心が落ち着かない状態が続いていて、不整脈なのか知らないが長生きできる気がしない今日この頃。
表現として合っていそうなものは「葛藤」「不安」といった所か。
「胸が高鳴る」なら気分はいいものだが、そんな嬉しいものではなく、
自分の心が良くも悪くも変わろうとしているから、長くは持たない気味の悪さだ。
どちらにせよ、今のままでもコンプレックスが纏わりついていて気味悪い状態だから
自分が望んでいる以上、受け入れていって順応するしかない。
気性が荒れていた分、矯正には時間がかかりそう。
こんな事を書いていると自分が分からなくなりそうだし、ここら辺でやめておこうっと…。
昔の日記を読んでいると、大して変わってないな自分は。
この数年で、現状の受け止め方も人付き合いも変わったけど、
幸福な感情と比例して自分に対する気味の悪さが増えるのは変わってないのは、
自分を自分の本心として認めてないからなのだろうか。
それも「自分」という存在が、他者の存在で支えられているからだろうか。
今感じている「自分」が、他者と関わる事で多少偽る感情を排除して残る自我を指しているものになっているから
現代社会における「歪曲的な自我の病」に自分はかかっているのかもしれない。
とまあ自我がどうとか、自分はフロイトではあるまいし、定義なんて気にしても仕方がないんだが笑
言いたい事は単に、自分の「正直な気持ち」が真逆のベクトルを指していてどっちに傾いているのか分からなくなってきたってこと。
行動を起こすか決めるにしても、自分の事になると他人事以上にデメリットが浮かび上がってくる。
普段はグループ活動の時にグループを自分に当てはめて考えるからデメリットを含めても解決案につながるけど、
単純な解決する能力、モチベーション、相反した感情を操る手段、が明らかに個人の場合だと足りない。
特に3つ目が対処に困る。
自分のやることに正しさが分からなくなるとき、行動できる人間は限られてくるし、
少なくとも自分には、「とりあえずやってやれ」なんて行動は向いていない。
だからこそ、それができる人に憧れもコンプレックスも抱く。
そういった行動に自分自身が責任を取っても納得するような事はない。
納得するよう解決するには、まず先に自分が何を望むか知らないといけない。
当たり前の事なのに、自分は今それが出来ていない。
そんな現状だ。
時間が解決するのを待つのは、「逃げ」だし「納得」は出来ない。
自分自身で解決する他ないだろうから、気持ちに整理をつけたかった。
また自己満足な文章を書いたけど、そこまで気にする人はわざわざ見に来ないよね。
受験に向けて行動している人を見て、自分も励まされています。
この時期は気分的に辛いけど、自分を信じる事が力になるのは今も思っています。
今年は幸福な年でありますように。
それでは。