3年のとあるクラスでの調理実習中。
コトムは食材を切りながら、考え事をしていた。
内容は、今日の献立、次の授業、今度の演目、悪戯の計画などなど、なんでもないようなことばかり。
つまりは、何も考えずぼーっとしていたと言い換えても過言ではない状態。
「っ…!」
そんな状態だったからか、不意に手に痛みを感じた。
見れば、左手の指から血がだらだらと流れている。
(しくったなぁ…)
丁度切っていた人参と共に、指を切ってしまったようだ。
切断されなくてよかった等と考えていたが、びっくりしたような大きな声にかき消された。
時は少しさかのぼる。
その時、同じクラスの佑はコトムの後ろで、レシピの紙を見ながら考え事をしていた。
内容は、先日後輩の男の子から言われた言葉。
『………ありますよ、“不思議な力”。……この世界にも』
(本当に、あるのかな)
大抵の人ならある筈がないと笑い飛ばす話だろう。現に彼女が相談した友達にも、笑いはしなかったもののそう言われた。
それをあると断言して、周りに言って回る人の大半は変な人であるし、その人達の言う事を信じているわけでは決してない。佑も流石に現実とフィクションの区別はつく。
しかし、それでもあの少年の、あの言葉が頭から離れないのだ。
「っ…!」
「ん?」
不意に、小さな悲鳴が聞こえた気がした。
その方向を見てみると、場違いな透き通る赤色が見えた。
コトムが、指から血を流しているのだ。
「ちょっと、大丈夫!?」
びっくりして、慌てて駆け寄る佑。
コトムは何食わぬ顔で手を引っ込めようとして、動きが止まった。
――怪我をした手でメモ帳を取り出せば、血に汚れてしまう。
行き場を無くしたその手を、佑が取る。
「うわ、パックリいっちゃ、て……?」
その赤に触れた瞬間、彼女の世界はぐるりと色を変えた。
何かが自分の中に溢れかえり、パンクを起こしそうな感覚。
「……え?」
思わずあたりをきょろきょろと見回した。何故だろう、わかる。
あの人は笑っているけど、面倒だと考えている。あの人は背中しか見えないけど、とても楽しそうだ。
他人の気持ちが、自分の気持ちのように感じる。人の感情が、波のように自分に押し寄せて渦を巻く。
「……?」
ハッと、不信感を感じて前を見る。
コトムは、とても困っている。わかる。苦笑いしているからと言うのもあるが、それ以上に押し寄せてくるのだ。濁流の中に混じって、コトムのその感情が。
「あ!ご、ごめん……!!」
裏返った声を上げながら、佑は握っていたそれを離した。
ぐるぐると回る世界が体になじんで、まるで自分が自分では無いようだった。
「コトム君、大丈夫?」
「……タカコ、せんせい」
この授業のお手伝いに来ていた、タカコ先生が心配して来たみたいだ。
そういえばコトムが怪我したんだと、何故か本来の目的を忘れてしまっていたようだ。
「コトム君は保健室に連れていくから、あなたは授業に戻ってて」
「あ、……はい」
そう言って去っていく二人。取り残された佑はその背中を眺めて、
――世界が切り替わる感覚と共に、鈍器で殴られたような頭痛が訪れた。
「っ、――!?」
あまりの痛みと違和感に、立っていられなくなった。
さっきまでの波は無く、代わりに気持ち悪さが押し寄せ、口を手で押さえる。
「――く、―――して――――!?」
ぐらぐらする意識の中で、友達の声が聞こえた気がした。
必死な声だったような気もしたが、さっきよりもわかり辛い。
何か言おうとか、そういうことよりももっと先に、あの少年の言葉がこだました。
『先輩も、出会います。…すぐ近くに、あるから』
「……不思議な、力」
それだけ言って、佑の意識は闇に沈んだ。
最終更新:2011年12月31日 02:32