自分が満足することってほとんどないと思う。
大抵が妥協で終わる気がする。
人は鈍感になっていく生き物だから、自分の望みも違ってくる。
マズローの欲求の階層構造の話みたいなものか。
自分の中で他人に認められたい欲求が強くなってきたのかも。
前は自己満足で終わることが世の中で一番良いと思っていたけど、
それが変わっていった原因は受験勉強にあると思う。
当時は、勉強だけで人の良さが分かるわけない。知識が賢さではなく、それが人生の勝者ではないと信じていた。
たしかに間違ってはいないのかもしれない。
しかし、結果は人を比べる上ではっきりしていて、そんな発言は負け犬でしかない。と言われてしまうのも当然だと思う。
勉強はできたほうが、人間性を認められやすい事があると思う。
現に自分は受験時代、学力が足りないことで人格を否定されたから。
教師はハッパをかけて頑張らせたかったとでもいいたいのだろうが、
今でもあれは本当の軽蔑の視線だったと断言できる。
リアルにも書いた通り、自分は自分の事を信用しない大人に任せたくない性分だ。
それは欠点だが、自分がそれをしたことを後悔したくない。
受験は講師の言うことを愚直に言われた通りにした方が成功すると思う。
経験のない自分よりも専門家の言うことの方が確かだ。
しかし、今でも信用しない大人の言うことは当てならないこともわかった。
一般論だけしか言わない人や、偉い人の言葉を引用しているばかりいる人の言うことは上からの物言いなのに責任を取らないのが嫌いだし、
実質何もわかっていないと思うし、自己陶酔か他人を避けたいのかなと思う。
英語の教師は自分を傷つける物言いだったけど、その人自身の言葉だったことは自分の心に響いた。
東進の学長?はこれを言えば納得すると思っているのが見え透いているのが、この上なく不愉快だった。
前者は信用するべきだったと思うし、後者は少しでも言うことを聞いたのが時間の無駄だったと思った。
受験で自分に必要だったのは、自分自身を少しでも理解しようとした人だった。
どちらも自分の人格を否定したのは同じで、認めてもらう気も許す気もないが。
結局、自分はどちらも信じていなかったけど、
結果を振り返ることができてから、自分の最良の行動がわかった。それはもう手遅れだけど。
自分はそうしなかったし、今でも自分のした事に責任を持っている。
それに自分が考えて行動したことは結果を出してくれた。
だから自分には何が必要だったのか、わかることができた。
断言できるのは、東進で友人が助けてくれた事が自分の大きな救いになっている事だろう。
受験に失敗したとはいうが、今の環境にいれるのは彼のおかげで
受験結果から見てもそうだし、精神面でも教師以上に信用していた。
彼には今でも感謝しているし、恩人であることは一生変わらないと思う。
今している勉強が役に立つのかわかるのは、受験が終わってからの結果がほとんどだとは思うが、
自分に関して言えば、その結果が必ずしも役に立つ保障はない。
失敗した事で成功したとは言いたくないし、
運命なんて馬鹿な発言をする気はないが、
今の結果の方が自分を好きになれたことは断言できる。
受験で失敗する事は受験校から自分を否定されるようなものだし、
失敗で失うものは多いかもしれない。
成功した人と失敗した人とでは見えてくる世界は違うと思う。
でも自分は失敗した事で新たに行動する事が出来て、
自分にこれから必要なものがわかり、自分の本当の気持ちや望みがわかった。
人生の大きな基点でいろんな事に気づかせてくれるのが受験勉強で、
新たな環境で自分の成長を感じられるのは、生きる気力をくれる。
受験の目標を高くもって頑張る人はすごいと思う。
自分は叶わなかったが、第一志望を変えなくてよかったと思う。
過去に戻ってやり直したくなる事はあると思うし、そこまでして成功させたいものがあるのはいいと思う。
でも、自分は今の結果を無かった事にしたくないと思ってしまう。
そう思える事が「納得している事」かも。
今日は休日だが、7時間しか勉強できなかった。
受験生なら気持ちも量も大きく違うと思う。
以前よりも明確な目標があって、時間があっても、
受験の時ほど頑張れるのは、めったにないだろうな。
自分の全力で挑んでいる受験生には頑張ってほしいが、
自分を否定するくらいなら、環境を変えればいい結果があると伝えたい。
特に過去の自分に伝えられるのなら、
後悔するのがわかっているなら、自分が望む事をしてその責任を背負うつもりでいろと言いたい。
自分の結果に他人は責任が取れない事も、
教師のいう責任は取るものではなく、言葉だけのものだということ。
他人に邪魔されたと思うくらいなら、自分の信じられる環境で頑張る事が大切だったと思う。
自分が受験での伸びが良かったのは1,2月で
教師たちが自分たちにまかせてくれる時期が一番集中できて、
友人の助力を大きく得られた時期だったからだと思う。
そのとき自分が望んだ環境にいた事を実感できた。
受験本番のストレスはあったけど、今の時期よりも穏やかになれていたと思う。
当時のストレスが成長につながるとは限らないが、
当時の悔しさや自責の念が自分の行動につながっていると思う。
負の感情があるから生きる時の喜びが大きくなるのはすぐには感じないが、
今の感情があるのは受験の時の気持ちが大きいのはよくわかる。
去年の自分はこの時期が特に辛かった。
自分の学力の無さと人として否定された事に生きる価値が分からなくなった。
でも生きる価値は自分が決めればいいと思う。
自分を必要としてくれる人もいてくれるのはわかるから、
あとは目標に届くまで、自分が納得するまで、頑張ればいいと思う。
意外な結果が自分の幸運につながる事もあるから。
結局、自己満足で次にはつながらないものだけど、
これから新しい目標に向けて頑張ろうと思うから、今までの気持ちから区切りを付けてからにしようと思った。
受験生の人が見ているのはわからないけど、自分も応援している。
正直、今の世の中でも大半の大学生が遊んでいるから。
辛い感情はそれからでも発散できるから、今は自分を信じていてほしいと思う。
実力に自信がなくても、足掻いた分だけ力になるから。
夢を叶えた格好いい側の人間になれなかった自分だけど、
それでも幸せにはなれるし、今後も新しい目標に挑めるから、
そのときに支えになる心と一生の友人を大切している。
将来の自分と勝負をしようと思う。
自分がこれからの目標を達成して、将来誇れる自分になって成功したのなら、
そのときには生きていた事を感謝しようと思う。