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コンピュータゲームの歴史
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[編集] 黎明
1840年代:イギリスの数学者チャールズ・バベッジは、機械にゲームを行わせることに興味を持ち、解析エンジン(コンピュータ)を考えた。ただし、チェスの場合は組合せが膨大になり現実的でないことに気づいている。
1945年:ドイツの技術者コンラート・ツーゼはコンピュータでチェスプログラムを作ることの可能性に初めて言及したといわれている。
1946年:ラルフ・ベア(どんな人物かは1972年を参照)、この年度にはオシロスコープを使い、ピンポンゲームの様なもので遊んでいたと語る。
1950年代前半:イギリスの「ファールウインド」(WhirlWind)というコンピュータで、『バウンシング・ボール(Bouncing Ball)』というゲームが動いていたとされる。何らかの形でコンピュータによるゲームが作られた最古の記録。
1952年:イギリスケンブリッジ大学の大学院生であったA.S. Douglas は、ディスプレイ画面を介してコンピュータと対戦する三目並べの OXO というプログラムを、世界初の実用的なプログラム内蔵方式の電子計算機「EDSAC」上で作成した。Graphic Tic Tac Toeとも呼ばれた。世界で最初の、結果をディスプレイ装置に出力するコンピュータゲームとされる。
1958年:米国ブルックヘブン国立研究所のウィリアム・ヒギンボーサムがアナログ演算機とオシロスコープを用いた『Tennis for Two』を開発。コンピュータを用いていないのでコンピュータゲームではないが、これがある程度資料の残っているものとしては世界最古の電子ゲームである。
1962年:MIT(マサチューセッツ工科大学)の学生であったスティーブ・ラッセルが「PDP-1」で『スペースウォー!』を発表、アメリカ中の「PDP-1」に広がる。

[編集] 1970年代
1971年:ノーラン・ブッシュネルが『スペースウォー!』をヒントに世界初のアーケードゲーム版コンピュータゲーム『コンピュータースペース』を製作・発売したが、操作が難しく人気が出なかった。
1972年
ラルフ・ベアがマグナボックス社から世界初の家庭用ゲーム機「Magnavox Odyssey」を発売。
アタリがOdysseyをヒントに『PONG』を発売。商業的に成功した最初のゲーム。
1973年:『PONG』のコピーゲームとしてセガが『ポントロン』、タイトーが『エレポン』を発売。日本初のコンピュータゲームとなる。
1975年
初のアドベンチャーゲーム『アドベンチャー』
PONGを模したワンチップ・テレビゲーム用LSI(GI社製)が秋葉原で入手可能になり自作ファンに人気を呼んだ。
1976年
フェアチャイルドセミコンダクター、世界初のロムカートリッジ式家庭用ゲーム機「Video Entertainment System(後にFairchild Channel F)」発売。
アタリから『PONG』に次ぐ大ヒット作『プレイクアウト』発売(日本では通称『ブロックくずし』)。タイトーがテーブル筐体を開発した為、喫茶店に広がる。また『ブロックくずし』を作る為、非常に多くのメーカーが参入、現在も中堅メーカーとして生き残っているゲーム会社は多数。
1977年:アタリ、Atari 2600 (ATARI VCS) 発売。最終的に米国全世帯の1/3を席巻する人気商品となる。
1978年:タイトー『スペースインベーダー』 - このゲームが大流行し、喫茶店などで硬貨を積み上げてゲームに集中する人達がたくさん出没する。
1979年
ナムコ『ギャラクシアン』 - スペースインベーダーの人気が一段落した頃にポストインベーダーとして開発された。敵の動きがキャラクター付けされているなど、スペースインベーダーを発展させたゲーム内容で大ブームになる。
電気音響『平安京エイリアン』- 東大生が作ったというゲーム。

[編集] 1980年代
1980年
日本物産『ムーンクレスタ』
ナムコ『パックマン』 - パックマンは日本よりもアメリカで人気が高く、アニメや音楽が制作されるなどアメリカの歴史に残るほどの人気キャラクターとなる。
『ウルティマI』 - 『ウルティマオンライン』にいたる人気RPGシリーズの第1作。
『ローグ』 -ローグライクゲームの始祖。TRPG『Dungeons & Dragons』をベースにした迷宮突破ゲーム。
任天堂が「ゲーム&ウオッチ」を発売。LSIゲームがブームとなる。
1981年
コナミ『スクランブル』 - 『グラディウス』(1985年)の原型となった横スクロールシューティングゲーム。
