www.pbh.med.kyoto-u.ac.jp/html/dep2c.html
京都大学中山健夫 教授
Takeo Nakayama, M.D., Ph.D.
Professor
「健康情報学」とは?
情報(information)とは、
1)不確定さ(uncertainty)を減ずるもの (シャノン) であり、また
2)私たちを変えるもの (ベイトソン) です。
本分野は、健康・医療に関する問題解決を支援する情報のあり方を追求し、
情報を「つくる・伝える・使う」の視点で捉え、より高いレベルの健康、 Quality of Life
を実現する環境整備を目指して、
研究・実践に取り組んでいます。
その対象は、医療者だけではなく、患者・介護者・支援者などの医療消費者全般を含み、また個人から社会レベルの意思決定の支援を想定しています。
従来の公衆衛生や臨床の枠組みにこだわらず、健康や医療に関わる情報を横断的に扱い、
Evidence-based Healthcare、情報リテラシー、e-ヘルス、マスメディアによる
健康・医療情報、個人情報保護やアカウンタビリティの情報倫理などの教育・研究を進めています。
研究・教育について
www.med.kyoto-u.ac.jp/J/grad_school/introduction/3107/
大学院講義課目
前期:
・疫学
本専攻の必修科目として、疫学の原理と方法論、研究デザイン、倫理的配慮などについて系統的講義を行います。
・文献検索・評価法
…疫学・EBMの知識を活用して各種の健康・医療情報を適切に吟味し、利用する方法を学びます。PubMed,
医学中央雑誌などの代表的な医学データベースを活用して検索技術の習得を支援します。
後期:
・臨床医学概論
…公衆衛生・医療に関わる者として知っておく必要のある臨床医学の問題について概説します。臨床系教室の協力を得て、先端医療の現状についての講義と討論、病院見学なども組み込まれています。
・健康情報学
…
健康・医療情報、データや知識の収集、蓄積、伝達、検索、評価法について講義します。情報リテラシー、情報流通、個人情報保護問題などの情報倫理の問題を取り扱います。* 上記のほか、Master
of Clinical Research (MCR)コースの講義を担当しています。
研究活動
情報・エビデンスを「つくる」「伝える」「使う」の視点から様々な研究に取り組んでいます。
・ つくる…疫学研究(ゲノム・アプローチをを含む)、アウトカムスタディ、インフォームド・コンセントや個人情報保護などの情報倫理、学術情報評価
・
伝える…システマティック・レビュー、診療ガイドライン、医療情報データベース構築、意思決定支援ツールの開発、ヘルス・コミュニケーション
・ 使う…インターネットやマスメディアによる健康・医療情報リテラシー、shared decision
makingの研究
これらはいずれも社会的な要請・期待が近年高まりつつある領域であり、公的な研究として支援、推進されている課題も多くあります。本分野はこれらの課題に柔軟かつ積極的に取り組んでいきたいと考えています。
近年は上記に加え、京都大学大学院医学研究科と滋賀県長浜市が連携して取り組んでいる『0次予防健康づくり推進事業』という長期的な疫学研究(コホート研究)の事務局としてゲノムコホートの立ち上げや運営にあたっており、栄養疫学的手法を用いて遺伝子多型と食生活が生活習慣病発症に及ぼす相互作用(Gene-Environment
Interaction)に関するゲノム疫学研究や、ゲノム情報を健康情報の一部として取り入れていく際に生じうる様々な意識や行動の変化などを検討するゲノムリテラシーに関する研究についても力を注いでいこうとしています。
これらの領域に興味のある方からのコンタクトを特に歓迎します。
健康管理学講座 健康情報学分野
教 授 : 中山 健夫
講 師 : 宮木 幸一
TEL : 075-753-9477
FAX : 075-753-9478
e-mail : nakayamapbh.med.kyoto-u.ac.jp
URL : http://www.healthim.umin.jp/
www.lifescience.jp/ebm/opinion/200503/index.html
――EBM (evidence-based medicine)という言葉は,数年前までは医師にもあまりなじみのない言葉でしたが,最近では新聞でも取り上げられるようになり,一般市民にとっても 身近な言葉となりつつあります。言葉としてはたいへん流布されているEBMですが,その概念は臨床医の間で正しく理解されているのでしょうか。
