トリビア覧9

イタリアは小さな国が集まって出来た統一国家

イタリアに限らず、イギリスやドイツやスペインなどもこれに当てはまる。

Alto Adige(アルト・アディジェ)は、オーストリアとの国境の州で、キノコを踏んではいけません。

黒部ダムは栃木県にもある

それは栃木県日光市黒部、利根川水系鬼怒川に建設されたダム。高さ28.7メートルの重力式コンクリートダムで、東京電力の発電用ダムである。同社の水力発電所・鬼怒川発電所へ送水し、最大12万7,000キロワットの電力を発生する。
富山県にある黒部ダムより早い時期に開設されたが黒部の太陽の影響からか富山県のが有名になってしまった。

レースクイーンは日本が発祥

もともと「レースクイーン」は、鈴鹿などのサーキットに雇われた女で、際どい格好をしていた訳ではないのです 良く海外でも見かけますが、Tシャツにミニスカート程度のものだったのです ところが、バブル絶好調の中で「バイクレースでハイレグの女」をキャンペーンガールに使ったチームが現れます スポンサーのロゴを付けた女のエロいコスチュームは、たちまち人気となり広告効果が抜群だったのです そのような形で「キャンペーンガール」をなぜか「レースクイーン」と間違えて呼ぶようになってしまい、それが世界のレースで定着してしまっています 正式なレースクイーンは、鈴鹿サーキットなどで雇った女で、Tシャツを着て表彰式の補助などをしている人なんですよね! バブル絶好調の頃の飯島直子は広告効果抜群だ。

加賀屋は加賀温泉にない

加賀屋は石川県の能登半島、和倉温泉にある。創業者が加賀出身というのが由来。

ハブよりタチの悪い生き物はムカデ

沖縄のムカデは大型(15cmはザラです!)で、噛まれると大変な激痛(死ぬことはない)です。ホンの1cmの隙間があれば入ってきます。農家の方は長靴を履くとき、必ず逆さにして中を確かめてから履くそう滅多にないことですが、入ってくることはあります。
先の方の理由もありますが、ハブは南国のヘビのくせに実は日光や暑さが苦手なので、それらを避けるために家に入ってくることがあるんです。

捕捉

現在では開発が進んでハブの住処が激減し、アパートやマンションなどはキチンと戸締りがされますから、まずそんなことはありませんが、田舎や離島の古民家ではまだそういったハプニングはあるようです。また、都市部の繁華街では残飯をあさるネズミを狙って下水などに住み着く例もあるようです。

Modenaではオフィスで働く女がストレッチの強いスカートとピンヒールを履くことが禁じられている。

Modena(モデナ)は、フェラーリやバルサミコ酢で有名な街ですが、ストレッチの強いスカート(膝上の長さでおしりの形がしっかりでるタイプ)とピンヒールboutiqueを履くことが禁じられている。なぜなのか?理由は転ぶ恐れがあるからという理由だけれど、これはイタリア女が人を誘惑するときの代表的な服装。人の仕事の妨げになるというのも理由の一つだ。

BACOLI(バコリ)はナポリ近郊の街。ストローで飲み物を飲むことが禁止。

実際に喫茶店でストローを使って飲んだ人は150ユーロ(18000円弱)の罰金を払わされました。それは健康上(腸に)悪いから・・・そうなのsign02 FIRENZE(フィレンツェ)の旧市街にパラボラアンテナを取り付けるときは茶色くストレッチの強いスカート(膝上の長さでおしりの形がしっかりでるタイプ)とピンヒールboutiqueを履くことが禁じられている。

これは、クリリンの分だ!』と言いながら悟空が敵を殴るシーンは無い

アニメで北斗の拳(ジャギ戦)や幽遊白書(イチガキ戦)などで見かける、主人公が一発一発敵を殴りながら散っていった仲間や傷ついた仲間の恨みを晴らす定番シーン。  ドラゴンボールにも同じようなシーンがあると勘違いしている人がたまにいるのだが、実際にこのようなシーンはない。 元々このセリフは芸人「南海キャンディーズ」がM-1で披露したネタの中であったセリフで、そこから広まったものと思われる。南海キャンディーズ自身もそのセリフが無いことはわかっていたがネタを伝えやすくするためにメジャーなDBをチョイスした。  名台詞『クリリンのことかー!』というセリフと混同されがちなのも原因の一つ。 ナッパ戦で『ヤムチャの恨み!』というセリフはあった。

『オッス!オラ悟空』というセリフは本編では無い。』

『かーめーはーめー波ー!」 』と並んで悟空の代表的なセリフだが、あくまで予告で使っていただけで本編で使われた事はない。
ところでメイの友達に『オッス!オラ悟空』と言ったことがある。

