「訪問」の予定を立ててから数日。いつものように学校にいた僕は、ちょっとした用事で事務室を訪れていた。
職員室と違って気楽に来られるのは、事務の先生の人柄かな。
いつもの如くノックをしようとして、
「失礼致しますっ!!」
えらい剣幕でずかずかと出て来たアオイと鉢合わせそうになった。
「うわ! あ、アオイ? どうしたんだ?」
しかし、アオイは僕に気付かずそのまま行ってしまった。ホントに、一体どうしたんだ?
「?? ……まあ、用事が先か」
とりあえず用件を片付けようと中に入ると、
「…………」
<…………>
呆然としている桐山先生と、確か
神江裏 灰音だったかな? いつものように笑みを浮かべているそいつがいた。
「な、何かあったんですか?」
「あ、それが……」
<別にどうもしない。ちょっと話していたら、向こうが勝手に怒って出て行っただけ>
灰音がそう答えた。けど、それだとよくわからない。
「話してたって……何を?」
<特には。見た事、聞いた事を話していたら、突然出て行った>
「……それ、本当か? あいつに嫌われるなんて、よっぽどだぞ」
<そうかもしれない。けど、よくわからない>
……そうだった。こいつはそう言う奴だった。
けど、アオイがあそこまで怒るなんて、本当に珍しい。一体、灰音の何が気に障ったんだ?
気になると言えば、灰音がいつも同じような表情で、何も感じさせない目をしていることくらいか。
―――待て。
(もしかして、アオイが気に食わなかったのはそこか?)
考え込んだ僕は、ここに何をしに来たのかをすっかり忘れていた。
(全く……何なんですの、あの方は)
その時のわたくしは、常にないほど腹を立てておりました。
理由は一つ。先ほど事務室で鉢合わせた、あの神江裏 灰音です。
いつも同じ顔。何も映さない瞳。わたくしは、ああいう人間がとにかく嫌いです。
何より気に食わないのは、その在り様。
(人間から「人間らしさ」を取ったら、きっとああなるのでしょうね)
自分を構成する何かを置き忘れたような、空っぽの存在。まるで、出会った頃の姉様のようでした。
けれど、姉様は良くも悪くも「自分らしさ」を持っておりました。それがどれほど歪んでいるにしても。
神江裏 灰音は違います。自分というものを持っていないかのような、生きているだけの人形とも言うべき虚ろな女。
(好き好んでああなっているとしたら、二度と関わりたくはありませんわね)
まあ、同じ学校にいる以上、そうも行かないのですけれど。ただ、気になるのは。
(姉様と似ておりますけど……)
昔の姉様は、「火波 綾音」という一つの人格が、強さを担当する「スザク」と弱さを担当する「綾音」の真っ二つに分かれていました。けれど神江裏 灰音は、まるで「自分」から「気に入らないもの」を取ってしまったかのような、「残骸」のようなイメージがありました。
けれどそれ以上に気になったのは、わたくしを怒らせた理由。
自分自身を憎み蔑むかのような、半瞬だけ見せたあの目。
あの目を見た瞬間、理由はよくわかりませんが、心底からの怒りにかられたのです。
(まあ、どうでもいいことですわね)
どうせ自分から関わる気はもうありませんから。
「おや? 珍しく荒れているね、蒼のラフレンツェ」
突然横合いから声をかけられて心臓が止まりそうになりましたが、横を向くとチェシャさんがいました。
ああ、驚いた。
「いやぁ、あまりに不機嫌な顔をしていたものだから、つい、ね」
「いえ、ちょっとどうかしておりましたわ」
「まあまあ。それより、何かあったのかい?」
「……あったというか、何というか」
「? まあ、話したくなければいいさ。深くは聞かないよ」
「では、それで。……そういえば、チェシャさん?」
「何かな?」
前々から気になっていたことが、一つ。
「チェシャさんのそのネーミング、何か由来でもありますの? 姉様の事は『赤きハムレット』と仰っていたような……」
「ああ、あれかい? さあ、何だと思う?」
―――結局まともな答えはもらえませんでした。何なのでしょう、あのネーミング。
火波姉妹と傍観者
(姉と傍観者)
(妹と傍観者)
(妹と猫)
(猫と傍観者)
「……主観が入り過ぎているような気がするよ、蒼のラフレンツェ。彼女は、君が思うより複雑だと思うんだけどね、僕は」
最終更新:2011年08月26日 14:03