たくさんの方々が「EBM」と「エビデンス」を同一のものと誤解しているように思います。Sackett DらによるEBMの定義とは,「・医師の専門性や経験,熟練,・患者の価値観,・科学的根拠(いわゆるエビデンス)の三つをバランスよく統合し,よりよい 意志決定のもとに行われる医療」とされています。このように,エビデンス自体はEBMの三つの要素のうちの一つにすぎません。しかし,現在の日本では,大 規模臨床試験さえ行えば「EBM」が確立し,臨床現場の意志決定までもが決まってしまうという短絡的な解釈がなされているような気がします。 EBMへの注目とともに,「レベル・オブ・エビデンス」という考え方も広く知られるようになりました。個々の研究としてもっともレベルの高い,すなわち妥 当性の高いエビデンスはランダム化比較試験(RCT)であり,その次が非ランダム化比較試験,そして観察的な疫学研究であるコホート試験やケースコント ロール研究とされています。さらにその下に症例集積があり,高いレベルのエビデンスに基づかない権威者の個人的見解(エキスパートオピニオン)は低いレベ ルのエビデンスとされました。RCTの上に,システマティックレビューや,メタアナリシスというデータ統合型研究をおく場合もあります。 しかし,このようなレベルを明確化したことで,「RCTでありさえすればよい」あるいは「RCTでなければならない」という新たな誤解が生まれました。と くに外科の領域ではRCTを行うこと自体が困難なケースが多いため,「外科ではEBMを行えない」とおっしゃる先生が多いように思われます。EBMの実践 のためには,それぞれの領域で得られる最良のエビデンスを利用すればよいわけで,RCTによるエビデンスがなければできない,というものではありません。高いレベルのエビデンスを作るには時間も費用もかかりますし,倫理的な制約もありますから,すべてのテーマに対してRCTを行うことは現実的ではありませ ん。また,エビデンスレベルとしてはRCTに比べて低いとされている観察研究の成果が,臨床現場で大いに役立つことも少なくありません。EBMへの注目と ともに,RCTへの関心が高まったのは喜ばしいことですが,この結果,「RCT至上主義」ともいえる風潮が一部に生まれてしまったことには注意が必要で しょう。極端にいえば,EBMが必ずしも適切に理解されていない現状では,製薬メーカーが大規模なRCTを行えば,医療をコントロールできてしまう可能性 もあるわけです。たしかにレベルの高いエビデンスはEBMの大きな要素ですが,医師の経験や患者の価値観とのバランスをとることの重要性を考え直す必要が あるのではないかと思います。 |
――その点ではエビデンスを吟味し,診療の指針を示すうえで,ガイドラインの果たす役割は大きいと思います。ここ数年,日本でも多くの領域でガイドラインが作 られ始めました。その多くはEBM云々という枕詞がついています。中山先生はいろいろなガイドライン作成に関わられていますが,そのような動きをどう評価 をされていますか。 |
1999年に厚生省(現厚生労働省)がガイドラインムーブメントを開始させたのですが,この5年間で日本のガイドラインはかなりよくなったと思います。 ガイドラインや指針は,1999年以前にも作られていました。たとえば,日本動脈硬化学会によって高脂血症の診断基準がコレステロール値220mg/mL 以上と定められたのは,1987年のことです。しかし,そのときに引用された文献は,少数の恣意的に選ばれた文献だけでした。最近のガイドラインでは数百 報の文献が引用されることが多いですので,以前のガイドラインは限られた文献に基づいた,エキスパートオピニオン色の強いものだったといえるでしょう。 しかし1999年を皮切りに,ガイドライン作成者にとって都合のよい論文だけではなく,多くの文献を参照した結果から治療法の善し悪しを判断するという, システマティックレビューに準ずる方法が少しずつ導入されるようになりました。最初はたいへんなとまどいがあったようです。というのは,それまでの日本の 臨床研究は少数の患者を対象にしたものが主流であり,人間の集団を対象とする疫学的な研究の意義が十分に理解されていませんでした。多くの臨床医は,多数 の症例を系統的に観察したり,介入するような研究の方法論を学ぶ機会がありませんでした。2000年前後は,研究デザインについても十分区別されず,文献 検索の系統的な手法もわからないなかでガイドラインが作られていた部分もありました。これに比べると,最近のガイドラインは格段によくなってきたと思いま す。 |
