結論から言えば、八十神千鶴は気味の悪い子供であった。
普通の人には見えないものが見える、たったそれだけの理由で気持ちが悪いと、周囲から忌み嫌われていた。
しかし、千鶴が生まれた時代は現代であったから、特別、住処を追われたり、燃やされたりなど、そういうことはされなかった。
『集団から除外される』
ただそれだけで済んだのだから自分は恵まれている。
そう、千鶴はいつも考えて気にかけてはいなかった。
彼女は学校が終わると、いつも自宅から近くにある小さな神社に行き、独りで遊んでいた。
忌み嫌われている存在であれば、当然の事であろう。
ここの神社は秋になると紅葉や銀杏がとても綺麗で、地面に敷き詰められる紅と黄色の絨毯が千鶴は好きだった。
散り落ちてくる紅葉に乗って、ヒラヒラと空中を舞い遊ぶ小さな妖精たちを見るのも好きだった。
また、哀しい気持ちになった時にここへ来ると、不思議なことにその傷が癒されたのだ。
だから、千鶴はこの場所がとても好きだった。
とても、とても好きだった。
ある日、千鶴がいつものように独りで神社で遊んでいた時の事であった。
その日は快晴にも関わらず、何故風がよく吹く日であった。
千鶴が地面に落ちている銀杏を掌いっぱいに拾い上げていると、突然、
一際大きな風が吹き、父親から借りたハンチング帽が飛ばされてしまった。
彼女は慌ててそれを追いかけた。
父がいつも仕事の時につけている大切な物だ、なくしてしまえば父に怒られるし、嫌われる。
だから、彼女は必死になって追いかけた。しかし、いくら小さな手を伸ばしても、
その帽子は空中で踊り続け、落ちてこようとしない。
届かなかったハンチング帽はしばらく空中遊泳を楽しんだ後、誰かの手に捕まった。
千鶴は立ち止まった。
大切な帽子は、千鶴の前に立っていた袴を着た男の手の中に納まっていたのであった。
千鶴は、男に話しかけた。
「・・・それ、ちづるのぱぱのなの。かえして。」
男は笑ったが、千鶴の願いとは反対に帽子を被った。
千鶴は、ぷく、と頬を膨らませて怒り、男に駆け寄って、足を蹴った。
足を蹴られた男は、あだ、と声を零し、苦笑しながら帽子を外す。
「ごめんごめん、これはお前さんに返すよ。」
男は千鶴の小さな頭にハンチング帽を乗せてあげたのであった。
彼は腕を振り裾の中に仕舞うと、しゃがんで千鶴と視線を合わせた。
普通の人とは違う、と千鶴はすぐに気付いた。
男は不思議な瞳をしていた。黒の中にオレンジの線が見えたかと思えば、
それが生き物のようにグルグルと回り、別の線とぶつかり合って、火花を散らす。
とても不思議な眼で、紅葉と銀杏が混ざったような色でとても綺麗だ、と千鶴は思った。
しばらくじーっと見つめていた千鶴に、男はまた苦笑した。
「よしたまえお嬢さん、そんなに見つめられると照れるじゃないか。」
「おじちゃん、ひとじゃないの?」
「おじちゃんじゃなくて、おにいさんって呼んで欲しいんだけどなぁ・・・いやしかし、よく分かったね。」
「だっておじちゃん、『ひと』じゃないきがするもん。」
幼い千鶴に『ヒト』と『そうでないもの』の境界線は分からなかったが、それでも千鶴にはこの男が『ヒト』ではないと分かった。
彼女は、男に問い掛けた。
「おじちゃんは、じんじゃのひと?」
「そう、神様だ。」
「かみさま?」
「そう、ヤエコトシロヌシっていうんだ。知ってる?」
「しらなぁい。」
千鶴の素直な問いに、自称ヤエコトシロヌシは残念そうにうなだれた。
しかし再び顔を上げると、今度はにこやかな顔をしながら千鶴に話しかけてきた。
「ところで、お嬢ちゃんの名前は?」
「ちづる、やそがみちづるっていうの。」
「八十神・・・あぁ、なるほどね。」
「?」
「いや、こっちの話。それにしても良い名前だね、千の鶴・・・なかなか縁起の良い名じゃないか。」
「どうしてわかったの?」
「人の子の考えてることなんて、お見通しさ。」
