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 こんな翻訳で本当にいいいいいいいいのかよ(ぉぃ



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 文字小簡project.RX
「ROCKMAN X : STANDARD OPREATING PROCEDURE」
 OP1:「cant be realized.」


1.1

 赤い|幽霊《ゴースト》が街を|俯瞰《ふかん》している。
 そう、見ているようだが、見《・》て《・》い《・》な《・》い《・》。
 ゴーストが見ているのは街ではないようで、まるでこの世に存在しない物体を見ているようだ。
 ゴースト自体の赤ですら、この世に存在しない赤だ。
 赤いゴーストは突然街の真上に現れ、人々が気付かないうちに消えていく。
 それにもかかわらず、ゴーストの存在を感じた人もいる。
 いや、正確にいうとそれは人ではない、アンドロイドである。青のアンドロイド。彼は空中にいる赤いゴーストの存在に気付き、急いで視線を空へと向けてみたが、赤いゴーストはもういなかった。

 青色のアンドロイド「|X《エックス》」は、確かにそれを感じた。

 「|隊 長《キャプテン》」エックスは赤いゴーストに気付けない人間に言った。「さきほど、あるモノが空から我々を監視していました。」
 「君には探知機能が装備されてないだろう」隊長は頭を振りもせず、当たり前のような口調で答えた。
 「それは、ありませんが」
 「だから、空にモノがあるかどうか、君には感じられないはずだ。どこかがエラーしているのだろう、後でケインに見てもらおう」
 「了解」

 エックスは”|隊 長《キャプテン》”と呼ばれる中年男と街中を歩いていた。この街で普通に暮らし、淡々と歩いていた人々は、この日常にある非日常なモノから目を離せなかった。アンドロイドはもはや珍しくない、街中のいたるところにある。販売機、無人商店、警察、レジ、病院、銀行、看護士、ペットなど、名前が挙げられるものはほとんどアンドロイドに取って代わられた。アンドロイドはまるで天敵が存在しないかのように繁殖した。それは科学家が人間を援助するために用途を多様化させた結果だった。

 しかし、エックスは違う。
 例えば、そこら辺にいる体中をカラフルに塗装された風船配りの太っちょのピエロアンドロイドが、いくら頑張って音楽を演奏しても、エックスが普通に歩くだけで、普通のアンドロイドではないことがわかる。
 エックスはまるで人間が歩くように普通に歩いている。
 外見もヒトそのもの。外付けのプロテクターさえなければ、その皮膚《ひふ》の作りからは、エックスを人かどうか区別できない。
 よく見ると、その瞳もまた、ほかのアンドロイドと出来が違うことに気が付く。同じセンサーでも、後ろには光を探知できるチップが埋め込まれ、その奥には神経回路がある。しかし、脳部の最深部のもっと深くには、エックスの存在を強調する”壁”が守るように立っている。エックスの瞳は、肉眼では人のものかアンドロイドのものか区別できないほどだ。エックスのような特別な存在こそ、人々の好奇心をそそり、注目される。

 「さてと、俺たちの目的地は…」
 「はっ。我々が向かうのは最近テレビでとても有名なアンドロイドアーチスト、ラートのところです。ラートがそれを見たアンドロイドが皆「感動しすぎて涙が出そう」という擬似人間感情《ぎじにんげんかんじょう》を持たせた絵画を描いたので、人間の芸術界に大きな騒動を起こしました。しかし、人間にはその価値が理解できないとおっしゃって、ケイン博士は、隊長に頼んで私と一緒に見に行ってほしいというわけです。」
 「あっ、そうだね。その通り」言いたいことを全部エックスに言われたために、隊長は寂しげに出そうとした手帳をしまった。まあ、エックスがいれば、その手帳はもう必要ないだろう。

 しかし、その手帳は隊長が何十年も持っていた手帳で、彼にとって欠かせない存在であった。理解できないことをすべて手帳に書きいれれば、まるで自動的にまとめられたかのように、翌日には突然理解できるようになるのであった。この手帳があるからこそ、隊長はエックスに第十七小隊の隊長の地位を奪われず、今の地位にいられるわけである。しかし、ケインはなぜ、エックスを第十七小隊の副隊長に任命してくれないかと頼んだのだろう、どうも理解できない。

