いかせのごれの雑踏から少し外れると、鬱蒼とした小さな森がある。
その中には古びた屋敷が建てられており、もう長い間誰かが再びそこに住み着いたことはない。
その為、屋敷は雨風やそこを棲家とする獣のせいで荒れ果てて、お化け屋敷同然の外観になっている。
とても人が住めるような場所ではない、と誰が見てもそう思うだろう。
しかし、そんな廃屋に向かう為に森の中を歩く青年がいた。
彼の外見は二十代から三十代ぐらいで身軽な服装をしており、背中には長い筒状のケースを背負っていた。
また、両手にはたくさんの白い袋が抱えられており、隙間から葱や大根がはみ出している。
屋敷の前に辿り着くと、彼は荷物を一旦地面に置き、重く古びた扉を開いた。
「ナナセ様!ヤマトがただいま戻りました!」
青年は元気よく声を上げると、荷物を再び手を取り、屋敷の中へと進んだのであった。
青年の名前はヤマト。
「永遠なる平和の世界」を願う、
無々世一派の一人である。
元々、UHラボに被検体として存在していたのだが、数年前のとある騒動によりUHラボは崩壊。
その際に負った怪我で瀕死になっていたところを、
無々世に拾われ、以降彼を主と慕い、
身の回りの世話や護衛を務めている。彼らの拠点として存在しているこの古屋敷も先に述べた通り、
以前はとても人が住めるような状態ではなかったが、ヤマトが率先して整備清掃を行ったおかげで、
完璧、とまではいかないが、それなりに内装も綺麗になった。また、メンバーの中にはヤマトと同様に、
食事を必要とする者もいるので、こうして買い物に行き、彼らの食事を作っている。
「…ナナセ様、いらっしゃらないのですか?アビ様、ヘルラ様、ヒトリ様ー?」
ヤマトは首を傾げつつ、廊下を歩きながら、彼らの名前を呼んだ。
いつも帰ってくれば、真っ先に椏弥が飛びついて菓子をねだってくるのに、今日に限っては音沙汰も無い。
もしや、自分が留守の間に彼らに何かあったのだろうか。主や他のメンバーの力を知らないわけではないので、
それが杞憂だと分かっているものの、それでもヤマトに一抹の不安がよぎった。
廊下の角を右に曲がったところで、横にずらりと並ぶ部屋の中で一つだけ灯りが灯っている部屋を見つけた。
その扉の前に辿り着くと、彼はまた荷物を置いて、扉をノックした。
返事は、ない。
「………」
ヤマトは背中にある自らの武器の存在を確かめつつ、静かに部屋の中へと入った。
しかし真っ先に視界に飛び込んできたのは、彼が敬愛する者達の姿であった。
『あっ、ヤマトだー!おかえりなさい!』
「アビ様!それに、皆様いらっしゃったのですね。」
声を上げた椏弥、続けて壁に背中を預けて座る悲鶏、本を開きながらこちらを見る
綜留羅、
そして窓際で椅子に座りながら本を読んでいる無々世、とヤマトは全員の姿を確認し、安堵した。
「図書室にいらっしゃるなんて、珍しいですね。」
「グー」
「…皆様で調べもの、ですか?」
『ねぇー、ヤマト!お菓子は!?』
「あぁ、廊下に置いてある荷物の中にあります…が、もうお夕飯の時間ですので、お菓子は食事の後に。」
『えー!いま、いーまー!』
「ナナセ様、今日のお食事はいかが致しま…?」
駄々をこねる椏弥に苦笑をしつつ、ヤマトは主に声をかけようとしたが言葉を止めた。
無々世の表情はいつも通り無表情で、本を読んでいる。
それだけの事だが、違和感がそこにあるのをヤマトは理解した。
しかし、彼に声をかけたところで『自分に関わりのある』事でない限り、教えてくれないのも、
ヤマトは知っている。ので、この場で聞くのはやめておこうと彼は判断したのであった。
「……ヘルラ様、すいませんが荷物を運ぶのを手伝って頂いてもよろしいでしょうか?」
突然、名前を呼ばれて綜留羅はビクッ、と肩を震わせたが、ヤマトと視線が合うと小さく頷いて、
彼に連れられて廊下へと出て行った。
「…ヘルラ様、何かあったのですか?」
「え…」
暗い廊下を二人で並び歩きながら、ヤマトは綜留羅に問いかけた。
彼女は、すぐには言い出せなかった。余計な心配をかけたくない、という彼女の親切心もあったし、
今日に関して深く考えたり詮索すべきではない、と彼女なりに判断していたからだ。
伝えたところで、主想いのヤマトならもしかしたら、件の奴らに特攻するかもしれない。
しかし、その主想いだからこそこうして心配しているのであって、伝えるべきかもしれない。
でも、と綜留羅は考えれば考えるほど、思考が複雑に絡み、話すべきか否か迷ってしまった。
「…心配なさらずとも、私はナナセ様の望まない行動は致しませんよ。」
そんな彼女を見透かしてか、ヤマトはそう言って優しく微笑んだ。
彼の言葉を聞いて、それでも綜留羅は少しだけ迷ったが、意を決し、ヤマトに今日の出来事について全てを伝えた。
話を聞いてる最中、やはりヤマトの表情は険しかった。
「そんなことが、あったのですね…」
都市伝説・侵話。
それについて、ヤマトも知らないわけではなかった。
学生の間で噂になっている双角獣(バイコーン)、
出雲寺組を襲撃した人面虎(マンティコア)、
特に後者に関しては出雲寺組の被害も尋常ではなかった事から、ヤマトは少なからずとも警戒していた。
もっとも、不在時に急襲されてしまったのでそれも無意味に終わってしまったが。
無々世一派の中で誰も怪我をしていなかったのは幸いだった。
しかし、彼らを護る為にわざわざ主を動かしてしまった事がヤマトにとって痛感であった。
拾われたあの日、自分は無々世の『盾』になると固く誓った。それなのに、その『盾』もなしに、
敵の前に立たせてしまったことを、恥と言わずなんと呼ぼうか。
自分がその時、その場にいたら。
その悔しさからか、袋から取り出した葱をヤマトは強く握り締めてしまい、パキ、と折れてしまった。
「…ヤマトさん…」
「あ、…す、すいません…!これは刻んでタッパにでも…!」
傍らにいた綜留羅が暗い声でそう呼んだので、ヤマトは慌てて葱を仕舞おうとする。
しかし、綜留羅はヤマトの予想とは別の事について脅えていたのであった。
「私、怖いです…」
「ヘルラ、様…?」
その彼女の表情は、明らかに哀を帯びていた。
「今まで、こういうことはなかったわけじゃないです…でも、今日は、そんなのと、違って…」
「………」
「争いのある世界が、正しいだなんて…考えてません、けど…私達…私達、は…!」
綜留羅は、カタカタ、と震え、自らの身体を抱き締める。
そんな彼女を見て、ヤマトは綜留羅に近づくと優しく頭を撫でた。
「そうですね、争いのある世界が正しくはありません。永久に平和が続く世界…それがナナセ様の願う世界です。」
「………」
「私は、そのナナセ様の願う世界を護る為にここにいるんですよ、ヘルラ様。」
「…ヤマトさん…」
自分を見上げてくる綜留羅に向けて、ヤマトは再び微笑んだ。
「私は、貴方方をあらゆる害から護る盾です。ですから、ご安心してください。
貴女に哀しいお顔は、似合いませんから。」
人無の『盾』
(何が起ころうとも、ただ俺は護るだけだ)
(貴方方の信じる世界を)
最終更新:2012年11月11日 19:35