男は胸を張ってどや顔で言ったが、千鶴にはいまいちピンと来なかった。
じゃあ、と男は再び話題を切り出した。
「お嬢ちゃんの事をチヅルちゃんと呼ぶことにして、チヅルちゃんはいつもここで遊んでいるのかい?」
「うん。」
「そうかそうか、いつもありがとうね。
私の式達もチヅルちゃんが来てくれて毎日楽しい、っていつも私に喋っているんだよ。
私は嬉しい、しかし、キミみたいな人の子は普通、他の子供と一緒に遊ぶべきなんじゃないのかい?」
「ちづるに、ともだちはいないよ。」
「人の子に人の子の友達はいないのかい?どうして?」
「・・・みんな、ちづるがきもちわるいって、いうから。」
「・・・・・・・・・」
千鶴には、『きもちわるい』という感情が理解出来なかった。
むしろ、自分に見える世界はこんなにも素晴らしいのに他の人には見えないのがとても不思議で、
それと同時に残念だと思えて仕方が無かった。
なんとかしてこの世界を皆に伝えられないかと絵に描いてみたのだが、
先生には「つるちゃんの絵は独創的で素敵ね。」と言われただけで終わってしまった。
クラスメイトには変な絵といわれる始末だ。
男は千鶴の頭を優しく撫でると、悲しそうな表情を浮かべながら呟いた。
「・・・可哀想に。こんな純粋な少女を、何故人の子は畏怖するのだ?自分達が一番汚れていることも知らずに。」
「・・・よごれてるの?みんな。」
「ああ、そうさ。神に対する信仰心を失い、欲望の赴くままに動き、破壊し、奪い尽くしている。・・・そうだね、
チヅルちゃんに分かりやすく説明するなら、皆の眼が曇っているのさ。」
「くもってるの?」
「そう、だから私達の姿が見えないんだ。けどチヅルちゃんは違う。
チヅルちゃんには純粋な信仰と対象を疑わず受け入れるその心があるから、私達が見えるんだ。キミは、特別な存在だ。」
「とくべつ・・・」
千鶴は男の言葉をすべて理解したわけではなかった。
しかし、男から『特別』と言われて、頬が熱くなるのを感じた。
男は千鶴を真剣な眼で見ていたが、ふと立ち上がり、何かを紡いだ。
すると、千鶴の周りに柔らかな風が吹き、ぐるぐると風と共に紅葉が舞い上がる。
風が止み、周りで紅葉がヒラヒラと落ちると思えば、いつの間にか彼女の周りには六人の小さな妖精が浮かんでいた。
「わぁ・・・!」
千鶴は目を輝かせた。
小さな妖精達が、まるで絵本の中に出てきた小人達とそっくりだったのだ。
妖精達は千鶴の周りをぐるぐる回っていると、男に呼ばれて一塊に集まった。
「この子達は『タカミムスビ神衛隊』・・・この子達を、キミに授けよう。」
「えっ?」
「タカミムスビ神衛隊よ、この娘は私の特別な存在となる娘だ。来る日までしっかり護るように、いいな?」
タカミムスビ神衛隊の六人は男の言葉に答えるように、りん、と鈴を同時に鳴らした。
千鶴は首を傾げて男に問い掛けた。
「また『とくべつ』?」
「ん?ああ、そうだった・・・チヅルちゃん、この子達を預かる代わりに1つ、私と約束を守ってくれないかい?」
「やくそく?なあに?」
「チヅルちゃんが29になったら、私と結婚すること。」
「けっこん?」
「そう、・・・29になったら私が迎えに行くから、チヅルちゃんは私と結婚して、神の一人になるんだよ。」
「かみになるの?それって、いいことなの?」
「ああ、とても良いことさ。」
「ふーん・・・」
この時の千鶴に『結婚』も『神になる』という意味もよく理解していなかった。
その上、人を疑うということをしないどこまでも純粋な少女であった為、
良い人である男に良いことだと言われ、こう答えることしか出来なかった。
「じゃあ、ちづる、ヤエおじちゃんと『けっこん』する!」
八十神千鶴の懐古たる記憶
「…ん、…なんだろ、懐かしい夢を見たなぁ…」
(マンションの一室で起床した千鶴の顔は、とても嬉しそうだった)
最終更新:2012年05月20日 19:27