玄関から聞こえたその声は、どこか母さんに似ていた。
「……まさか、もう来たのか?」
呟いて迎えに出て見ると、玄関のドアが開いており、人がいた。
母さんと同じ山吹色の短い髪、服装はジーンズを基本にした動きやすいもの。あと、結構背が高い。
「えと、どなたですか?」
半ば以上わかってはいたけど、一応聞いて見る。
「? あ、そっか、上の子は初めまして、だっけ。私は―――」
「お、叔母様……もういらっしゃったのですね」
予想的中。ツバメ叔母さんだった。
「おっと、綾歌じゃない。元気にしてたー?」
「は、はい。この通りですわ」
やほっ、と手を上げる叔母さんは、僕から見てもかなり活発な人と見えた。アオイがやや押され気味なのがいい証拠だ。
「っと、あなたが綾音ちゃんね? 私は
一之瀬 ツバメ、琴音姉さん……あなた達のお母さんの妹ね。初めまして」
「は、初めまして」
「ええ、よろしく。……早速だけど上がっていいかな? 立ってるの疲れちゃった」
「あ、はい。どうぞ」
リビングに叔母さんを通した後、僕達はそれぞれの近況について話していた。僕の方は事情が色々と複雑なこともあって、叔母さんは一つ聞く度に頷いたり、驚いたりと忙しく反応していた。ウスワイヤとかのことをある程度知ってるのは助かったけど。
アオイの入れてくれたお茶をすすりつつ、叔母さんが言う。
「……色々と大変だったみたいね」
「……はい。母さんはともかく、父さんは顔さえろくに知りませんから」
火波 綾斗……僕らの父親に当たる人の顔を、僕は知らない。僕が施設にいる間に、事故で死んでしまったらしい。僕がいなくなってから、事故に遭うまでずっと探してくれていたらしいから、優しい人だったとは思う。
(……でも。僕の中に、父さんの記憶はない)
悲しいけどそれが事実だ。アオイは知ってるらしいけど、父さんが死んでからいかせのごれに来るまでの6年間は、ツバメ叔母さんの世話になったってことで、写真とかはろくに持ってないんだそうだ。
「……えぇと、何て呼べばいい? スザク、でいいの?」
「……できればそうして下さい。綾音としての僕は、事実上もういませんから」
「………わかった。何か難しい理由があるみたいだし、これ以上は聞かない。そうするわ」
「ありがとうございます……」
切り替えが早いのは母さんに似てる。さすがに姉妹だ。
「叔母様、姉様、お茶のお代わりは?」
「あ、私はいいわ。お構いなく」
「僕ももういいよ」
「そうですか? わかりました、それでは片付けますわね」
いそいそと湯飲みをお盆に乗せ、台所に持っていくアオイ。少しして水の流れる音がし始めた。
ふと、言葉が零れる。
「……今更ですけど、アオイってマメですよね……」
「当然でしょ? 6年の間は私が育てたんだから」
ってことは、ツバメ叔母さんのおかげなのか。
そう思いかけた時、台所からアオイが戻って来た。
「何を仰いますの、叔母様。叔母様が家事も整理整頓も下手でしたから、わたくしが代わりにやっていたのでしょうに」
「あれ? そうなのか?」
「ええ。叔母様、ご自身の周りに無頓着過ぎですわ。服も本も投げっぱなし、料理はしても片付けが適当なこと……わたくしがフォローしなかったら、ゴミ屋敷でしたわよ」
「あ、あはは、それは言わない方向で、ね? 今はほら、ちゃんと自分でやってるから」
「世間ではそれが普通ですのよッ!!」
……叔母さん、アオイが来る前はどんな生活してたんだろう。
「ま、まあまあ……それより綾歌、じゃないアオイ」
「どちらでも結構ですわ。わたくしは姉様に合わせているだけですもの」
「じゃあアオイ、まだその喋り方直ってないの?」
「え?」
アオイの口調は確かに御淑やかと言うか、丁寧だけど……まさか、素じゃないのか?