任天堂『ドンキーコング』
Sir-Tech『ウィザードリィ』- 初期のコンピュータRPG。大ヒットしてその後も続編が登場し『ウルティマ』と双璧をなすシリーズとなる。
三立技研『ジャンピューター』 - 現在のアーケード麻雀ゲームのシステムを確立。
エポック社「カセットビジョン」
ナムコ『ギャラガ』 - 4年間に渡ってヒットしたギャラクシアンの続編。
1982年
ナムコ『ゼビウス』 - 初の縦スクロールシューティングゲーム。さらにシューティングに謎に満ちたストーリーも取り入れた画期的なゲームとして知られる。
シンキングラビット『倉庫番』 - パズルゲーム。
1983年
セガ「SG-1000」「SC-3000」
任天堂「ファミリーコンピュータ」
光栄『信長の野望』 - 戦略シミュレーション最初期の作品。
エニックス『ポートピア連続殺人事件』(パソコン版) - 堀井雄二の出世作(デビュー作ではない)。
エニックス『ドアドア』 - エニックスのコンテスト応募作品。製作者は中村光一。
この頃、パソコンにてコマンド入力方式のアドベンチャーゲームが流行する。
米国にて、ゲームソフトの供給過剰や粗製濫造によりゲームに対するユーザの興味が急速に薄れ、一気に市場需要がしぼむアタリショックが起こる。ゲーム業界では、歴史上の1929年10月29日“Black Thursday(暗黒の木曜日)”に準えて恐れられた。
1984年
テーカン『スターフォース』 - 地上・空中の撃ち分け無しの縦スクロールシューティングゲーム。
BPS『ザ・ブラックオニキス』 - 半日本製RPG。アイディア等はアメリカ人2人によって考えられた。続編も作られた。
日本ファルコム『ドラゴンスレイヤー』 - アクションロールプレイングゲームの元祖と言われているが、実体は「インジケーター」と呼ばれる画面右下にある人の形をしたアイコンが左から右に移動している間にプレイヤーが行動する「時間制限のあるターン制」RPGである。
XTALSOFT『夢幻の心臓』 - 『ウルティマ』のフィールドマップ移動と『ウィザードリィ』の対面戦闘をアレンジ融合した日本製RPG。後のドラゴンクエストやファイナルファンタジーなどに影響を与えたと思われるシリーズ第1作。
T&E SOFT『ハイドライド』 - アクションロールプレイングゲームの原典。12月13日の発売以来ロングセラーを続け「ハイドライド・シンドローム」と呼ばれる一大ブームを巻き起こした。『ゼルダの伝説』や『イース』などに広く影響を与えたと思われる。MSXロム版ではあまり普及していなかったデータレコーダや高価すぎて搭載できなかったバッテリーバックアップの代わりに「コロンブスの卵」よろしくパスワードを記録(セーブ)に初めて利用した。
大名マイコン学院『ポイボス』当時PC-8801やApple IIでしか出来なかったRPGを当時のPC機種(PC-8801、FM-7、X1、MZ系、パソピア7)多数に移植され、多くのPCユーザーにRPGのおもしろさを伝えた。しかし、一部の熱狂的ファンを作るも、商業的には成功しなかった。しかし、現在でも次作をだす予定は完全にはきえていない。
任天堂 『ファミリーベーシック』 - 当時の8ビットパソコンにならって発売するがほとんど普及せず。
1985年
セガ「セガ・マークIII」
任天堂『スーパーマリオブラザーズ』 - 今でも世界一の売り上げを誇るアクションゲームの不朽の名作。このゲームをベースに何本ものゲームが作られた。ファミコンの売り上げ増に大きく寄与した。
コナミ『グラディウス』 - 横スクロールシューティングに革命を起こした歴史的な名作。
アートディンク『A列車で行こう』 - 街を育てるゲームのはしり。
T&E SOFT『ハイドライドII ~SHINE OF DARKNESS~』(MSX版) - 最初にバッテリーバックアップを採用したゲームソフト。
ハドソン『ボンバーマン』
ハドソン『スターフォース』により、ゲームの全国大会ハドソン全国キャラバンを開催する。
1986年
任天堂「ディスクシステム」 - 書き換え可能なディスクカードが使用できるファミリーコンピュータの周辺機器。
任天堂『ゼルダの伝説』
エニックス『ドラゴンクエスト』 - 堀井雄二や中村光一などの才能ある人達によって作られた日本製RPG。『ウルティマ』『ウィザードリィ』といった従来の人気作を巧みに消化しつつ独自性を出している。日本のRPGは基本的にこのゲームに影響されていると言って良い。
タイトー『たけしの挑戦状』 - 有名なクソゲー。B級ゲーム・カルトゲームのカテゴリーのファンによって記録が残る。
ナムコ『プロ野球ファミリースタジアム』 - ファミスタと略される有名な野球ゲーム。他の野球ゲームもこのソフトの操作方法を踏襲したものになる。
アーケードゲーム専門雑誌『ゲーメスト』創刊。
