アットウィキロゴ

ヤマアラシのジレンマ

「どうしよう、本当に勢いに任せて出ていったはいいけど…。」
サーカス当日。彼はそこまでの通り道に佇んでいた。
快晴の空に雲は一つも浮かんでいない。
しかし、彼の心はまだ濁ったままだった。

しわが入ったチケットは、先日「サーカスの団長」を名乗る男から貰ったものだ。
その時男は、彼をサーカスに入らないかと誘った。
そのことを主に話せば、主は微笑んで言ってくれた。
「よかったじゃない。必要とされてくれるほど、うれしいことはないよ。あとはソウト君次第だよ。」

彼は思い出した。先日の団長の姿を。
姿とは裏腹な人懐っこい笑顔に警戒心を解きそうになったが、彼は頭を振った。
「また…。また、命がけの演武だったら、どうしよう…。」
か細い声でそういう彼の脳裏には、また過去が回想されていた。

風を切る音が彼の耳に届いた。
嫌悪感に浸ってる彼は、音の正体を確認しようとは思わなかった。
彼の背後の「空間」に、すっと線が入る。
彼はその端を握り、羽織るように開いた。

線は具合の悪い色味を帯びた面に変わり、「別次元」に奥行きを作り出した。
彼に覆いかぶさった「空間」はすぐさまうごめき、無数の光沢を見せた。
それは、数え切れないほどの剣、刀、槍…。
刃を従える武器が飛び出し、外の世界に切っ先を向けた。

その姿、さながら「ヤマアラシ」。

彼は暫くその姿のまま膝をついていたが、はっと顔をあげ、「空間」の端を離した。
振り返ると、飛び出た槍の一本に体を貫かれた鴉が、声もあげずに力なく羽を落としていた。
「ぁ…。」
彼はその槍を取り刃を引き抜いたが、鴉は既にこと切れていた。

「また…。また『禁じ手』、つかっちゃった…。」
彼は泣きそうになった。
鴉を弔い、自らを蔑む涙を零しそうになった。
常に研ぎ澄まされた神経と子供らしからぬ強さ、そして「百物語組第三七話」の力。
重力に従い流れ続ける血を、彼はぼやける視界で見つめていた。

しかし、直ぐに彼は涙をぬぐった。
これからサーカスに行くのに、心配されたくなんてない。
彼は鴉を近くの地面に埋葬し両手を合わせると、踵を返して走り出した。
「今日は…、今日こそはあのテントの中に入ってやる…!」
鴉の血が彼の足に滑り込み、暫くの間赤黒い足跡をつくっていたことには気づかずに…。



追記
開場前。やはり彼はテント前で入るか否か考え込んでいた…。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年07月10日 18:50