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幼年期の夢

『あれ?』

 それは、いつかの記憶。

『あんな子供、ここにいたかなぁ……?』

 それは、いつかの出来事。

 ホウオウグループ支部施設。ほとんど顔を出す事も無いこの場所に、たまたま立ち寄ったトキコは、そこで見慣れないものを目にして首を傾げた。

 彼女の視線の先にいるのは、二歳ぐらいの幼子だ。髪の毛が長く、そのせいで目元が隠れてしまっている。手術着らしきものを着ており、幼子特有のおぼつかない足取りで廊下を歩いている。

「りーちゃん……? でも、あの子はもうちょっと大きかったし、髪の毛は緑色だったっけ」

 この施設にいる幼子と言えば、真っ先に思い浮かぶのがレリックだ。しかし、トキコの言うようにレリックはもう少し大きい。いくら幼子とは言っても、彼女は人間で言えば十歳位だ。目の前の幼子は、それよりもっと小さい。

 疑問と、好奇心。二つの感情に誘われて、トキコは幼子に近付いた。

「こんにちはー!」
「……! ……?」

 取り敢えず挨拶してみると、幼子は驚いたようにトキコの方を見た後、不思議そうに首を傾げた。何気ない仕草だが、それすら愛らしく見えるから不思議だ。

「君、名前は?」
「なまえ? えーのこと?」
「えー? それが、君の名前?」

 トキコが聞くと、幼子――「えー」はこくん、こくんと頷いた。

(……可愛い……)

 舌足らずな声音は柔らかく、耳に優しい。性別は分かりにくいが、おそらくは男だろう。前髪の隙間から覗いた無垢な瞳が、好奇心の色を隠せずにトキコを見つめている。

「よし、えー君! 君は、どこから来たのかな?」
「あっち」

 悩む様子も無く、「えー」はそちらを指差す。それは廊下を差しており、トキコはそれが、「向こうから来た」と言いたいのだと察した。

「そうなんだー……誰か、大人の人は一緒じゃないの?」
「おとなのひと?」

 「えー」は首を傾げる。どうやら、トキコの言葉の意味が分からないらしい。

「そう、大人の人。大人の人って言うのは……えーと、大人、って、言うの、はぁ……」

 自信満々に説明しようと思ったトキコであるが、一瞬の内に説明に窮した。普段使わない頭をフル回転させるも、こんな小さな子供に「大人」とは何であるかを説明しようとしても、使える単語が限られている。未開人に銃とは何ぞや、と説明するようなものだ。否、銃を説明する方がよっぽど簡単だ。

「えっと……その……」

 じっと、「えー」はトキコの言葉を待っている。前髪の間から覗く瞳が、何だかプレッシャーを放っているようにトキコは錯覚すらしていた。

 何か、何かを言わなければ……! テンパったトキコは、何を思ったか――

「大人とは――お姉さんみたいな人です!」

 ――胸を張り、あまつさえ腰に両手を当てながら、そんな事をのたまった。

「……うん、わかった」

 こくん、と「えー」は頷いた。その従順さが、むしろトキコには居た堪れない。

(誰か……誰か私に、突っ込んで……!)

 何時もならここでシスイが「何でじゃ」と突っ込んでくれるところ、ここではそれを望める訳が無く、

「……どうしたトキコ、こんな所で?」

 代わりに、背後から声が掛かった。トキコが振り返ると、

「あれ、リオくん?」
「珍しいな、お前がこんな所にいるの」
「それを言ったら、リオくんもでしょ」
「まぁな……ん? 何だ、その子供?」

 「えー」の存在に気付き、リオトが指を差す。すると呼ばれたと思ったのか、「えー」は彼の傍に近付いて来た。

「こんにちは」
「お……こんにちは」
「わー、偉いね、えー君。ちゃんと挨拶出来て」
「えへへ~」

 トキコが頭を撫でると、「えー」は嬉しそうに笑った。屈託の無い笑みであり、見ているこちらもつられて頬が緩んでしまうような、そんな笑い方だった。自然、それを見ているリオトも、思わず穏やかな気持ちになった。

「あ? リオ君、今笑ってた?」
「べ、別に? ……それより、そいつなんだ?」
「分かんない。私も、今見つけたところなの」

 ホウオウグループ内に幼児。よもや迷子と言う事は無いだろう。十中八九関係者だが、こんな子供を今まで二人は見た事が無い。と言う事は、誰かが連れて来た、と言う事になるが。