――一時代前の,経験豊富な臨床医の分担執筆で構成されているガイドラインは,ガイドラインを執筆しながら,収集した文献を引用していくという方法で作られていたと思います。これはいわゆる教科書に類似しているとも思われますが。 |
教科書は医学を学ぶために作られるもので,臨床現場での問題解決には必ずしも直結しない,解剖学,病態生理学,または記述的な疫学の知識,疾病単位(disease entity),疾病相互の関係など医師の専門的知識の枠組み,バックボーンを形成するのに不可欠の知識体系を示すものです。それゆえ,教科書は編集者・執筆者の意図がかなり強く反映されるものともなり,それがそれぞれの教科書の魅力となります。 それに対して,EBMの手法に基づくガイドラインとは,臨床現場で向き合う特定の問題に対して,できる限り客観的なエビデンスに基づいて,一定の方向性 (推奨)を示し,現場の判断を支援することを目指すものです。そのためにはガイドラインの作成は,一定の明示的な手順を踏むことが重要です。ガイドライン を作成するテーマを設定したら,その問題の関係者を集めて作成グループを作ります。日本では学会の主導でガイドライン作成が進められることが多く,学会関 係者というある意味では「仲間」,悪くいえば「内輪」で作業が進められますが,欧米ではstakeholders(利害関係者)を広く集め,さまざまな意 見対立の中から合意を形成するプロセスが重視されています。日本でも今後はガイドライン作成,とくに医療の領域でも社会性の高いテーマについては,このよ うな取り組みが重要になってくるでしょう。 ガイドラインの内容の問題としては,文献検索を行う前に臨床現場の疑問であるClinical Questionを明示することが大きなポイントです。Clinical Questionに対応する文献をシステマティックレビューに準じた方法で検索し,これらを評価した後に,「どうすることが一般的には望ましいか」を示す 推奨(recommendation)を示すことがガイドライン作成の基本です。 |
―― 最近,医療裁判が頻繁に行われるようになったことを背景に,ガイドラインの強制力についての議論が活発になってきました。「ガイドラインはエビデンスに基 づくものであるから,従わなければならない」という考え方と,「ガイドラインに従うかどうかは医師の判断に任せるべき」という2つの考え方が対立していま す。この点についてはいかがですか。 |
ガイドラインは個々のエ ビデンスを集約した二次的なエビデンスの一つです。つまり,治療の意思決定を行うための三つの要素のうちの一つにすぎません。しかし,きちんと作られたガ イドラインは,個々のエビデンスに比べて,一般的にはより高い信頼度を期待されるものです。過剰な期待や極端な矮小化をしない,バランス感覚が必要です。 つまり,使われすぎても,使われなさすぎてもいけないのです。 国際疫学会による"Dictionary of Epidemiology"によると,強制力はdirective,recommendation,guidelineの順に強く,recommendationとguidelineはほぼ同義とされています。個人情報保護問題においては,directiveの上にさらに regulationを定めています。regulationとdirectiveはこれに従わないと,なんらかのペナルティーを受けます。これに対し, recommendationとguidelineは従わないことよる直接のペナルティーはありません。ですから,本来ガイドラインはけっして強制力のあ るものではないのです。日本におけるガイドラインには,欧米のguidelineよりも強い強制力をもつイメージがあり,「指針」と翻訳されるとまるで政 府からの通達のように感じてしまいます。日本における一部のガイドラインや指針が,そのようなものとして使われていることも確かですが,少なくとも今ここ でお話している「診療ガイドライン」に関しては,このような誤解をなくしていく努力が必要だと思います。 3年ほど前に行ったプライマリケア医の意識調査では,「ガイドラインは医師の裁量を拘束すると思うか」という質問に対し,「思う」と答えた先生は約 10%,「わからない」と答えた先生は約40%でした。