 ただのアンドロイドじゃないか。

 例え、今となって、警察ロボはもう欠かせなくなっているとしても、人間の経験そのものは永遠に取って代われないものだ。だからこそ、指揮管理の職は今でも生身の肉体と頭脳を持った人間が担当しているのだ。それに、今の警察ロボは警察組織の中でも、交通警察の仕事を一面的に任せられるだけである。これは実験だ。多分、ケイン博士はこれをきっかけに、警察ロボだけで事件を処理できるかどうか試したいのだと、隊長は思った。

 「隊長、大都会美術館に着きました。」
 「うむ、じゃ、入ろうか」

 「隊長」
 「なんだ」
 「チケットを買わなくていいんですか」
 「警察は買わなくていいんだ」
 「確か、警察官は警察用チケットを買わなければならないのでは」エックスはやんわりと聞いた。
 「捜査に来たんだから、美術館の係りに一言声を掛ければ入れるのだ、さあ、いくぞ」
 「了解」

 隊長はチケット売り場のアンドロイドに、館長をお願いしますと言うと、アンドロイドはセンサーの部分にレーザーを照らし、警察手帳を検査し始めた。検査が終わってから、「シバシオマチクダサイ」と応え、数分後に、館長が微笑ながらあいさつに来た。隊長が|単刀直入《たんとうちょくにゅう》にラートに会いたいと伝えると、親を見つけた迷子のように落ち着きを取り戻し、隊長たちを連れて美術館に入った。

 郊外《こうがい》にある美術館の敷地はとても広くて、有名な人間建築家によって建てられた、いわば人類数千年の建築技術の結晶を集めて建てられた建物である。
 世界中に似たような美術館はどこにもあるが、この大都会美術館はその中でも最も新しく、収集品も一番多く、セキュリティも一番厳密だと言えるだろう。
 あらゆるデジタル技術を生かし、本物と同じような3Dデジタル映像が展示されている。盗まれる恐れもないので、柵や警報ベルもない。芸術品が時間と共に風化していくという保存の問題もない───本物はすべて地下数キロメートルにある秘密の芸術保存庫に保管されているから。

 館長が先頭を導き、エックスはアーティストのラートに会えた。隊長が口を開く前に、ラートは言った。
 「私は、あなた方が私の作品を見るために、ここにきたことを知っている。だが、そこのお二人さんにゃ分からんよ。これはな、アンドロイドにしか分からん芸術だ。たとえそこの館長殿が何千何万の芸術品が理解できてもな。これは自画自賛でもない、謙遜でもない。アンドロイドにしか分からん芸術がここに確かにある。神のお告げによって証明されたのだ!」

 ラートが後ろに一歩下がると、彼が言った芸術は最新鋭の立体映像機から映し出され、館長、隊長、そしてエックスの目の前に現れた。
 ただ、隊長はソレを見ても、何も言わなかった。
 否、何《・》も《・》言《・》え《・》な《・》かっ《・》た《・》と言ったほうが正しいであろう。
 ソレは普通の壁だった。記憶をたどると、どこかで見たことがあったような壁だった。壁も何も言わずに、ただ存在そのものが三人の心に訴えた。

 「触ってみますか?これは我々の最新成型技術です」
 館長まるで猫をなでるような声で、自分の発明品を薦めた。

 エックスと隊長はほとんど同時に手を伸ばして壁を触った。
 何の感触もない、ただの壁だった。

 が、その時、エックスは他のアンドロイドと同じようなセリフ───

 「本当に感動して涙が出そうでした」と言った。

 エックスはそう言っただけでなく、本当に涙を流した。隊長はそれを見て驚いた。だがすぐ警戒する目つきで、スクリーンの後ろに顔を隠し、まるで犯人を見るような目つきでエックスを睨んでいた。

 「本当のことを言うと、これはただの壁です。しかし、私はこの壁を触った途端、この壁にこの身をすべてゆだねたい気分になります。この壁の向こうに何かがあるように感じます。しかし、向こうには何もない、私しかいない。この壁の向こうに行きたい。私には越えられるような気がします。」

 「でもな、」ラートが言った。「あなたは人間じゃないが、アンドロイドでもないね。」
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1.2

 まるで天気雨のように、赤い|幽霊《ゴースト》はなんの前ぶれもなく唐突にエックスたちの後ろに現れた。
 最初に気付いたのはエックスである。そして、今度はエックスだけではなく、館長、隊長、そしてラートも、みんなそのゴーストの姿を肉眼で確認できた。