ゲーム雑誌『ファミコン通信』創刊。
ハドソン『スターソルジャー』 - 高橋名人に代表される名人ブーム・連射ブームの火付け役となる。
このころ、ファミリーコンピュータのライセンスを取得しないソフト(同人ソフト、当時は裏ソフトと呼ばれていた)において、性的描写がきついソフトが市場に多く出回ったため、警察やPTAなど市民団体が任天堂にクレームを集中させた。そのことにより、任天堂は、非ライセンスソフトの市場からの締め出しを実行し、裏ソフトの撲滅に成功する。
1987年
エニックス『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』発売前の話題が大きさから、前作以上の社会的影響を発生させたヒット作。発売日に学校を休んだりする小中学生が多発し、この作品以降ドラゴンクエスト発売日にはワイドショーによる取材が発生する事になる。
スクウェア『ファイナルファンタジー』 - スクウェア社の最後の作品となる予定だったソフト。なのでファイナル。しかし予想に反して大ヒットを飛ばした為に会社が生き残った。
NECホームエレクトロニクス「PCエンジン」
T&E SOFT『ハイドライド3 ~THE SPACE MEMORIES~』ゲーム内に仮想世界を構築するために時間の概念、重さの概念、食事・睡眠の概念、貨幣の概念など革新的な要素を取り入れた アクションロールプレイングゲーム。後のMMORPGの基礎を作った。
1988年
セガ「メガドライブ」
エニックス『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』 - これを買うために発売日に子供が学校を休んだり、恐喝の被害が出るなど、社会問題となった。
任天堂『スーパーマリオブラザーズ3』
スクウェア『ファイナルファンタジーII』
BPS『テトリス』 - これにより、テトリスブームが起こる。以後、落ち物パズルがジャンルの1つとして定着する。
NECホームエレクトロニクス「PCエンジンCD-ROM²」 - 世界初のCD-ROMゲーム機として登場するが、高価なため普及には時間がかかった。
1989年
任天堂「ゲームボーイ」 - 別途ゲームソフトを購入して利用するタイプの携帯型ゲーム機としては、エポック社「ゲームポケコン」に次いで2機種目。
任天堂『MOTHER』
マクシス『シムシティ』

[編集] 1990年代
1990年
任天堂「スーパーファミコン」
セガ「ゲームギア」
SNK「ネオジオ」 - 家庭でゲームセンターのゲームが出来るといううたい文句だったものの、本体価格やソフトの値段が高くあまり売れず。
エニックス『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』
スクウェア『ファイナルファンタジーIII』
任天堂『スーパーマリオワールド』
1991年
バンプレスト『スーパーロボット大戦』 - スーパーロボット大戦シリーズの始まり。
スクウェア『ファイナルファンタジーIV』
セガ『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』
カプコン『ストリートファイターII』 - 以後、対戦型格闘ゲームがジャンルの1つとして定着する。
コンパイル『ぷよぷよ』 - 落ち物パズルの対戦のはしり。
『ファミコン通信』が週刊化される。
1992年
エニックス『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』
スクウェア『ファイナルファンタジーV』
ハドソン『天外魔境II 卍MARU』 - CD-ROM媒体による大作RPG
任天堂『スーパーマリオカート』
1993年:任天堂「ニューファミコン」 - ファミコン発売10周年を機にリニューアル。
1994年
松下電器「3DO REAL」
ソニー・コンピュータエンタテインメント「プレイステーション」
セガ「セガサターン」 - 同時発売としてビクターVサターン・日立Hiサターンがある。
SNK「ネオジオCD」
NECホームエレクトロニクス「PC-FX」
ハードメーカー各社から相次いで新機種が登場。次世代機戦争などと言われた。この頃になるとソニーの参入もあってかニュースなどでもゲームの話題が取り上げられるようになる。
任天堂「スーパーゲームボーイ」 - スーパーファミコンでゲームボーイのソフトをプレイするための拡張機器。
スクウェア『ファイナルファンタジーVI』
コナミ『ときめきメモリアル』 - いわゆる美少女ゲームの走り。
SNK『ザ・キング・オブ・ファイターズ'94』
任天堂『スーパードンキーコング』
1995年
エニックス『ドラゴンクエストVI 幻の大地』
任天堂「バーチャルボーイ」 - サードパーティーがつかず、1年で中止。
