグスビーギター」のようにオーダーメイドであったりしたため量産型のソリッドボディのエレクトリックギターは存在しなかった。レス・ポールもソリッドボディのギターの開発を進めていたがギブソン社からレスポールモデルが発売されたのは1952年である。

フェンダーは1948年頃にソリッド・ボディのエレクトリックギターの試作品を完成させ、1949年エスクワイヤーとして発表。1950年にはブロードキャスターを発表、1951年テレキャスターに改称、その理由はグレッチ社のドラムに同音の商標(綴りは「Broadkaster」)のモデルが存在したからである。対応を迫られたフェンダー社は極短期間だがヘッドのデカールのモデル名を切り取って販売を続けた。これは通称「ノーキャスター」と呼ばれる。実質的にはテレキャスターが世界初の量産型のソリッドボディ型のエレクトリックギターと言える。同年世界初のエレクトリックベースであるプレシジョンベースを発表。フレットを採用し正確な音程を得ることができるプレシジョンベースは当時革命的であった。1954年にはストラトキャスターを発表。その後も1958年ジャズマスター 、1960年にはジャズベース1962年に当時の最高級機種であるジャガーを発表するなど、現在も多くのミュージシャンに愛用されている名器を生み出した。

フェンダーのギターやベースの特徴としてソリッドボディの量産以外にボルトオンによるデタッチャブル・ネック方式が挙げられる。従来のセットネック方式(膠での接着)に比べ格段に修理などが容易になり、この方式は現在多くのギターメーカーで採用されている。

エレクトリックギター産業の先駆者として多くの楽器を発表したフェンダーだが、1965年CBS社に売却され法人としての「フェンダー社」は無くなる。また、同年V.C Squier社を買収する。同時にフェンダーは経営者から技術顧問として同社に残るも僅か数年で退社している。健康上の理由と新たに開発した技術を新体制のフェンダー社が積極的に採用しなかったためとも言われている。その後は楽器業界の低迷による売り上げの低下による業績不振、さらにフェンダー社製品の品質低下に加え、廉価なコピーモデルの横溢によって自社の市場が脅かされるなど企業として弱体化が進む事態を迎え、1980年代初め頃にはストラトキャスターなど看板商品が一時生産を終了するにまで至った。

1985年、CBS社の楽器部門の撤退により、ヤマハなどに在籍していたビル・シュルツを最高経営責任者に迎えてフェンダー社が再興される。 2012年に、新規株式公開(IPO)を申請。同社は2.4億ドルの長期負債を抱えており、IPOで調達した資金は負債の返済に充てると見られている。IPO申請時の株式保有率は、米ウエストン・プレシディオが42.92%、山野楽器が14.28%、神田商会が12.85%となっている。(cited from wikipedia)

最終更新:2013年10月29日 21:20