ですから,広くいえば約50%の先生方はガイドラインが医師の裁量を拘束することに心配を抱いてい るのだろうと思います。本来ならば,ガイドラインに沿わない治療を行うときでも,「あなたの症状はガイドラインで扱われる一般的なものとは違うためです」 と説明すれば,医師の裁量は残されるはずなのです。共同研究者で法律家の稲葉一人先生が指摘されていますが,医療者と患者の齟齬を減らしていくためには, ガイドラインが医療者と患者のコミュニケーションの基点,結節点として利用されていくこと(ガイドラインの示す一般的な推奨を遵守するにせよ,それとは違 う治療を行うにせよ)が望まれます。 今後も,実際にガイドラインはどのように使われていて,どのようなことが懸念されているのかということを引き続きモニタリングし,ガイドラインが適切に利用される仕組みを作っていきたいと思います。 |
――ガイドラインを作る側の先生方は,日ごろの診療でどのようにガイドラインを使って欲しいと思われているのですか。 |
最近,ガイドラインの作成を担当されている,ある臨床医にお会いしたとき,私は「きちんとした手順を踏んで作られたガイドラインは臨床現場で大いに役に立 つものになるでしょう。しかしガイドラインはけっして金科玉条ではなく,どれほどきちんと作られていても,それぞれの臨床の状況によっては,ガイドライン に沿わない場合や,書かれていない治療を行う場合も当然ありえるものです」とお話ししました。するとその先生は,「ほっとしました」とおっしゃっていまし た。「バイブルを作らなければならない」という気持ちで作成にあたられている先生もいるのです。 ガイドラインは「指針」と翻訳されます。「指針」という日本語には,すでにお話したように,政府通達のように拘束力をもつものとしてのイメージがついてま わるかもしれません。イギリスのガイドラインには,「ガイドラインは主治医の判断に代わるものではない」ということがきちんと書かれています。日本でもこ のようなガイドラインの定義を伝えていく努力が必要だと思います。 また,ガイドラインはすべての患者をカバーするものではないことを認識しておくことも重要です。ガイドラインに従った治療が当てはまる患者は,治療を行っ た患者の60~95%であると報告されたことがあります。そこでは95%以上の患者に適応される治療を「スタンダード」と呼んで「ガイドライン」と区別し ています。日本ではガイドラインで述べられた治療法が「標準治療」と呼ばれることもありますが,ガイドラインとスタンダード(標準)を混乱しては危険で す。この論文が米国で発表されたのは15年も前のことです。日本でもこのような理解をするべきだと思います。 |
――プライマリケアの先生にとって,従来の治療を最新の治療に切り替えることは,非常に勇気のいることだと思います。ガイドラインは治療法の交替を後押しすることができるのでしょうか。 |
自分の知っている情報を更新し,診療を発展させていくことは医療関係者の義務ともいえることですが,新しい情報をどのように解釈し,治療に反映させるかを 判断するのは容易なことではありません。ですから,専門家による解釈が有用になります。ガイドラインで示される推奨は,エビデンスのレベルと専門家の意見 をもとにした推奨度(グレード)がつけられており,これは現場の判断を支援してくれるものになると思います。ただし,推奨度は本来,エビデンス・レベルだ けで決められるものではなく,エビデンスの質やコストや副作用も考慮して総合的に判定されるものです。 最近はたとえRCTであっても,試験自体を無条件に信じてよい時代ではなくなりました。エビデンスのレベルは高くても,そのエビデンス自体の質を問わなけ ればいけません。最近のRCTは実施プロセスや報告様式に,スポンサーの意向が強く反映している場合も少なくありません。そのようなエビデンスを参照して 作られる推奨ですから,それがどの程度信頼できるのか慎重に読み取ろうとする目をプライマリケア医ももっていなければならないと思います。 このようなことから,海外ではガイドラインで推奨を示すことに異議を唱えるグループも多いのです。イギリスのBMJ(British Medical Journal )から出されている"Clinical Evidence"(http://www.clinicalevidence.com/ceweb/conditions/index.jsp)では, 'we supply the evidence, you make the decisions.'とされ,判断は個人に任されています。ただ,先ほどお話ししたように,エビデンスだけでは判断に迷う場合があるのです。ですから, 今後プライマリケア医は,ガイドラインの推奨を無批判に受け入れるのではなく,エビデンスとなった研究自体をある程度把握して,注意しつつ参照することが 望まれると思います。 |