 時間は淀んだ泥水のように変わり、ゴーストはスローモーションで手を伸ばし、エックスに触れようとする。
 隊長はソレを捕まえとしたが、なにせ相手は幽霊《ゴースト》なので、目の前のゴーストに触れようとしても、その手はゴーストの体を通り抜けるだけだった。
 館長はゴーストに驚いてしまい、転げるように、体を空に浮かべていた。
 ラートは動かなかった。ただその目は、アーティストである彼の目は、まるでこの世にない絶対的な美を持つ芸術品を愛しく見つめていた。
 強いて言えば、ゴーストの存在自体、アーティストのラートにとって美しすぎて、逆に毒にもなる。
 エックスは右手をバスターモードに切り替え、高密度のエネルギーが集積され、その光はかすかに銃口から漏れていた。
 ラートはふたつの光に目を奪われ、それ以外のモノには、目がいかなくなっていた。
 そして、エックスは銃口をゴーストに向け、警告する。

 「おやめください!」

 鋭い声が、流れる水を斬り裂く剣のように、時間の流れは加速して元に戻った。その瞬間、ゴーストの手はエックスの体を貫き、後ろにあったラートの壁に触れた。
 やがて、壁を形成する物質は崩れはじめ、分解していった。

 「これは...」隊長は我に返ると、ゴーストが壁に向って何をしているのかをじっと見ていた。
 「あたた…」館長が床から立ち上がって、ぶつけたお尻をさすりながら、「こいつ、まさか、私《わたくし》たちの美術品を盗むつもりなんでしょうか?無駄ですよ、なにしろ私たちが今展示しているのは実物ではなく、すべて…」、
「違う、この壁をコ《・》ピ《・》ーしようとしているぞ」ラートが言った。
 その声は弱く、顔には何の表情もない、ゴーストの行為を、全身全霊で見守っているといってもいいようだった。

 エックスは再び銃口を幽霊に向け、隊長も対アンドロイド用の電気銃を構えた。銃の照準が、まっすぐに幽霊をとらえる。
 しかし、赤いゴーストは動揺するどころか、何も怖れていない様子だ。
 エックスも隊長も引鉄《ひきがね》に指を添えただけだった。撃っても当たらないだろう、とふたりはこの状況を熟知《じゅくち》している。まるであざ笑うかのような態度で、ゴーストは横目でエックスを見た。その顔はまるで解けてしまっているようで、目か鼻か口かを見分けることができないぐらいだ。エックスはゴーストの横顔から表情を読めない。

 観察されている。

 その視線はエックスの装甲を貫いていた。内部はもちろん、エックスの瞳の向こうにある壁にまで達しそうな視線である。

 ラートの壁は崩れ続け、元々大人の身長くらいあった壁は、まるで巨大な”時間”によって潰され、破片は地面に落ちる前にさらに小さく分裂し、やがて、虫眼鏡を使っても見えなくなるほどまで粉々になって、消えた。

 壁が完全に消えると、赤いゴーストはまるで最初からいなかったかのように、ただ強いイメージだけを残して、姿を消した。

 「今のは幻?それとも幽霊ですか…?」
 館長がつぶやいた。あれは真実か、それとも幻か、今はもう判断できなかった。
 ただ彼は何か思い出したように、再びラートの壁を映し出そうとリモコンを操作したが、映写機のモニターには「empty」の文字が無情に映し出された。

 「ない…ない…私の芸術品が!!!!」館長はリモコンを叩いて、ボタンを何度も押した、「私の芸術品はどこにいった!?」
 「盗まれたんだよ…いや…むしろ」ラートが言った「奪われたんだよなぁ…私たちの目の前で」
 「もう一枚描いてくれ!いますぐにだ!」館長は情けなくラートの襟を掴んで叫んだ。
 「申し訳ない。データはすべてそちらに渡したんだ。もう一枚を描くんなんで無理な相談だ」
 「じゃ、私の絵はどうするつもりだ!?私の美術館はどうなる!」
 「ここにあるじゃないか」ラートはエックスを指差した。「彼は私の絵の価値を記録した。そして、他の無数のアンドロイドたちもそうだ。この絵の目的はもう達成した。私はもう満足だよ。」
 「幽霊が私の絵を盗んだぞ!…このままじゃ、笑い話になりかねん…そうだ…警察!警察がいるじゃないか!」館長は隊長より身長が頭一つ分低かった。その館長が隊長の鼻を指差しながら、「貴様らが絵をちゃんと守っていないから盗まれたんだぞ!責任を取れ!」と言った。
 「…人間にしろロボットにしろ、幽霊相手じゃどうしようもないぜ。」
 「監視カメラの画面を見れば分かるだろう!全部貴様らのせいだ!」