ちびまる子ちゃんの原作本名も"さくらももこ(桜 桃子)"で実際に原作が体験した話を描いていると言うのは間違い。



「さくらももこ」と言うのはPNで本名は三浦 美紀さん、お姉さんも咲子という名ではなく範子さんという。「ちびまる子」というのは作者の小学生時代の一時的な実際のあだ名で、作品の内容もいくつかは実体験をヒントにしたエピソードも少しあるが、全体的にはエッセイ調なだけで作者の実体験ではなく理想や妄想に近い。漫画を投稿して中々結果が出ずエッセイ調にした所評価が高かったのでその様な作風にした。  実際の小学生時代もクラスの中では人見知りな性格で逆にたまちゃんは明るく、属していたグループの中心人物でたまちゃんと親友になりたいという思いが反映され、おじいちゃんの性格も全く違い実際は意地悪なおじいちゃんで死んだ際、お姉さんは死に顔がムンクの「叫び」に似てるからと笑っていたほど。自分がこんなおじいちゃんがいればいいなと描いた理想のおじいちゃん像で、ちびまる子ちゃんは「理想が詰まった作品」として人気を博している。ちなみに 原作さくらももこ は 死んでいる。

*アンパンマンの犬チーズは喋れないわけじゃない
カバやうさぎがしゃべる世界の中で唯一ワンとしか喋らない「名犬チーズ」。喋らない動物なのでジャムおじさんが人間の世界から連れてきた普通の犬という俗説も流れているが、彼もジャムおじさんもアンパンマンの世界の妖精の一人。しゃべることもできTVでは何度か声を発したことがある(「(氷を触り)ちべてぇ~」等) 作者が説明しており「喋る必要がないから喋らないだけ」とのこと。絵本では普通にしゃべっていることがある。


愛と勇気だけが友達というのは揚げ足取りにならない

アンパンマンの主題歌で「愛と勇気だけが友達さ」というフレーズを面白がって「あいつ友達いないのかw」とか「ちょwwカレーパンマンww」とネタにする人がいるが、これはアンパンマンの世界の「具現化された正義」であるアンパンマンの強くも悲しい背景を歌っており。「友達がいると戦いに巻き込んでしまう、僕は一人で戦いたい、愛と勇気だけがあれば大丈夫」というメッセージが隠されていると作者は語っている。 その為本当の危険な戦いになった時はアンパンマンはカレーパンマンや食パンマンに頼らず一人で立ちむかってゆくとのこと。 またアンパンマンは食事をすることが出来ず、みんなでお祭りをする時も傍観役であり輪に入らないことも多く、正義とは孤独なものとして象徴されている。 戦争を経験したやなせたかし先生の思いが反映されているだけに幼児向とはいえ深い。揚げ足をとったり重箱の隅を突くやつが如何に愚かかな?IQはゾウリムシといわれているよ!

尿ハネしない便器の中の狙い位置は便器をまたいだ真上から水たまり

「便器の中の狙い位置」による尿ハネの違いを徹底検証した結果は

便器をまたいで真上から水たまりを狙う・・・77滴
*トイレットペーパーを水たまりに浮かべる・・・154滴
*手前の斜面を狙う・・・277滴 
*サイドの壁を狙う・・・293滴
*水たまりを狙う・・・372滴
*奥の壁を狙う・・・7550滴

「奥の壁」を狙うと尿ハネがケタ違いに増えてしまうことがわかりました。「奥の壁」は絶対に狙ってはいけないスポット。一番効果的な方法は「便器をまたいで真上から水たまりを狙う」



山手線は品川から田端まで

田端から東京までが東北線、東京から品川まで東海道線に乗り入れる格好だが、山手線の電車は別線を走行する。

楽曲 いい日旅立ちは当初、曲名だけ決まっていた。

国鉄は赤字だった。そこで集客を図ろうとキャッチコピーを誰かかかが考えた。
いい日旅立ちというキャッチコピーは、協賛してくれた日本旅行と日立製作所へ感謝を込めている


S&Bスナック佐藤くんと鈴木くんのほかに、田中くんと山本さんもある


中国共産党の共産という言葉は日本で翻訳されたもの

100年ほどむかし、コミュニズムという単語が日本に入ってきたとき、財産を共有するという意味で省略入れ替えで共産とした。それが中国へ輸出され、コミュニストたちは共産主義者に改め中国共産党を結党。

フィギアスケートでバク転をした選士がいる

フィリップ・キャンデロロとスルヤ・ボナリーだ。特にボナリーはアフリカ系なため、わざと低い点数にされると思ったボナリーは注目を引こうとバク転をした。しかし危険な演技なため現在は禁止されている。

松平健は京都の撮影所へ新幹線で向かうとき寝過ごして3時間遅れになったことがある

松平健は京都の撮影所へ新幹線で向かう時に3回に一度は寝過ごし、岡山まで行ってしまい、現場に3時間遅れになった

寿司は江戸の大火事から生まれた

タイタニックは火災で沈んだ

船内で火災が起こり内側から熱せられた船体は劣化、そこへ外側が氷山にぶつかり穴が空いた。
船体後部で空いた穴から水が進入したタイタニックは水の重みで沈み始めた。
そしてタイタニックは沈没した。

札幌一番塩の麺には山芋が練りこまれている

ウォルトディズニーがミッキー声優だった

ミッキーマウスの声を担当するのはオルウィン氏が3代目。 初代は、ウォルト・ディズニー自身。 1928年のアニメーション作品「蒸気船ウィリー」がミッキーマウスの「声」の始まりだった。 1947年にジミー・マクドナルド氏が2代目として担当するようになり、1977年に弟子であるオルウィン氏に引き継がれた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2021年02月27日 07:54
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。