「落ちついた、マナちゃん?」
「………」
白波家、ランカの部屋。ベッドに座り込んでココアを飲んでいたマナは、半ば恐慌状態で転がり込んで来た時に比べると静かに見えた。しかし、よく見れば手が微かに震え、瞳には色濃く不安を映している。
(………)
ランカにとっては、それだけで彼女を放っておくことが出来なかった。
「……
アズール、そこにいる?」
「はい、マスター」
「お風呂、見て来てくれない?」
「ん、わかりました、ちょっと待っとって下さい」
とたとたと廊下を走る音が遠ざかり、小さくドアを開ける音が響いた。
「……マナちゃん」
「………」
何か言いたかったわけではない。ただ、心配で。どうしても心配で、思わず呼んだだけ。
友達、だから。
「………ランカ」
「なあに?」
小さく、マナが呟いた。
「家族、って……脆い、ものなの」
「え?」
「私、が……私じゃ、ないから、なの?」
「マナちゃん……?」
意味の掴めない言葉に、思わず聞き返そうとした時、外からノックする音が聞こえた。
「マスター、沸いとりました…」
「あっ、ありがとうアズール。……」
少し考え、
「マナちゃん」
「……?」
隣に座る友達に、ランカは笑って言った。
「お風呂、一緒に入ろう?」
「♪~」
湯気の立ちこめる浴室で、椅子に座ったランカはことさら上機嫌に身体を洗う。少しでも友達の気分を紛らわせようというのもあるが、自身、風呂が大好きだということもある。つい最近まで入院生活をしていたからこそ、なお。
「♪~♪~♪~~……あれ?」
ふと背後をちらりと見ると、マナの動きが止まっていた。タオルを持ったまま、俯いて遠い目をしている。
これはいけないと、ランカは身体ごと振り返って手を伸ばす。
「マナちゃん、ちゃんと洗わなきゃダメだよ?」
「……それはわかって……ひゃっ!?」
言いかけた言葉が途中で切れた。石鹸のついたランカの手が、全身を丹念に洗い始めたからだ。
時々同じ所を行ったり来たりしているのはよく見えないせいだろうか?
「せっかく髪も身体も綺麗なんだから、しっかり洗って清潔にしとかないと」
「た、確かに、それは、そうだけど」
ほとんど密着状態で足の方に手を伸ばすランカ。それでも先の方までは届かず、「ん~!!」と顔を赤くしているのが見える。
「じ、自分でやるから」
「そう? じゃあ……」
やっと手が離れた。と、ほっと一息つく間もなく、
「うわぶっ!?」
頭から湯をかけられた。
「髪が無茶苦茶~!! もぉ、ちゃんと洗わなきゃダメだよぅ~!!」
怒っているのか呆れているのか楽しんでいるのかわからないランカの声と共に、頭が石鹸の泡ごとわしゃわしゃと引っかきまわされる。目をつむり、両手をくっつけた膝の上において待つしかなかった。
数分後。
「……はぁあ~、いい気持ち~」
「…………」
一頻り身体を洗い(もしくは洗われ)、浴槽につかるふたり。
思い切りのびのびとするランカとは対照的に、マナは肩下まで浸かったまま揺れる水面を見つめている。
そんな彼女を見たランカは、何気なく両手で湯をすくう。
「マナちゃん」
「……なに?」
手の中で揺れる小さな水面に、天井と照明、そしてランカ自身の顔がゆらゆらと映っている。
「……せっかくなんだから、肩まで浸かったら?」
「……うん」
言われるがまま、マナは身体を沈めた。
その後しばらく沈黙が続いたが、やがてマナの方からそれを破った。
「……さっきの声は?」
「? あ、そっか、マナちゃん知らないんだっけ。アズールっていうんだよ。妖怪なんだけど、私の家族なの」
「家族……」
「昔、小さい頃拾って来たんだ。お父さんは反対したけど、お母さんがね……」