任天堂、セントギガのBS放送を利用してスーパーファミコン向けデータ配信事業である衛星データ放送を開始、専用周辺機器「サテラビュー」を販売。
このころになると、スーパーファミコン用ソフトは大容量化により価格が高騰。1万円を越えるソフトが珍しくなかった。
ナムコ『テイルズオブファンタジア』
1996年
スクウェアが『ファイナルファンタジーVII』をプレイステーションで発売することを発表。スクウェアが任天堂との決別を公言する。これをきっかけに、SCEIと任天堂との力関係が逆転する。
『ファミコン通信』の誌名が『ファミ通』に変更される。
任天堂「NINTENDO64」 - 3Dスティックによるアナログ入力や、コントローラの振動機能を普及させる。
任天堂「ゲームボーイポケット」 - 従来のゲームボーイを小型化したもの。
任天堂『ポケットモンスター 赤・緑』 - 衰退しつつあったゲームボーイ市場が本ソフトの登場により復活する。また、ゲームは綺麗なグラフィックでなければならないという概念が形成されつつあったのを吹き飛ばす。 
バンダイ「たまごっち」- 発売後、社会現象にもなった。
この頃から、コンビニエンスストアにおけるゲームソフトの販売が開始される。
ソニー・コンピュータエンタテインメント『パラッパラッパー』
ソニー・コンピュータエンタテインメント『クラッシュ・バンディクー』
インターチャネル『センチメンタルグラフティ』の発売を発表。ゲームその物は1998年発売となるものの、膨大な量のグッズとイベントなど関連情報を大量発信するスタイルを行い、本編のゲームが無いのにヒット作という評価となる。
1997年
スクウェアに続く形で、エニックスも『ドラゴンクエストVII』をプレイステーションで発売することを発表。
スクウェア『ファイナルファンタジーVII』 - それまでのRPGの常識を覆したフルポリゴンRPG。プレイステーションで発売されたことによって、それまで売り上げが均衡していたセガサターンとの差を大きく開くきっかけとなった。
『ウルティマオンライン』 - 世界初のMMORPG。
セガとバンダイが合併し、新社名をセガバンダイとすると発表。しかし、後にこの計画は解消された。
1998年
任天堂「スーパーゲームボーイ2」
任天堂「ゲームボーイカラー」
任天堂「スーパーファミコンジュニア」 - スーパーファミコンのモデルチェンジ版。
セガ「ドリームキャスト」 - 湯川専務が出演する自虐的なCMで話題になる。
SNK 「ネオジオポケット」 - ドリームキャストとの連動で話題になる。 
コナミ『beatmania 2nd MIX』 - 音楽ゲームのはしり。
コナミ『メタルギアソリッド』 - 世界戦略を最初から視野に入れたゲームソフトの先駆け。
1999年
スクウェア『ファイナルファンタジーVIII』 - 記録的な売り上げを達成し、スクウェアの経営方針転換のきっかけとなる。
スクウェア『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』
新声社の倒産により、『ゲーメスト』廃刊。ゲーメストスタッフの一部により、アスキー(現:エンターブレイン)から『アルカディア』創刊。
このころ、中古ゲーム裁判起こる。
ナムコ アーケードにて『ミスタードリラー』を発表。シンプルな原点回帰したゲームながらも好調な成績を収め、「軽薄短小」なシステムのゲームを見直すきっかけとなる。

[編集] 2000年代
2000年
ソニー・コンピュータエンタテインメント「プレイステーション2」
アスキーよりエンターブレインが分社。『ファミ通』などの出版事業を移管。
スクウェア『ファイナルファンタジーIX』
セガ『ファンタシースターオンライン』 - コンシューマーゲーム初の本格MORPG。 (cf.オンラインゲーム)
任天堂『MOTHER3 豚王の最期』の開発を断念。
エニックス『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』 - 出荷本数は400万本を超え、日本でのプレイステーションの歴代記録1位を樹立した。
2001年
任天堂「ゲームボーイアドバンス」
スクウェア『ファイナルファンタジーX』
任天堂「ニンテンドーゲームキューブ」
『ファイアーエムブレム』の類似作品であるとして任天堂より警告を受けていた発売予定ソフト『エムブレムサーガ』(当初名称)が結局『ティアリングサーガ』とタイトルを変えて発売されたことに対し、発売元であるエンターブレインなどを相手取り、任天堂などが著作権と不正競争防止法に関する訴訟を起こす。控訴審にてエンターブレイン側に不正競争防止法違反による賠償金約7600万円を任天堂側へ支払うよう命じる判決(任天堂一部勝訴)が下され、2005年4月12日に任天堂の上告が最高裁に棄却されたため、二審判決が確定した。