僕のその疑問を読みとったかのように、叔母さんが言った。
「昔はこんなじゃなくて、年相応の喋り方だったの。それが、いつだったかうちに来たお客さんの真似し始めて……それからずーっとこうなの」
「お客さん?」
「そ。和服っていうか浴衣着た綺麗な人で……ええと、
シスイさんって言ったかな?」
「シスイ?」
――――多分、僕はその人を知ってる。旅行に行った時、初めてアオイと会った日にロビーで話した、あの人だ。
「いい加減もとに戻したら? 無理してない?」
「今はこれが普通ですの。直すも何もありませんわ」
「……はぁ」
ま、いいけどね。そう言って、叔母さんは肩をすくめた。
「……へぇ、幻想物語シリーズ読んでるんだ。集めるの大変だったでしょ?」
「かなり……」
冗談抜きで大変だった。最新シリーズが発売された時にはフライングゲットを狙って大手書店に飛び込んだんだけど、大勢来ていたファンと取り合いになって注意された。あれほど大変だったことって、なかなかない。
「……その様子だと、裏のギミックは知らないみたいね」
「知ってますよ、それくらい」
背景世界は共通。それくらい知っている。……が、叔母さんが口にしたのはそっちじゃなかった。
「それは基本よ、基本。どう共通なのかわかってないでしょ」
「……そういえば」
思わず呟くと、叔母さんはわざとらしくため息をついて、言った。指を一本立てて、
「そーね、第4シリーズは読んだ?」
「2巻までは読みましたけど」
アオイが所在なげにしていたけど、この際無視した。自業自得だ。
「そっかー……じゃ、一つヒント。これは、この順番で読むのが正しいから」
言うと、叔母さんはメモ帳に何やら書いて渡して来た。
「? 3巻→5巻→7巻→1巻→11巻→2巻→4巻→6巻→8巻→10巻→9巻……」
見事にバラバラだった。何の意味が?
聞いて見ると、叔母さんは悪戯っぽい目をして言った。
「これ、ギリシャ神話の知識を持ってて、ある程度想像力がないと真相には辿りつけないわよ」
「?」
「作家から微妙なヒントー。死んだ人は川を渡るの。その川は、命のロウソクが消えたら渡れないの。人でなくなってもダメね。川の向こうに大事な人がいても、絶対辿りつけない」
「ぁ……え、っ?」
「私だったらこう思う。その人が真っ当に死んだのなら、どこかの時代に生まれ変わってるかもしれない」
「は……?」
「最初に見たあれは何かの暗示だったのかも、ね」
……叔母さんの言ってる意味がさっぱりわからない。多分このシリーズの内容だと思うんだけど、未読の僕には理解できない。
そんな僕の後ろで、
「……はっ!? お、叔母様、もしやその意味は……!?」
「そ。気付いた?」
アオイがはっとしていた。彼女にはわかったみたいだ。……って、ちょっと待った。
「アオイ……意味がわかったってことは、さては勝手に読んだな!?」
「あ……!」
「……まったく。後で僕の部屋に来ること、いいな?」
「あぅぅ……」
「2巻を読んだなら、裏話しときましょうか」
「裏話?」
そういう叔母さんの目は、前にもましてキラキラしていた。どうも、この手の「裏話」をするのが好きらしい。
「い、いや、いいです。面白くなくなるし……」
「いいじゃないの、そんなこと言わずに」
「け、けど」
「これ、ほしくなーい?」
そう言って叔母さんがおもむろに取りだしたのは……「永遠を得た魔術師」と題された本。
「!! そ、それは、第1シリーズの、幻の第0巻ッ!?」
初期に発売されたもので、今は絶版となっている、正しく幻の一冊だった。
「話に付き合ってくれたら、これあげてもいいんだけど?」
「ありがたく聞かせていただきます」
後ろでアオイががくっ、となったのは気にしないでおく。