 館長はリモコンを持ちながら、人差し指で何桁もあるパスワードを入力して、再びカラとなった場所に向けてボタンを押した。すると、「empty」の表示は監視カメラのモニターに切り替わり、そこに映し出されたのは、エックスバスターを構っているエックス、手を伸ばして何かを掴もうとしたが何も掴まえられず、また壁に向かって銃を突きつけた隊長、転んだ館長、そして、じっとして動かないラートだった。

 まさに絵が盗まれる前の瞬間である。

 ラートの壁は次の瞬間崩れ始め、そしてヒステリーを起こしかけた館長が画面に映し出された。すこしばつが悪いようで、館長は素早く監視カメラの画面をいくつもの角度に切り替え、赤いゴーストの姿を探そうとした。しかし、大都会美術館に12台ある、それぞれ異なる角度を監視しているはずの監視カメラは、ゴーストの姿を見つけることができなかった。

 ラートが座っていた。
 館長が隊長とエックスを連れてきた。
 壁が現れた。
 壁が倒れた。
 「empty」。

 「empty」「empty」「empty」「empty」「empty」「empty」
 「empty」「empty」「empty」「empty」「empty」「empty」

 十二の「empty」は赤いゴーストが壁を携えて消えたという事実を何よりも強く示していた。

 「うちのほうで事件として受理してやってもいいが、しかし、たぶん機械のエラーによるデータの紛失として処理されるだろうな」隊長が言った。
 機械のエラー、つまりそれは管理側のミスになる。
 それを聞いて、館長は「いやいやいやいや、そうですね~この絵の展示は今日までで終わることにしてましたから、はい。ですから、もう展示は終わりですよ、はい」と慌てて言った。それからリモコンを操作し、別の作品が出てきたのを確認すると、ほっとした様子になった。が、ラートがまだ座っていたのを見て、「まだここに用があるってのか?ないならとっとと帰れ!」と手でラートを追い払った。

 隊長とエックスはラートを連れて大都会美術館を出た。
 その時、美術館にある巨大な看板には、メイン扱いのはず「だった」ラートの壁が、すでにほかの作品に変わっていた。
 そして、その下には「当美術館にお越しくださり、誠にありがとうございました。ラート氏の作品は都合により、本日で展示を終了いたしました。次回展示予定の作品は…なお、ギフトショップでは同氏作品のレプリカキーホルダーを販売しており…」という小さな字幕が映っていた。

 「これからどうするつもりですか?」エックスはラートに言った。
 「まあ、美術館をクビになって、前の職場ももう戻れない…また職探しするってことだよ。」
 「前の仕事はなんですか?」
 「インテリアデザイナーさ」
 「なるほど。だからあんなにいい壁絵を描けたんですね。」
 なにもかも理解したような言草だが、隊長はいまだにあの壁がどこかいいんだか分らないままである。
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1.3

 「まあ、この件はそう簡単に終わる気がしないんだけどな」隊長が言った。
 「なぜでしょう?」
 「俺達のもうひとつの目的───あの芸術品が本物かどうか確かめたい。そしてラートの身分の確認もな。」
 「そうですね。両方とも本物でした。」
 「だからやっかいだ」
 「なぜですか?」