このころ、コナミによるプロ野球のゲーム化権利や音楽ゲームの特許の独占、他社製品名による登録商標の申請が問題となる。プロ野球のゲーム化権利については、他社製野球ゲームへの再許諾を遅延させるなどの行為が行われ、後に公正取引委員会より独占禁止法に基づく警告を受けた。公正取引委員会報道資料(PDF)
2002年
マイクロソフト「Xbox」
スクウェア『ファイナルファンタジーXI』 - コンシューマーゲーム初の本格MMORPG。
任天堂『ポケットモンスター ルビー・サファイア』 - 記録的な売り上げを出す。これを機に、ポケモンの関連商品の販売などを行う事業を『ポケモン』という略称をそのまま使って社名にし、分社化(ポケモン (株式会社))。
2003年
任天堂「ゲームボーイアドバンスSP」
スクウェア『ファイナルファンタジーX-2』
セガ『甲虫王者ムシキング』 - 昆虫相撲とトレーディングカードをゲームに取り入れ、子供達に人気を博した。
スクウェアが任天堂との対立関係を解消する。同社は任天堂系ハードにおける、ソフト供給を再開する。
スクウェアとエニックスが合併、スクウェア・エニックスとなる。
任天堂『MOTHER3』の開発中止を撤回。
任天堂、「ファミリーコンピュータ」「スーパーファミコン」の生産およびディスクカード書き換えサービスを終了。
コンビニエンスストアへのゲーム流通を確立させたデジキューブが破産し、解散。デジキューブ出版部門の一部は、スクウェア・エニックス出版部門に、著作権とともに吸収される。
2004年
任天堂が、ファミコン生誕20周年企画として、『ファミコンミニ』シリーズ(過去の名作ファミコンソフト)をゲームボーイアドバンスで完全復刻。懐かしさから人気を呼ぶ。
セガとサミーが経営統合、セガサミーホールディングス設立。
スクウェア・エニックス『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』 - 360万本を超える本数を販売、プレイステーション2用ソフトとして日本国内1位の記録を樹立。
ソニー・コンピュータエンタテインメント「プレイステーションポータブル」(PSP) - 任天堂のゲームボーイアドバンスの牙城に挑もうとするも、任天堂が対抗するような形で「ニンテンドーDS」を発表(ニンテンドーDSとPSPの覇権争い、空白の17分間)。どちらも年末に発売され、携帯ゲーム機戦争として年末商戦の話題となる。
任天堂「ニンテンドーDS」
2005年
コナミがハドソンを傘下に。
任天堂『東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング』 - 若年層だけでなく、中高年層をもターゲットとした作品。
任天堂「ゲームボーイミクロ」
スクウェア・エニックスがタイトーを傘下に。
バンダイとナムコが経営統合、バンダイナムコホールディングス設立。
マイクロソフト「Xbox 360」
ニンテンドーDSが12月29日の『東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』の発売と正月商戦の相乗効果で任天堂の予測を超える爆発的な売上を記録し、翌年1月2日~3日頃には市場在庫を払底、深刻な供給不足に陥る。任天堂から異例の謝罪広告と増産体制構築のアナウンスが出されるが、半年経っても需要が供給を上回る状態が続いた。
2006年
任天堂「ニンテンドーDS Lite」
スクウェア・エニックス『ファイナルファンタジーXII』
任天堂『MOTHER3』発売。シリーズ史上最高売上達成。
携帯ゲーム機シェアが据置ゲーム機シェアを突破。任天堂のハードシェアが50%を突破。
ソニー・コンピュータエンタテインメント「プレイステーション3」。発売当初は品薄が続いた。
任天堂、ゲームボーイアドバンス及びゲームキューブのハード・ソフト開発が終了。
任天堂「Wii」。2006年末までの販売台数は98万9118台に達する。
スクウェア・エニックスが『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』をニンテンドーDSで発売することを発表。ドラクエのナンバリング作が約10年ぶりに任天堂プラットフォームに復帰。かつ、初の携帯ゲーム機進出。一部メディアが「ドラクエが任天堂に戻ってきた」と報じる。
任天堂「ニンテンドーDS Lite」及びソフトが人気となり、長期・過度の品不足状態が続く。
2007年:プレイステーション3、1月初頭までに日本と米国でそれぞれ100万台出荷。品薄がほぼ解消される。

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最終更新:2007年03月19日 01:58