――ガイドラインの推奨度は,単純にエビデンスレベルに応じて決めらるのではないとおっしゃいましたが,実際はどのように決められているのですか。 |
これまで,推奨度はA(強く勧める根拠がある),B(勧める根拠がある),C(勧める根拠がない),D(勧めない)のカテゴリー分けによる判定方法が広く 知られていました。推奨度Aはレベルの高いエビデンスが必要とされています。コホート研究では有効であった治療でも,その後行われたRCTでは有効性が認 められなかったことが,1970年代から1980年代にはよくあったのです。ですから,推奨度Aとされた治療法は,その有効性を支持する複数のRCTがあ ることが必要でした。 ただ,誤解を避けるためにお伝えしたいのは,高いレベルのエビデンスがなくても行わなければならないことも少なくないということです。たとえば,心肺蘇 生術はRCTによる支持があるわけではありません。また,風邪をひいた患者に「消化のよいものを食べなさい」と指導することも同じです。これらは極端かも しれませんが,現実に行われている医療行為は高いレベルのエビデンスがない場合もあるということを改めて認識しておく必要があると思います。 「勧めるだけの根拠がない」とされた推奨度Cの治療法を「エビデンスがないから有効ではない」→「だから行うべきではない」と解釈すると,現場が機能し なくなる危険がないとはいえません。この点に関して,白内障のガイドラインをめぐる混乱は,いろいろと教訓的であったと感じています。このガイドラインで は,点眼薬による治療には高いレベルのエビデンスがなかったことから,推奨度はCとされました。それによって,「臨床根拠のない医療が日本では行われてい る」「日本の医療はおかしい」というステレオタイプの医療批判に陥りました。そのような展開の結果,患者と現場の医師たちの関係はどのような影響を受ける でしょうか。診療ガイドラインの目的は,「医療者と患者,その介護者の意思決定の支援」であることに立ち戻れば,患者と医師の信頼関係を損なわないよう軟 着陸させる仕組みを作った上で,その治療が必要かどうかを整理していくことが望まれるといえるでしょう。 脳卒中治療ガイドライン2004を作られた先生方は,このような問題を危惧されていたのだと思います。このガイドラインでは,グレード(推奨度)Cが二 つに分けられています。グレードC1は,「行うことを考慮しても良いが,十分な科学的根拠がない」,グレードC2は「科学的根拠がないので,勧められな い」と定義されています。 ガイドラインの脳出血の項目には,66個の推奨がありますが,そのうちグレードC1とされたのは実に42個でした。これは約64%に当たります。臨床の現場とは,このようなものなのです。 |
――一般的に,患者はエビデンスが確立している治療を受けていると思いこんでいる部分があります。実際にはグレードC1のように,グレーゾーンのなかで行わなければならない治療もあるわけですね。 |
そうです。たしかに治療を受ける患者がグレードC1の治療に対して不安を抱いてしまうのはもっともです。しかし,医師は目の前の患者に対して向き合わなけ ればならない。現段階では,エビデンスのない治療を行うべきかどうかの判断は医師に任されていますが,今後は患者や社会の中で議論することが必要とされて ゆくと思います。カナダのタスクフォースは,エビデンスが明確でない場合の意思決定のために,「患者の意向を尊重する,害を最小化する,過剰なラベリング を避ける」といった留意点を明示しています。患者の意向とは,"shared decision making"という考え方で,「患者と医師が情報と責任を共有した意思決定を行うこと」と私は解釈しています。 そのためには患者向けのガイドラインが作成されることも重要です。喘息ガイドラインは,患者団体がその作成に関わったケースで,私も協力させていただいて います。