そこからは、ランカがアズールを拾ってからのことをつぶさに話し、マナがそれを相槌を打ちながら聞く、という流れが続いた。時に嬉しそうに、時に悲しそうに語るランカの姿は、
(………あ、ぁ……)
今のマナにとっては、とても眩しかった。
風呂からあがった後、二人はまたランカの部屋に戻っていた。アズールは入れ替わりに風呂に行っている(いつもなら狐の姿でランカに洗ってもらうのだが、今日は一人だ)。
マナはランカのパジャマの予備を借りており、部屋の主はその色違いに着替えていた。
来た時と同じくベッドに座り込み、ふたり隣り合わせになる。
「………」
「………」
お互いに無言。マナは下を向いたまま、ランカはそんな彼女を穏やかに見つめる。
しばらくの間、目覚まし時計の秒針の音だけが、静かな部屋の中に響く。さして大きくもない、普段なら日々の喧騒にかき消されそうなその音が、今はやけに大きく聞こえる。
「……ねぇ、マナちゃん」
その音を遮るように、ランカが口を開いた。
「何が、あったの?」
核心に迫る、問いで。
「!! そ、れは…………」
問われたマナの表情が、さらに暗くなる。それでも何とか言葉を紡ごうと、思いきって顔を上げる。
と、
「!」
振り向いたその唇が、ランカの人差し指で止められていた。
「無理、しなくていいよ」
「……でも」
「無理に聞きたいとは思わないから。マナちゃんが話したくなったら、話して」
「…………」
ランカの言葉は、どこまでも優しかった。しかし、だからこそ、黙っているのはこの子に失礼なのではないか。
なぜか、そんな気がした。
だから、
「……ううん、言わせて」
「……わかった」
マナは、絞り出すように、その一件をぽつぽつと語り出した。
「……そう、だったんだ」
「………うん」
全てを―――突然呼び出されたこと、兄・詠人に「紛い物」と呼ばれ、命を狙われたこと、正人と
シスイ、ルナと名乗る少女によって救われたことを―――聞かされたランカは、ただ一言、そう言った。
返すマナも、また一言。
ランカは何も言わない。詠人を罵倒することも、シスイ達に感謝することも、マナを慰めることも。
ただ、
「……!」
優しく、それでいて強く、マナを抱きしめる。
「マナちゃん。私は、何もわからないよ」
「ランカ……?」
「詠人さんが何でそんな事を言ったのか、何でそんな事をしたのか、私にはわからない。マナちゃんの過去に何があったのか、私は知らない」
でもね、と。
「マナちゃんは、友達だよ。私は、友達が傷つくのも、死んじゃうのも、嫌だよ」
「友、達……私、が……?」
「うん」
もちろんだよ、と。一旦身体を離し、肩に手を置いて、正面から目を見つめる。
「マナちゃんは、今までみんなを守ってくれたよね。綾ちゃんに、アオイさんに、大さんに、私……」
もう一度、抱きしめる。
「だから、今度は私がマナちゃんを守る。私が、マナちゃんを守ってあげる」
「…………」
マナには、何と言っていいのか、わからなかった。色々な思いが胸の奥からこみ上げて来て、言葉に出来ない。
ただ、少しだけ身体を離し、顔を見つめる。
「………ランカ」
「ん、なあに?」
柔らかく微笑む、友達に囁く。
「……ちょっとだけ、今……泣いても、いい……?」
返答は抱擁だった。暖かさに包まれて、ランカの胸に縋りつくようにして、
「……ぅ……うぅ……うぁあ……あぁあああ……」
もう一度、泣いた。
指で髪を梳くように撫でながら、ランカが小さく口ずさむ。
「……ゆりかごの、歌を――――」
友達だから
(なくしたはずの暖かい眠り)
(久しぶりに見た夢は)
(幸せだった、あの頃の風景)
最終更新:2011年07月19日 22:12