時間的な余裕が少し出てきたので書きたくなってきました。
どうでもいい話だけですが、お付き合いいただけるのならごゆっくりと。
最近、幼い頃の自分の夢や自分が子供と遊んでいる夢を見る。
私は昔の自分が嫌いなのと同時に、幼い頃の夢を大事に出来なかった後悔がある。
私は、幼い頃は「僕」と呼んでいたが、自己嫌悪から無理やり「俺」に変えた時に、
いつの間にか「俺」が当たり前になっていた。
今では「俺」であることに少しだけ虚しさを感じるが、しかし「僕」では不自然に感じる。「自分」と語るのはこのためである。
それでもこの間だけは「私」で話したいと思う。理由は「僕」でも「俺」でもなかった時期の「自分」と区別したいからだ。
私が中学生になった時期、
女性と話をする事もほとんどなく、大半に敵意と無関心な感情をもつ学生だったが、
この頃にはすでに結婚願望はあったと思う。
たしか、
「品のある人で、おだやかで優しさがあり、家族や子供を大切にして、夫を立てつつ自分の尻に敷く頼もしい女性。」
まあ、曖昧だがこれくらいの理想をだらだらと考えていて、
所謂「大和撫子」と言われるような女性と結婚したかった。
「現実はそんなものじゃないよ。」と姉は言い、現実を見てその通りだと実感して。
自分に自信を持つ要素も心もなく、生きるようになった。
この世に嫌悪感を持つことが多くなったのもこの時期が主だったと思う。
自分に力が無いばかりに不幸が起こると、私は本気でそう思っていたと同時に、
心の弱い自分が外面の力を付けた所で、周りを不幸にする要因に自分がなるだけだとも思っていた。
そして今になって自分の誇るべき所は、昔と同様に無い状態のままである。
ただ少し考え方が変わって、自殺願望から自己実現する願望に変わっただけだということ。
しかし、その気持ちも時間が経てば変質して、自殺願望に変わる事だってある。
それも含めて人生は運の要素が多いと思う。
運命のような必然は起こらないにしても、1つの出来事で人生の方針が全く異なってくる事は多々あると私は信じている。
今思えば、たくさんの可能性を無駄にして生きていたような気がする。
存在しないと決めつけて、世間を割り切って生きてきた気がする。
その間に多くの人がたくさんの幸福を自分の手で掴んできたと思う。
運命なんて後付に過ぎないから、幸福を掴んだ人は運命として勝手に語ればいいと思う。
なぜ、こんなくだらない事を書くのかというと、
今週までの慌ただしい生活の中で、疲れて眠る夢の内容に
私の本心が満足していなかったからである。
ただ一般の家庭を持ち、家族が円満に不幸に合わずに済む未来。
お金は必要な分と少しの余裕があり、落着きのある人生に幸福を持つ。
それが幸福である同時に私の本心が許せなくなっている。
「人が社会で幸福になるには、ある程度の所で妥協をするからである。」
これが真実だと思い生きているが、
「ビルゲイツの生きる0.1秒は自分の1.5時間分の労働と同じ価値がある。」
不平等ではあるが、公平ともいえる価値の差。
ただ、私に価値がないというだけの話。
比べる相手が悪いと言うだろうが、自分が言いたいのはお金に関わらず
幸福を得るには他者から認められる価値を持った人間が得るということ。
運も関わってくるとは思うが、結局生き死にでさえも運があるかだと思うし、
時間の経過で価値が変動する中、自分の価値がどれほどのものなのか、
現段階の自分の価値が少しだけ見えてきた所で、興味を持った。
株価のように、永遠に上がり続けはせずに、
妥協した場所で自分が幸福を得られたのならいいという事。
お金で幸せは量れないが、目に見えやすい基準の話として挙げた。
今の幸せが続かない事を思い知らされていると、
足掻かざるを得ない気がして、今は出来る事に挑戦しているつもりだ。
親を幸せにしたいと生きていても、どこまで行っても共に人生を歩む事はできないという事。
親に残しても、それは近い内に失われていくだけ。
いつかは自分よりも先に逝ってしまう。
私ができるのは先に自分が逝かないように、不幸にしないように生きるしかない。
俺は自分の価値がないと思っているからこの世に残す気もなかった。
でも私は価値を高める手段を求めている。
このまま死にたくない。自分が幸せだったと思って死にたい。
だから今のままでは幸せは得られない。
自分の資本である身体は時間と共に下がっていく。
だから現段階で「妥協」する。そんな事では幸せになれない。
私自身がそれに価値を見つけていないのだから、今の段階で価値を決めるのは早計だと思う。
ただ、問題は今から5年後の私が世間と私自身に、ある程度の価値があると思わせられるのかという事。
そこで駄目だったのなら、今の私が望む未来はそれから先に存在しないという事かもしれない。
幼い頃に望んだ家庭の理想を私は諦めたくなかった。
今のままでは、これから先でも私は無様に生きていつかは死ぬ。
今の間は世間にどう思われていても揺らいでいてはいけない。
機会があれば大切にしたいが、今の私では妥協した人生を歩む気がする。
心の底には簡単に触れられないけど、本心を読み取る事が出来たのなら、それに従って、現状に抗ってでも挑んで生きる方が幸せだと私は思った。
所詮、現実に理想の女性とは出会えないのかもしれない。
私自身に価値はそれほどないのかもしれない。
騙されたと思ってでも理想をもう一度捨てる事はしたくない。
拾ってしまったし、その生き方に人生の楽しみを得られたから。
僕が持っていた理想をまた追ってみようと思う。
現実は生きていれば変わるし、見えている世界も変わる。
人の心も変わるし、人の価値も変わる。
だから、絵空事も現実になる時がくるかもしれないし、
それを実現するには運も実力も必要になってくるという事。
それでも、人とのつながりや生きる希望なしには生きられない人生でもあるから
今の私も大切にして生きていけたらいいなと思う。
ただ、今を幸せに生きている人には、その幸福が続いていてほしい。
そうすれば、自分にも希望が湧いてくると思えるから。