● エピローグ ●
それからは、特筆するほどの事は起こりませんでした。
【ライオンの瞳のダイヤモンド】は箱に収め、簡易的に封印処置をしました。
近くの「泉」まで戻り体制を立て直した後、すぐ第五階層へと撤退。
冒険者のお二人には報酬を支払い、彼らとはひとまずそこで解散となりました。
私は呪具に強力な封印を改めて施し直し、休養を取り、地上の【扉】を通じて帰還しました。
「――報告は以上です、師匠」
「うむ」
セシリアは些か以上の緊張を含みながら、そう締めくくった。
師アリアンローザは、まったくの無表情でいらえを返した。
キュトスの姉妹の十七女、【フラットライン】のアリアンローザ。
〈均衡魔女〉の長、世界のバランスを司る魔女だ。
童と呼んで差し支えない幼い体の魔女だった。
子供のフリをすれば誰でもそう信じそうな外見だが、一方その乏しい表情と抑揚のない声色が、異質な何かであることを証明していた。
「まず一点。任務ご苦労」
「ありがとうございます」
「よい戦士と出会ったようだ」
「はい。優れた方々でした」
【浄界】に至った邪視者と、【釘打ち】を扱う少年。
それなりに厳選したとはいえ、在野の冒険者にするには惜しいくらいの人材だった。
「人の縁は大事にするとよい。次に」
アリアンローザは報告書を一瞥した。
「小鬼についての知識を持っていながらむざむざ捕まったのはお前の責任だな」
「……はい」
「然程増殖しないうちに仕留められたようだから、一長一短ではあるが」
小鬼は世界を掻き乱す存在だ。逃していれば、竜が出たことだろう。
だが小鬼に対してこの弟子が無力であることは、アリアンローザはよく知っていた。
価値操作の呪術師であるセシリアでは、価値の通じぬ相手には勝てない。
小鬼を討ったのは、彼女の仲間二人だ。
「次はもう少し上手くやることだ。偵察の手段を得るべきだな」
「はい。精進します」
「して、次の任務だが」
ええ、とセシリアは内心呻いた。
海外出張、それも命の掛かった仕事から帰ってきたばかりだというのに、休みなく次の業務が入るらしい。
手が足りていないのか。均衡魔女ブラックすぎる。転職を考えるべきではないか。
という思いをセシリアは飲み込んで、神妙に言葉を待った。
「盗品の流通経路がある程度割れた。暫くガロアンディアンに滞在せよ」
盗品。つまり、星見の塔の蔵から持ち出された異界の呪具たち。
それらはまだ全てが回収されたわけではない。
「……というのは、つまり……ガロアンディアンに?」
「あると見ている。かの世界槍では末妹選定試験が行われている。そこに影響が出ることは避けねばならん」
選定試験。セシリアには遠い話だ。優れた魔女になる素質は彼女にはなかったからだ。
多くのお姉様方の関心は今そこにある。裏方である自分たちの仕事はその円滑な進行を守ることだ。
「ただでさえ、ラクルラールや大神院を始めとした諸々の勢力が手を伸ばしているのだ。試験の正当性をこれ以上崩されるわけにもいかん」
「……それなら、私の姉弟子を向かわせるほうがよいのでは?」
「と思ったのだが、エルトロンデは呪文の座の候補者を気に入っておってな。贔屓しそうだからと辞退しおった。それに、姉妹間の緊張が高まっているところにこちらから姉妹を送り込むわけにはいかん」
体よく断っただけではという考えと、師がそれを許した以上何か考えがあるはず、という考えが、セシリアの中に同時に去来した。
「その点お前は呪力量もそれなりで、名もあまり知られておらん。何より目立たん。不要に誰それを刺激することもなかろう。見習いのちょっとした任務としか見えぬよ」
事実「ちょっとした任務」であることだしな。アリアンローザは平坦な声で言った。
まぁ、実を言えば都合の悪い話でもなかった。この一件に関わった二人――ジーンとフィユとはもう一度会うつもりでいたからだ。
「詳しい指令は追って連絡する。〈杖〉の座を通して施設や資金はこちらから融通しよう」
「了解しました、師匠」
「ついでに修行として迷宮に潜ってこい。価値操作に頼らん戦闘を心がけてな」
「う……はい」
「最後に」
アリアンローザは一息置いた。
「〈星見の塔〉では姉と呼ぶこと」
「……はい、お姉様」
「うむ。下がってよし」
……今の、渾身の冗句だったんだろうなあ。
セシリアは、それは言わずに一礼して、部屋を退出した。
「――しかし、藪をつついて蛇を出すとはな」
去り際、そんなつぶやきが彼女の耳に届いた。
最終更新:2016年11月22日 00:08