語の適用とは、消費である。

語を殖やすのは、語を適用できる範囲を広げんがため。
世界で起こることの全てを言い表すため。
こう仮定すると、
語を殖やす作業が生産で、語を適用する作業が消費、と言える。

思考を整理する為の哲学とは、即ち、語の消費を意味する。
ニューアカデミズムとは、消費は美徳なご時勢の反映だったのだろう。
それは果たして哲学なのか。
最終更新:2015年04月29日 15:55