 「あの絵、いや、壁と言ったほうがいいかも知れん。あれを人間が理解できない原因は何だ。|人《・》間《・》だ《・》か《・》ら《・》こ《・》そ《・》理解できないんじゃないか?つまり、あの絵にはロボットにしかわからない情報が入ってる可能性もある。これらの情報が言語システムを通じて、君たちの感覚でいうと”感動”というメッセージが出てくるわけだ。」
 「しかし、あの絵に文字らしきものを感じることはできませんでした」
 「そう。文字じゃない、図《・》形《・》だ。文字と図形の区別は非常に微妙だ。そこでだ、エックス。なぜあれを文字と判断したのかな?」隊長は街中にある「最新電子器機」の看板を指して、聞いた。
 「どの文字が一番似ているのかと照らし合わせて判断します。」
 「照らし合わせのミスが起こることもあるだろう」
 「はい、文字が読みづらければ。しかし、その時はメモリーにある古い経験データと照らし合わせます。」
 「優等生だね君。だが、これらの動作のなかでひとつのプロセスが欠落《けつらく》してる。どこか分かるかね?」
 「…?なんでしょう?」
 「文字を文字としての意味を持たせずに、そのまま図形だと思って見ていると、違った解釈ができるんだよ。われわれが初めて英語を学んだときのように」
 「意味わかりませんが」
 「おっと、君はアンドロイドってことをすっかり忘れてた、ハッハッ」
 「もう一度解説をお願いできませんか。」
 「人間が英語を学ぶ時は、まずアルファベットの意味を暗記しなければならない、それから、より複雑な語彙《ごい》を学ぶことができる。だが、文字自身の意味も理解しないままで文を読んだら、どうなる?」
 「なにひとつ情報を得られない?」
 「そう、意味もわからないまま捨てしまうだろう。だが、記号にすれば話は別だ。象形文字《しょうけいもじ》とは文字を絵のように書いて、意味を伝えるもの。暗記する必要もない、自然な言葉だ。」
 「なるほど」
 「さて、本題に戻ろう。もし、ラートの作品がロボットにとって自然に読める言語だとしたら、その価値は計り知れないだろう。ロボットの象形言語《しょうけいげんご》、人間が一生かかっても理解できない理由は、これだろう」
 「しかし、規則さえ分かれば、読めないことはないでしょう。」
 「まあ、人間の分かる言語に訳すぐらいはできるだろう。とりあえず、ラートを連れてこよう。その後で、ケインに聞こう。」
 隊長もまた、もう一つの疑問があった。だから後でケインにじっくり聞こうと思っていたのだ。


 「どうやって彼を署に連れ戻すんですか?」

 隊長はぽかんとした。こういう基本的な質問がエックスの口から出てくるとは予想もしなかったからだ。
 まあ、それもそうだろ、いくらつくりが精巧であっても、エックスが新人という事実は変わらないのだ。警察ロボになるどころか、警察ロボとは何なのかも、ケインにちゃんと教えられていないのだろう。基本的な学習ソフトだとか何とかを適当にインストールするだけで、何もメンテナンスしてないってことはないだろう。
 って、まさか、さっき美術館でエックスは威嚇するつもりじゃなく、本気で発砲するつもりだったのだろうか!?もし、本当にぶっ放したとしたら、大都会美術館はそのまま遺跡になったかも知れない。

 隊長の額には冷や汗が流れた。

 ダメだ、エックスはラート以上の問題児だ。とにかく二人をなるべく早くこの場から連れて行かなくては───

 「私が手本を見せてやろう」
 「はい」

 新人に手本を見せるのは久々なので(警察のロボ化が原因で、新「人」警察官は珍しい存在になっていた)、隊長も知らず知らずのうちに燃えてきた。声のトーンもいつもより高く、先輩としての誇りと見栄が全身の細胞を奮い立たせるエネルギーになっていた。
 隊長はスタスタとラートのところに歩み寄った。そして、ある事を思いつき、人を呼び止める。───という場面を演じ始めた。

 「おい、ラート!」と声をかけた。
 まさにシナリオ通り、ラートはこっちに振り向き、戸惑った顔をして「なんですか」と聞いてきた。
 「悪い。突然だが、まだ終わってないことがあるんだよ。」腰に手を当てつつ、もう一つの腕は頭を掻くようにしていた。そして顔をしわくちゃにして微笑みながら「すまないが、もう一度我々とともに警察署に同行してもらえないかね。」と、いかにも”申しわけない”という風に演じた。
 「まあ、いいですよ。どうせもうすることもありませんし。」相手の態度からすると、無礼のないかつ正しい態度で応えならないとならない。これは人柄がよく、礼儀正しいという印象を与えるためである。
 「それは助かります。では、まいりましょう。」隊長は手を下に向けラートに先を歩くように示した。礼儀の中でもっとも重要なことの一つである。
 「いやいや、あなたが先にどうぞ」ラートも同じように、体を前に少し傾けておじぎし、目上の人物に敬意を払った。
 「では、一緒に行きましょう。」隊長は言った。
 「そうですね」ラートもまた同じ動作をして、肩と肩を並び、共に歩く。

 これが、礼儀正しい公民のあるべき姿。

 「人を連行するのは本当に難しい…」エックスは感心した。
 本来のマナーから言えば、エックスは二人の後ろを歩かなくてはならない、しかし、エックスは副隊長なので、隊長の反対側を歩くことができる。しかし、隊長とラートが話しているのを邪魔してはならない。