「で、わ……これ、最初の方に『箱舟信仰』って出て来るでしょ? あれがキモよ」
「? 別に普通じゃないですか?」
特別な物を信仰するのは別段珍しくはない。歴史を紐解けば、それなりの数が出て来る。だけど、叔母さんは言う。
「のーのー、違うわ。そーね、スザク。箱舟って何?」
「それは……洪水から逃れるための船、ですよね」
ノアの箱舟がまさにそれだ。
「そ。でもね、考えてみなさい。箱舟は洪水から逃れるためのもの。つまりは終末論の考え方よ。だけど、洪水は過去のものなの。それでどうやって箱船を信仰するの?」
「え? でも、何か記憶を弄られてたみたいだし」
「それなら、今ある宗教を使えばいいわ。わざわざ新しい架空の宗教を作る意味はなに?」
……考えてみればその通りだ。後になって知ったことだけど、僕がいた「施設」での精神改造も、今在る何かを元にしていたらしい。そのためだけに架空のなにかを造り出すのは、手間がかかる上に非合理的だ。
「では、どういうこと? 答えは簡単。箱舟信仰が実在してたのよ、ここでは」
「……?」
「つまり、箱舟による救いを説く背景があったってこと。箱舟で逃れるべきは、洪水。けど、洪水の伝承はあくまで過去のもの。でも、ね。もしそれが未来にあると、しかも確定しているとわかっていたら?」
「……ちょっと待った。それって」
「そ。『黒の預言書』が存在してるとすれば、納得がいくの。多分ここって、第1シリーズに出て来た教団ね」
確かにあれの結末は洪水による滅びだったけど……そんな
裏設定があったとは。
「……知らなかったなぁ」
「ま、これは普通に読んでたらまず気付かないタイプのギミックだし、気にする必要はないんじゃない? それに、何気に別のシリーズとも舞台を共有してたりするし」
それは一応知ってる。最近ハマりだした第5シリーズがそうだったはずだ。
そこまで話が進んだ所で、叔母さんがぱんっ、と手を叩いた。
「じゃ、お話はここでおしまい。はい、スザク」
「あ、ありがとう」
0巻を受け取ると、叔母さんは踵を返した。玄関まで二人でついていって、見送る。
「叔母さん、今日はありがとう」
「またいらしてくださいまし」
ところが、言われたツバメ叔母さんはきょとん、とした後こう言った。
「? あれ、これから一緒に出かけようと思ったんだけど」
「「え?」」
「せっかく揃ったんだもの、この街一緒に歩かない? 行き先はどこでもいいから、早く行きましょ、ほら」
何やらえらく楽しそうに急かす叔母さん。その様子を見て、アオイが頭を押さえる。
「……そういえばそうでしたわ。叔母様、思い立ったが吉日ですぐ動かれますから……」
つまり一緒に出かけようと言うのも、深い考えのない、今思いついた名案なんだろう。
「……結局どうするんだ、アオイ?」
「わたくしは遠慮しますわ。まだ部屋の掃除が終わっておりませんもの」
「そうか? 僕は行こうと思ったんだけど」
「あら、それならご一緒しますわ。叔母様のペースだと、姉様半日でバテてしまいますもの」
一瞬で意見が翻った。なんだこりゃ。
やや当惑する僕をよそに、叔母さんが「よっし!」と快哉を上げる。
「じゃ、3人でいかせのごれ探検にしゅっぱーつ!!」
―――本当に大丈夫なのか、ちょっと頭が痛くなって来た。
火波姉妹、作家に巻き込まれる
(待つは波乱か騒動か)
(いずれにせよ、姉妹はため息をついた)
「あ。言い忘れてたけど、私、今度からいかせのごれに住むから。今日は挨拶代わりね」
「……って、叔母さん!?」
「引っ越してきますの!? どこに?」
「んーと、いかせのごれ高校の近くね。いい物件があったのよー」
最終更新:2011年06月25日 23:04