1.
物理学や数学の成果は、定式化される。
「物事はすべて、 出来るだけ単純にすべきだ。」(アインシュタイン)

対して、哲学や文学の成果は、定式化されない。
哲学や文学を学ぶとき、むしろ、個別の文献に出来る限り多くあたることを奨励される。
この性質が時に権威主義を招く。

何故、哲学や文学の成果は定式化されないのか?

2.
哲学や文学は、語についての学問である。
物理学や数学は、語についての学問ではない。

3.
語は、インフレする。

4.
語は、交換される。
誰かが言葉を発すると、誰かが言葉を返す。
このさまは、通貨と似ている。

但し、語は通貨と違い、均質ではない。
   「哲学」→「哲学哲学」→「哲学哲学哲学」→「哲学哲学哲学哲学」→…
もし語が通貨と同じなら、言葉のやりとりは上のようになる。

しかし実際のやりとりは、下のようである。
   「哲学」→「分析哲学」→「ウィトゲンシュタイン」→「ハイデガー」→「否定神学」→…

語の場合、均質なもよりも、異質なものの方が、価値が高いからである。

5.
異質なものが増えるほど、言い表せる事柄が増えるから、異質なものの方が価値が高い。

6.
語が増えると、語のエコノミーが分裂する。
それぞれ、哲学、文学、論理学、美学、倫理学、言語学、考古学、社会学、心理学……になる。

エコノミーのそれぞれは、
エコノミーの範囲内で異質な語が交換されることにより、維持・発達する。
哲学とは、哲学用語を交換することである。
文学とは、文学用語を交換することである。
最終更新:2015年04月29日 15:54