 「もしもし?ケイン博士に回してくれ。」
 隊長は、エックスにラートと話していろと言ってから、携帯でケイン博士に電話した。
 『はい、少々お待ちください』
 電話を待っている間に流れた音楽は、本来、待つ方の気分をリラックスさせるはずだが、しかし、同じメロディをずっと聞いていると逆にイライラしてきて、待つ人はさらに腹を立てることがある。
 『はい、ケインだが』
 「なぜエックスは流涙機能《りゅうるいきのう》がついているんだ!」隊長はストレートに問いた。
 『エックス?おお、あのエックスか。青い色のアンドロイドだな?あいつは元気かね?』
 「おお、ピンピンしてるぞ、早く質問に答えろ。」
 『それはよかった。しかし、涙が出ることのどこが悪いんだ?』
 「悪いもなにも、そもそもアンドロイドをより人間に近くするのはロボット禁止法の規定に明らかに違反するだろう。外見はいうまでもない、精巧すぎる。これはいったいどういうことだ!」
 『まあ、落ち着いて』
 「落ち着いてられっか!もし、美術館の館長に告訴されたら、俺は今、お前が保釈に来てくれるのを待つしかない破目になるところだったんだぞ、ケイン!」
 『そうか、エックスは自然に涙をこぼしたのか、ハハ、いいぞいいぞ』
隊長は呆れて何も言えなくなった。
 『───まあ、あまりはっきりといえないが、法律に引っかかるほどじゃない』
 「やはり。エックスは感情回路を持っていたのか」
 『普通の会話ならバレないさ』
 「エックスの感情レベルはどのぐらいある?」
 『まあ、標準レベルを基準にしたら、レベル3に達したかな』
 レベル1は無感情。レベル4なら人間に近い感情を持っているのだ。
 「そりゃ、けっこう高いじゃないか!いつ人工知能の賞を貰えるんだ?写真撮ってやるよこんちくしょう」
 『えらい皮肉だね』
 「もしお前が俺を売らなければな」
 『安心しろ。今は大丈夫だよ。将来もきっと大丈夫さ』
 「あいつ…」隊長は振りむいて、エックスとラートが話している様子を見た。
 ふたりのアンドロイドがなにを話してるのか、よくわからない。ラートの素振りからすると、どうやらエックスにこの街に何があるのか、どのような規則があるのかを紹介しているらしい。
 エックスは時に驚きの表情を作ったり、時には真剣な顔を見せたりする。また顔を下に向けて、ラートの言っていたことをメモする様子など、いろいろと変わる豊かな感情表現が、隊長には危険に思えて仕方なかった。
 「…暴走はしないだろうな」
 『だから君に任せたのだよ』
 「適当にソフトをインストールすりゃいいんだろう」
 『まあ、そうだ───子供の教育は君に任せる!って感じだ。愛にしろ鞭にしろ君次第だ!』
 「エックスはアンドロイドだ」
 『彼の思考力は人間の子供並みなんだ』
 「エックスはヒトじゃない!アレはお前らが作ったアンドロイドだろう!」
 『…エックスを作ったのは私たちじゃないぞ』

 「…どういうことだ。エックスはお前が作ったアンドロイドじゃないっていうのか?」
 『数ヶ月前に、土の中から出てきたんだよ。そして、我々のところに送られてきたので、解析を行った。まだ動くし、性能に関しては申し訳ない。特に異常はないのでそちらに派遣してみたという訳だ。』
 「おいおい、ずいぶんいい加減なことをしてくれるな」
 『まあ、調査は相当やったから。だが、あるブラックボックスだけは開けられなかった』
 「ブラックボックス…」
 『彼の感情の部分だよ。いじって壊したら大変だから、放っておいた。』
 「お前たちでもどうしようもない部分があるって訳か?」
 『そういうこと』


 「───まあ、いいだろう。とりあえずラートを連れて帰る。このままじゃまた何かあったら心臓に悪い。いや、もう心臓病になりかけている感じだよ」
 『救急車呼ぼうか』
 「病因はお前だよ、このくそ医者め。治せよこんちくしょう」

 隊長が電話を乱暴に切って、まだしゃべっているエックスとラートの所に戻った。
 彼らがおしゃべりしている風景は、本当に妙なものなのだ。
 アンドロイドの間には、もっと効率のいい通信手段がいくつもある。それにもかかわらず、なぜこうやっておしゃべりごっこを人間に見せないと、人間は安心できないのだろう。
最終更新:2007年04月29日 13:59