当初,日本医療機能評価機構から発案された医療情報サービス(Minds)のウェブサイト(http: //minds.jcqhc.or.jp/to/index.aspx)で公開するために作成していたのですが,ちょうど同じ時期に喘息ガイドラインの作 成班で患者向けガイドラインの作成が計画され,この素案が採用されることになりました。まだ患者さんの疑問を系統的に取り入れることは実現されていないの ですが,今後はClinical Questionではなく,Patient Questionを軸に構成していく必要があるのではないかと思っています。 また,Patient Questionは,患者向けのガイドラインだけではなく医師向けのガイドラインにも必要な要素だと思います。患者が面と向かっては聞けないことはたくさ んあるでしょう。これは医師の側の配慮が必要ですが,患者が知りたがっていることに気づかずにいる場合もあるはずです。ですから,そういった意味でもPatient Questionを系統的に把握するシステムが必要だと思います。 英国では,医師向けの"Clinical Evidence"を患者向けに書き直した,"Best Treatment"というウェブサイト(http://www.besttreatments.co.uk/btuk/home.html)がインター ネット上で公開されています。この総論では医療情報を読む際の基本である「リスク」の考え方について「リスクとは何か?」というアニメーションを用いてわ かりやすく説明されています。また,relative risk reductionとabsolute risk reductionの違いについても解説され,「あなたが病院で告げられたリスクはどちらであるのか,医師へ確認しましょう」と解説しているのです。 このように,患者からのアプローチの方法も伝えていかないと,"shared decision making"とは形だけのものになってしまう危険性が高いと思います。 |
――"shared decision making"を実践するには,患者に治療のリスクやグレーゾーンを理解してもらうための努力が必要なのですね。 |
そうですね。理想的には,治療の有効性や副作用に関するネガティブな情報も理解した上で,患者が納得のできる治療を行う必要があると思います。 一般の方は「有効な治療」という言葉に過剰な期待をもってしまいます。しかし,たとえば「以前に比べると2倍有効な治療」とされていても,以前の治療が 10%の患者にしか有効でなければ,新しい治療が有効なのは20%の患者であるわけです。ですから,残りの80%の患者に対しては有効でないことをきちん と伝えるべきだと思います。ただ,それを臨床の場でのコミュニケーションだけに求めるのは酷かもしれません。病気という特別な状況になってからではなく, 健康なうちから,一般の方々がこのような医療情報のとらえ方を学ぶ機会を増やしていく必要もあるでしょう。 また,有効性に関しては臨床試験のデータを用いて説明できるのですが,副作用に対しては,臨床試験のデータだけで明らかになるものではありません。市販後 の臨床研究,とくに多施設による症例集積の共同プロジェクトなどが大きな意味をもつでしょう。今後,そのような体制整備も進めていく必要があると思いま す。 患者は,有効性の情報以上に副作用について知りたいと思っている場合も少なくありません。今すぐ理想的な形では難しいですが,ある程度の納得を得たうえで 治療を始めることが必要になるでしょう。ただ,とくに外科の領域ではネガティブな情報を公開することは勇気のいることだと思います。今は医療に対する社会 の目が過度といってもよいほど厳しい状況です。ですから,まずは各領域でリーダーシップをとっているような施設が共同で情報を公開し,少しずつ社会の理解 を得ていく必要があると思います。 |
――医師向けのガイドラインがインターネットなどで公開されることに対してはどう思われますか。 |
それはよいことだと思います。プラス,マイナスの両面があるかもしれませんが,その流れは止められないでしょう。ですから,今後はそういうものだと思って 準備しなければいけない。ガイドラインが偏った医療訴訟の道具にされるという,最悪のシナリオもありえないことはないでしょう。ガイドラインを作成する際 には,「医師の臨床の判断に代わるものではない」ということや,「強制力があるものではない」ということを徹底して記載し続ける必要があります。
また,なによりも医療にも限界があり,そのなかで知識と経験を生かしてよりよい治療を行っているのだということを,患者や社会に誠実に伝えていくことが大切であると思います。