「ねぇ、えー君。君をここへ連れて来た人って、誰?」
「つれて、きた?」
「そう。つれてきたひと」
「……わかんない」
「分からない? そんな事無いだろ?」
「リオ君、駄目だよ。ほら、えー君驚いてる」

 リオトが大きな声を出したせいだろう。「えー」はトキコの後ろに隠れ、彼女の服をぎゅっと掴んでいる。そんな彼の姿に、「う……」とリオトは後ずさった。

「悪かった……しかし、どうするんだ、そいつ?」
「うーん……このまま、放ったらかしにする訳にはいかないし……」

 トキコは、自分の服を握っている「えー」を見つめる。「えー」もトキコを見上げており、その瞳には縋っているような、頼っているような感じが見て取れた。

「……仕方無い。私が一緒に探してあげる」
「いいのか?」
「うん、どうせやる事無いし」

 言って、トキコは「えー」に視線の高さを合わせるようにしゃがんだ。目線を合わせたまま、トキコは彼の頭を撫でる。

「大丈夫だからね?」
「…………うん!」

 大丈夫。トキコの言葉の意味を感じたのか、にはっと、「えー」が笑った。

 ――・――・――

「カラスさん、この子知らない?」

 「えー」の手を引きながら、トキコは出会う人全員にいちいち聞いて回っていた。しかし、誰も「えー」の事など、詳しく知っていないようだった。

「知らん……何だ、その子供は?」

 訝しげな表情を浮かべながら、クロウは「えー」の姿を覗き込む。その視線から逃れるように、「えー」はトキコの後ろに潜り込んだ。

「カラスさん、虐めちゃ、めっ! ほら、こんなに怖がってるよー」
「いや、別に、虐めているつもりは無いのだが……」

 クロウは顎に手を当てながら、困惑したような表情をしている。色んな人間のいるホウオウグループであるが、流石にこんな幼子がいるのはおかしい、と思っているのか。

「……構成員の中で、結婚している者はいたか……?」

 ――違った。別の事を考えていた。

「うーん……カラスさんも違ったかー……」

 がっくり項垂れるトキコ。かれこれ、十人目である。

「む? トキコ、あの子供は?」
「え――ああっ!? また一人であんな所まで!?」

 目を離した隙に、何か面白いものでも見つけたのか、「えー」はもう廊下の向こう側まで歩いていた。慌ててトキコは、その姿を追いかけ、「捕まえた!」とばかりに後ろから抱き締めた。

「駄目だよ、えー君! 私と一緒にいなきゃー!」
「はぁい」

 一見従順そうな「えー」であるが、その実子供特有のマイペースさ、と言うか、フリーダムさ全開だった。少し目を離しただけでいなくなる。トキコとしては、冷や冷やものだった。

「ふぅ……ちょっと、休憩しようか……」

 丁度、休憩所を見つけ、トキコはそこに腰を下ろした。彼女が座ったのを見て、「えー」もとてとてと歩み寄り、その隣に座り込む。

「はい、どーぞ」
「ありがとうー」
「どういたしまして」

 自販機で購入した缶ジュースを手渡すと、「えー」はマジマジとそれを見つめている。もしや、開け方が分からないのだろうか。そう思い、トキコがあえてゆっくりと、「えー」に見えるように自分の缶を開けてみせる。プシュッ、と言う炭酸の弾ける音が鳴り、「おおっ!?」と「えー」の瞳がキラキラと輝いた。

「ん! ……?」
「…………あ」

 トキコの真似をして、自分の指をタブにかける「えー」。ところがどっこい、タブが起き上がらない。彼は首を傾げながら何度もタブに指をかけるが、紅葉のようなその手は缶の上部をカリカリと掻くばかりで何も起きない。

「????」

 頭の上に何度もクエスチョンマークを浮かべながら、缶を開けようと悪戦苦闘する「えー」。が、力が足りないのか、プルタブはビクともしない。

「うぅ……」

 じわ、と「えー」の瞳が俄かに潤んできた。そんな彼の様子がおかしいようにトキコは「くすっ」と微笑むと、「えー」の缶ジュースを手に取った。カシュ、と事も無げに彼女は開ける。

「はい」
「わぁ……ありがとう!」

 嬉しそうに笑う「えー」。前髪が少々邪魔であるものの、それが満面の笑みである事は誰が見ても明白だった。

「さて、と……これから、どうしようかな……」

 誰が「えー」の保護者なのか、トキコは思案する。虱潰しに当たっていてはキリが無い。一体誰がそうなのか、頭の中で彼女はリストアップしていく。その中に、ホウオウが含まれているのはご愛嬌、と言うやつだ。

 すると、トキコは不意に、自分の横に何かがもたれかかって来たのを感じた。

「ん……? ありゃりゃ、おねむになっちゃったか」

 見れば、トキコの身体に寄り掛かるようにして、「えー」がすやすやと眠ってしまっていた。その無防備な姿も可愛いと、思わずトキコは微笑む。

(そう言えば、この子の顔、まだよく見てないや)

 終始、前髪のせいで「えー」の顔は隠れてしまっていた。今なら何の憂いも無く覗けると、好奇心に任せてトキコは前髪を退ける。

「わぁ……可愛い……」

 案の定、文字通り顔を出したのは愛らしい寝顔だった。幼子特有の中性的な顔立ち、傷一つ無い滑らかな、それでいて餅のような肌。突けばきっと柔らかいのだろう、などとすら考えてしまう。

「おぉ、やぁらかい……」

 ――と言うか、実行していた。ちょっと突いたぐらいでは起きない事を良い事に、ついにはその頬を引っ張ったり、揉んだりし始める。寝苦しそうにトキコの手を「えー」が払いのけるが、そんな仕草すら可愛らしい。

「あれ? でもこの子、誰かに似ているような……」

 自分の親しい友人に、「えー」は似ている事に気付いた。しかしそれが誰だったのか、トキコは頭にピンと来ない。額に手を当て、うーんとトキコが考えていると、

「あ、いた!」

 突然、そんな声が聞こえた。驚いてそちらを見ると、亜麻色の髪のメイドさんがこちらへ駆け寄ってくる。

「あれ? さーちゃん?」
「あ、トキコさん、どうも……はぁ、やっと見つけた……」

 現れたのはサヨリだった。よほど激しい運動でもしていたのか、その息はすっかり上がってしまっている。

「トキコさん、その子……」
「え? もしかして、えー君の事?」

 自分の傍ですやすや眠る幼子をトキコが差すと、サヨリは大きく頷いた。

「その子、私達のところで預かっている子なんです……見つかって良かった……」
「え゛。何、ジングウの?」

 自分にとって一番会いたくない人物を思い浮かべ、トキコは思いっきり嫌な顔をする。会いたくなかったので彼を選択肢から外していたのだが、まさか彼がそうだったとは。道理で誰も「知らない」と言う訳だ。

「よいしょ……っと」

 サヨリは「えー」を抱き上げる。流石にレリックと四六時中一緒にいるだけの事はあり、その動作は手馴れていた。

「うぅー……?」
「駄目じゃないですか、えー君? 勝手に抜け出したりして」
「あう……ごめんなさい……」
「はい、許してあげます……トキコさん、すみません。迷惑かけちゃって」
「いえいえ、そんな事無いですよー?」

 正直、何時もはしない体験であったから、新鮮で楽しかった、と言うのがトキコの本音だ。迷惑だ、などとは、これっぽっちも思っていなかった。

「それでは、私達は戻りますね……ほら、えー君?」
「うん……おねえちゃん、ばいばい」

 サヨリに抱き上げられた状態で、「えー」が手を振る。トキコも彼に向かって、小さく手を振って見せた。

「ばいばい! えー君、か」

 ほんの数時間ほどであったが、彼と過ごした時間を思い出し、トキコは思わず頬を緩めた。きっと、自分に弟がいたらあんな感じなのだろうか、などと彼女は思う。

「また、会えるかな?」

 弾んだ気持ちで、トキコはその場を後にする。次に、「えー」と出会う日は想像しながら。

 ――・――・――

「……ふぁ」

 ベッドから身を起こし、「彼」はあくびを一つ上げた。

「……懐かしい夢、だったな」

 言ってかつての「えー」――アッシュはふふっ、と微笑んだ。

「覚えているかな、彼女は」

 窓の外から、アッシュは空を見上げる。遠く離れた自分の故郷、いかせのごれに続いているであろう、その空を。

 

 <幼年期の夢>

 

(――そう、そうだ)

(僕はあの時から、)

(君の事が、)

(好きだったんだ)

(お姉ちゃん――)

 ※作中の「えー」の回想シーンは、「リバース・オブ・ジングウ」序盤、「閉鎖区画を大冒険」の後ぐらいの時系列になります。

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最終更新:2012年11月29日 09:23